13 豆まきの風景

2002.2


 和泉元彌と結婚した羽野晶紀が、姑から、和泉家の五箇条だの何だのとシチ面倒なシキタリを守れと言われているらしい。伝統芸能を守る家柄というのがそんなにエライものだとも思えないが、まあ、そんなご大層な家柄でなくても、家には家のシキタリみたいなものがあってもおかしくない。

 事実、ぼくの生まれ育った家などは、家柄なんて言葉にはハナっから縁のない家だったが、それでもいろいろなシキタリめいたものがあった。前に書いた、靴を揃えて脱がないなんていうのは、シキタリというよりは悪習としかいいようがないが、たとえばもう少し上品なシキタリとして、ぼくやぼくの妹の配偶者を驚かせたものに、「節分の豆まき」がある。

 最近では節分になっても、自宅で豆まきをする人はほとんどいない。いや、いないとしか思えない。近所の家々から、豆まきの声が聞こえてこないからである。ぼくの家では、必ず父や祖父が大声で豆をまいた。もちろんその声は近所に響いたし、近所の声も我が家に結構届いたものだ。

 ところで我が家の豆まきは、まず豆をまく者が部屋の中程に豆を入れた枡を持って立つと、その周りに家族全員が畳に膝をついて座り、まかれた豆を争って拾うという形式で、これが言ってみればシキタリのようなものだった。

 父や祖父が調子に乗って、ばかでかい声で「オニワーソトーッ! フクワーウチイー!」と絶叫して、大量の豆を家族の頭上にバラバラとまく。すると、母だの祖母だのぼくだの妹だのが、キャッキャッと大騒ぎで豆を拾うのだ。それを、すべての部屋で繰り返す。豆まきが終わると、居間だろうが玄関だろうが台所だろうが、拾いきれなかった豆が一面に散乱しているという状況。

 そのあとは、自分で拾った豆のなかから、自分の歳の数だけ豆を勘定して、その数えた豆を家族全員分をまとめて、今度は家の代表者である父が、近所の神社にまきに行く。ぼくは必ずついていったが、父は夜も更けた神社の境内に響き渡るような大声で、神殿に向かって「フクワーウチ、フクワーウチ」と繰り返しながら、豆をまくのだった。

 それが、ぼくが生まれてらずっと続いていた我が家の豆まきで、どこの家でもそういうふうにやっているのだとばかり思っていた。しかし、ぼくの妻やぼくの妹の配偶者にとっては、最初の我が家での豆まきには驚きあきれ、何て変な家だろうと思ったと、今でも口を揃えて言うのである。

 やっぱり変だろうか。



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