44 遙かな尾瀬

2011.12.18


 尾瀬の除染をどうするのかという問題が新聞に載っていた。そうか、尾瀬も汚染されたんだったなと思って、悲しくなると同時に、深い憤りを感じた。

 懐かしい尾瀬である。

 何度も書いてきたが(L1L2L3)、大学に入ったばかりの夏、ぼくは尾瀬で半月の間、環境保護のアルバイトをした。半月も滞在すれば、愛着も深い。その年の11月に、もう一度訪れただけで、再び訪れたことはなく今日に至るわけだが、こういうニュースで話題になるなんて、本当に予想だにしなかった。

 ぼくのバイトも、観光客に踏みにじられた湿原の復元だったり、観光客が湿原に足を踏み入れないように指導することだったりが主な仕事だったわけだが、それでも、学生がバイトをすれば、復元はともかく、尾瀬の自然を守ることぐらいは何とかなりそうな気がしていた。ただ、時たま入ってくるニュースは、やはり観光客が増加して糞尿の処理に困っているとか、車の乗り入れを禁止したとかいった類のもので、どうしたものかと気にはなっていた。

 けれども、今回の放射能汚染の場合は、何か根本的なところが破壊されたような気がして、絶望的な思いにかられる。湿原は一面の苔の堆積によって出来ていて、その苔の層も何十年も出来上がってきたものだ。人間がそこに一歩足を踏み入れて穴を開けると、回復するのにまた数十年かかる。だから、ぼくらは、懸命に木道を外れて湿原に入らないように注意して回ったのだ。思えば、のどかな時代だったというわけだ。

 しかし、あの広大な湿原に放射性物質が降り注いだとすると、それを除染することなどとうてい不可能に思える。例えば、学校の校庭などの除染の報道をみると、表面の土を削って下の土と入れ替えたりしている。そんなことはあの湿原ではできないことは明らかだ。湿原は、表面が命だ。繊細な苔で覆われた表皮こそがあの湿原の美しさだ。その上と下を入れ替えでもしたら、かつての泥沼と化したアヤメ平のようになってしまう。

 東電は、舞い散った放射能は、もう誰のものでもない。自分とは関係ないから、勝手に取り除くことなどできない、というようなことを言っていたが、そんなつもりなら、人のいない尾瀬など除染などしないだろうし、その余裕もないだろう。

 今まで東電は尾瀬の保全にはずいぶん力を入れ、金もつぎ込んできた。木道だって東電が作ってきたものだ。だから尾瀬に関しては東電を極悪非道な悪者扱いしてすませることはしたくないけれども、それでも、やりきれない思いはつのる一方だ。

 遙かな尾瀬……。

 ひょっとしたら、放射能に汚染されたまま、人を拒絶して眠り続けるほうがいいのかもしれない。


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