7.アンボンの町には活気がいっぱい、ナノダ!
1997/1/2
翌朝、オジサン4人組から一足先に帰る私はいつもの通り「おかゆ」で朝食を済ませ他のメンバーを見送った後、時間が空いたのでアンボンの町中を散歩してみた。
ちょうど通勤時間帯にぶつかったせいか、道路の上はオートバイと路線バスのラッシュ状態。新年早々働くのかと感心してしまったが、行き交う人々の顔には陽気さと人なつこさとエネルギッシュな表情があふれている。
今のアンボンは、日本の高度成長時代初期の頃の感じだ。町中には建設中の建物があちらこちらにあり、主要道路には車が頻繁に走っている。町全体からは人間の活気が溢れていて、そのパワーに圧倒される思いがした。
しかし一歩町中から離れて住宅地へ入ってみると、彼らの住居は実に質素であることに驚かされる。
車の通る道路はほとんど舗装され、その充実ぶりには感心するほどだが、その両脇に立ち並ぶ住居は、兎小屋とバカにされる我々から見てお世辞にも広いとは言えない土地に、バラックよりもましな建物が建ち並んでいる。
そこに3世代が一緒に暮らしているのだから、生活水準は決して高くはない。
しかし彼らには希望とエネルギーが溢れている。これから成長して行く国、そして町であることを痛感させられるパワーがあるのだ。
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町中を歩いて良く目にするのがペチャックと言う人力タクシーだ。アンボンでは3組のペチャックに分かれており、それぞれ色分けされている。
曜日によって交代で町中で稼ぎ、当番以外のペチャックはお休みとなるそうである。つまり今日赤いペチャックが走っていれば、翌日は黄色のペチャックが走る番と言った具合だ。皆が均等に稼げるようにするためのアイデアらしい。
もう一つ目に付くのが露天商である。昔懐かしい駄菓子屋といった感じだろうか。狭い店先にお菓子や雑貨を並べた店がそこらじゅうにあり、中に一人ぽつんと売り子が座っているがあまり繁盛しているようには見えない。こんなに沢山店があって商売になるのか心配してしまうほど多い。
また屋台もそこらじゅうで見かけるが、日本で言うと「焼鳥屋」「汁物屋」「焼き飯屋」「焼きそば屋」「肉饅頭屋」と言ったところだろうか。そして全体に共通なのは香辛料のガラムの香りとチリの強烈な辛さである。安いし、けっこう病みつきになる。
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とうとう楽しかったアンボンともお別れの時がやってきた。今日はサンドラーもダイビングのガイドで出かけてしまった為、奥さんが空港まで見送りに来てくれた。
残った連中が今頃は何処で潜っているかと名残惜しい気持ちのまま車で空港へ。
アンボン空港で荷物を預けたところ、生乾きのダイビング機材のためかかなりの重量オーバー。超過料金を請求されたが、US$で提示された金額の多さにビックリ!思わずルピアかと聞き返してしまった。
機材を良く乾かさなかった自分がうかつだったのだが、「ディスカウントOKか?」と聞くと一旦奥に引っ込み、上司らしき人物が登場。紙に金額を書き、これでどうかとディスカウントに応じてくれた。交渉成立!感謝感激である。
さすがに此処まで来る日本人はいないようで、空港には我々以外日本人は見あたらない。時々日本人らしき風貌の人物を見かけるが、言葉はまったく日本語ではなく、しかも動作に日本人特有のセコセコ、チャラチャラが無く誠に堂々としている。
常に大人であり、自分に責任を持ち、回りを気遣い一切迷惑をかけない。つまり紳士的なのである。これは見習うべき事だと、自分自身の行動を反省した。
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