14 そのままになってしまう

2002.2


 いつかそのうちと思っているうちに、そのままになってしまうということが、よくある。

 いつか読もうと思って買っておいた本が、たまたま本棚のすみっこの方に置かれたばっかりに、結局ぱらぱらと目を通されただけで古本屋に売り飛ばされてしまったりとか、人から借りていつか読まなくちゃと思っているうち10年たってしまうとか、逆に貸してある本やCDなどを、いつか返してもらおうと思っているうちに、貸したことも忘れてしまって、あ、そうだ、あいつに貸していたんだと思い出した頃には、もう興味がなくなっていて、どうでもよくなっていたりとか、まあいろいろである。

 手紙などは、最近特にこういう「そのままになってしまう」ものになっている。メールに慣れてしまうと、手紙を書くという行為がやたら煩雑に思えてくる。便箋を用意し、万年筆やらサインペンやらを試してみて、ようやくこれで書こうとなっても、すぐに書き間違える。メールなら一発で書き換えなのに、初めから書き直し。やっと書きあがって封筒に入れて切手を貼ろうとすると、切手がなかったり、封をしてしまってから、ああ、あのことを書き忘れたと気づいたりする。それで、どこかの時点でつい「後回し」になってしまい、あっという間に数ヶ月。こうなると、今度は妙に出しづらくなる。それで結局そのままになってしまう。

 考えてみれば、いつかそのうちと思って、そのままになってしまうというのは、結局ぼくらの人生そのものという気もする。

 50年も生きて来た人間が、過去を振り返って「こんなはずじゃなかった。」という感慨に襲われないということがあるだろうか。どこでどう道を間違えたんだろうとか、なんであの時ああしなかったんだろうということが、人生の道ばたの至る所に転がっている。そしてそのほとんどが「いつかそのうち」と思っていたのに、そのままになってしまったというものではないだろうか。

 「ホームレスなんかに注意されて言うことなんか聞く気になれないよなあ。だって奴らは人生の敗北者じゃないですか。自分の生活をなんとかしろよって言いたいよ。」と、世田谷でホームレスの男性を殺害した中学生の同級生がテレビでしゃべっている。

 いい気になるなよ、とぼくは思わず呟いてしまう。いいか、君たちの一生だって、いつかそのうちと思ったことのたった一つを実現するために費やされてしまうんだ。

 何たる無惨。しかし、それが人生。




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