15 涙のワイパー

2002.2


 都立高校で新米の教師を始めたころ、担任をしていた男子生徒が、喫煙で停学になったことがある。彼は、それまでにもいろいろな問題を起こしてばかりいて、ほんとうに世話のやける生徒だったのだが、どこか可愛げがあって憎めなかった。しかし喫煙ではしかたがない。1週間ほどの停学だっただろうか。ぼくは彼の家に家庭訪問にでかけた。

 停学中は、担任は家庭訪問をしなければならないことになっているのだ。学区が狭い小学校や中学校と違って、高校の場合は相当家が遠いこともあるので、家庭訪問というのはなかなか大変な仕事だ。停学は、生徒にとっても「災難」なのだろうが、担任の教師にとっても大変な「災難」なのだ。

 彼の父は土建屋で、家は豪華な一軒家だった。広い庭の中央に、やけに大きな石が置かれていたのを今でもよく覚えている。彼の部屋で、毎日の生活や勉強の様子を聞き、「反省ノート」を見せてもらい、教師らしいお説教のひとつもして、帰ろうとすると、まあどうぞと居間に通された。寿司やら手料理やらが広い居間の真ん中の食卓に所狭しと並んでいる。先生さあどうぞ召し上がってくださいと、どっかと座った笑顔の父親は赤ら顔。

 こういう時は断って帰るのがマニュアル通りなのだろうが、そんな不人情なことはとてもできない。寿司も特上級である。舌鼓を打っているうち、先生どうぞと父親が日本酒を勧めてくる。ええい、ままよ! すっかりいい気分になって飲んでいると、父親はもう上機嫌で、お前も先生に迷惑ばっかりかけるんじゃないぞ、いいか分かったか、しょぼくれてないで、さあお前も一杯飲めと、停学中の息子に酒をすすめる。息子も照れながら、じゃあといって父親から杯に注いでもらう。

 タバコ一本吸ったことで停学になったことが、この子にとって何の意味があったのだろうと、ぼんやりする頭で考えるのが精一杯で、お父さんそれはまずいでしょう、やっぱり、なんてとても言えやしない。

 帰ろうとすると、雨だった。母親が軽自動車で駅まで送ってくれた。先生、ご迷惑ばかりかけてすみませんねえ、今はあんな子でも、いつかきっと恩返しができるようになってくれると思うんです、どうかよろしくお願いします先生……。ひっつめ髪の母親は涙を流しながらハンドルをぎゅっと握っていた。せわしなく目の前を行き交うワイパーが、その涙を拭っているように見えた。





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