69 さよなら忠生高校

2007.1


 教え子から来た年賀状で、都立忠生高校が閉校になるということを知った。さっそくホームページを見てみると、平成19年度、つまり今度の入学試験は実施しないとある。あと2年で閉校である。愕然とした。

 都立忠生高校は、ぼくが初めて赴任した学校である。赴任は昭和47年。まだ開校2年目だった。校舎も、まだ半分しか完成しておらず、着任式も校舎の屋上でやったのをよく覚えている。そこで5年間新米教師として働いたのだが、この5年間は、ぼくにとって忘れがたい日々だった。

 ここでぼくは教師としての体験を、ほぼ全てし尽くしてしまったような気がする。ほんとうは、この5年間だけで教師はよかったのかもしれないと思うほどだ。その後、都立青山高校に7年、そのあとは栄光学園に戻って今日までずっと教師をしてきたのだが、「忠生以後」は、「忠生体験」をなぞっているだけのような気さえするのだ。

 この「忠生体験」をこと細かに書いていけば、おそらく1冊の本が出来上がるだろう。実はその体験のひとつを何度か小説として書いてみようと思ったこともある。けれども、それは結局何人もの人を不愉快にさせ、傷つけもする内容になってしまうことになるので、その度に断念せざるをえなかった。それというのも、その体験というのが、ぼくがある仲間の教師に騙され、裏切られたという体験だったからだ。逆にぼくがある仲間の教師をひどく傷つけたという体験もある。これなら書けそうだが、読んで気持ちのいいものではないだろうし、ぼくとしても古傷には触れたくない。

 失敗談は数限りなくある。生徒と一緒になって職員室でふざけていて、先輩の先生に、生徒共々こっぴどく叱られたとか、試験監督をしていて十数名の(いや数十名?)の生徒にカンニングをされたとか、生徒たちに間違って(いや、ここがかなり微妙なのだが)校内で酒を飲ませてしまったとか、今なら(いや当時だって)懲戒免職ものの失敗がいくつもあった。カンニング事件とか、飲酒事件などは、当時としては書いて発表するなどということはとてもできなかったわけだが、今ならエッセイのネタにはなりうる。恥をかくことになるけれど。

 楽しいことはそれ以上にたくさんあった。とくに演劇部の顧問としての体験は、語りきれないほどあるので、このエッセイでもポツポツ書いてみようかと思っている。

 教師としてのぼくの「原点」だった忠生高校。今は感謝の言葉しかない。


★忠生高校時代のわたしの写真(屋上での着任式も含めて)3枚「Dairy Photo」に掲載しました。

★忠生高校時代の話で、今までに「100のエッセイ」として書いたのは、次のものです。

ヤクザ教師」「黒髪薫」「涙のワイパー

★忠生高校時代の授業に関して書いたエッセイにはこんなものがあります。

高校生と近代詩


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