70 歌仙

2007.1


 高校1年生の古文の授業で、芭蕉の「奥の細道」をやることになった。最初の授業でいきなり本文に入るのもなんだから、そもそも「俳句」って何なのか、「短歌」と「俳句」はどう違うのか、というようなことを話すことにした。

 俳句には「季語」があるとか、俳句は短歌より短いとか、俳句には「切れ字」というのがあるとか(「切れ痔」だあなんて笑うヤツがいたから、この際痔に関する基本的な知識を伝授しようと、つい脱線し、痔に関する講義を20分以上もしてしまったが)いう話をして、実は俳句というもののルーツは「連句」というものにあるのだ、という結論にたどりついた。「連句」の第1番目の句を「発句」といい、それが「俳句」のルーツである。「連句」というのは、数人でやる遊びだが、まずAさんが「五七五」で何か作る。そうすると、Bさんがそれを読んで「七七」と付けて「五七五七七」のひとまとまりになるようにする。すると今度はCさんがその「七七」に対して「五七五」とつけてそれでまたひとつの世界を作る。そうやっていくと延々とやっていられるわけだけど、基本はそれを100回やる、つまりそれを「百韻」と呼ぶわけだけど、芭蕉の時代にはもっと短い「歌仙」、つまり36歌仙ということで、36回でまとめるのが普通になった。

 その36句をどう紙に書いたかというと、懐紙を2つ折りにしてそれを2枚綴じ、最初のページに6句、次のページとその次のページに12句ずつ、最後のページに6句書くわけ、というように説明しても、よく分からないだろうから、前の晩に実際に作ってみた。

 最近、ちょっとだけ書道を習い始めたので、何だか筆で書いてみたくなり、文庫本の「芭蕉七部集」を見ながら、筆ペンで「市中の巻」を書いてみた。最初は、1ページめの6句だけ書いておけばいいやと思ったのだが、書いているうちに面白くなってしまい、全部書いた。

 出来上がってみると、さすがにヒドイ字だが、なんかいい。これをポケットにいれておいて時々読むなんてこともできそうだ。最近、鉛筆でなぞる奥の細道なんて本が売れているが、そんな本を買わなくても、これのほうがよっぽど楽しいのではないか。

 授業で生徒に見せたが、あまり気乗りしない風で「ふーん」といった顔で眺めていただけだった。授業が終わったら「よく見せてください」なんて言ってくるヤツが一人ぐらいいるかなあと期待していたんだけど。やっぱりおじんくさいか。


★ぼくが授業用に急いで作った歌仙の写真はこちら


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