52 「次の電車も併せてご利用ください」

 

2019.3.4

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 最近、フェイスブックでこんなやりとりがあった。

 栄光学園時代の教え子のS君は、精神科医だが、今、ドイツに留学中。で、毎日のようにドイツ各地の写真とか、精神科に関する学会の感想とか、その他モロモロを発信してくれていて、なかなか面白い。

 その中で、まず、こんなツイッターの記事を紹介していた。「私はドイツ人のこういう率直さがとても好きなんですよね。日本人が裏があり過ぎるので。」というコメント付きで。

「ラッシュ時の新宿駅山手線ホーム。「乗り切れないお客様は次の電車も併せてご利用ください! というアナウンスは奇妙だ。1人の人間は2列車を同時に併用できない。無理っぽければ諦めろ、と言うべきだ」というドイツ人の感想。さすが。ソフトなゴマカシが存在しない文化の国の人だ──と改めて思った。」

で、ぼくは、こんなコメントを書いた。

「併せて」っていうアナウンス、あんまり聞いたことないよ。あったとしても、次の電車も選択肢に入れてね、ってことだと思うから、奇妙じゃない。これは、屁理屈じゃないのかな。

 これに対するS君のコメントはこうだ。(S君から引用の許可とっています。)

まさにおっしゃる通りで、ドイツ人の方と話しているとかなり屁理屈に聞こえることがままあります(^_^;)
恐らくですが、彼らは文脈から乖離した「字義的な内容」を解釈していることが多いのではないかと。あとは文化の違い。
例えば何かをお願いしたときに、答えた側が難しそうな顔をして「やー、これは難しいですね‥」と言ったら、多分先生や私なら「できないんだ」と思うはずですが、ドイツでは「やるために難しいんだな(でもできるだろう)」って捉える人も多くいるはずです。
あとは食事に行く場合も、日本人同士で例えばお昼時に山本さん(仮名)を誘うときに「山本さん、お腹空いてますか?」と言えば食事の誘いと分かる。でもドイツ人では「いや、お腹空いてません」と応えて、食事の誘いと思わない人も結構多いはずです。
食事とかも「マズい」とかドイツの人は普通に言いますね。私はどうしても「美味しかったよ(^_^;)でももう少し塩分が少ない方がいいなあ(^_^;)」とか言いますが、ドイツの人は「いまのでも十分美味しいし、もう少し塩を減らすともっと美味しくなるんだ♪( ´▽`)」と思うかもしれません。
この辺り、ドイツ人の裏がなく、字義的に率直に、見方によれば屁理屈にも思えるところは好きなのです。

 確かにS君の言うとおりで、日本語はよく考えると何を言っているのかよく分からないことが多くて、メンドクサイ。

 件のツイートでも、確かに「乗り切れないお客様は次の電車も併せてご利用ください。」というのは奇妙どころか意味不明だ。まあ、ぼくとしては、「次の電車も選択肢に入れてね、ってことだと思う」とフォローしてみたものの、そこまで裏を読まないといけない言葉が、小説の中なかならともかく、ホームのアナウンスにまで溢れているのは考えものだ。

 コメントにも書いたとおり、この「併せてご利用ください」は、あまり聞いたことがないが、よく耳にするのが「次の電車をご利用ください」というやつ。最近は、こればっかりだ。ドイツ人風に言うならば、「いったい、誰に向かっての言葉か?」ということだ。ガラガラに空いてる電車が目の前にとまっているときに、こんなこと言われたら、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。乗っちゃった後に車内で聞いたら、なんか責められてる気分になってしまう。

 まあ、このアナウンスは発車間際に流れる自動音声で、つまりは、「もう諦めて、次の電車に乗れ」ってことなのだが、それでも無理やり乗り込もうとするヤツがいるから、「併せてご利用ください」みたいなバカ丁寧な言い方になってしまうのだろう。

 「電車はこれっきりじゃないんだから、この電車に乗ることばっかり考えないで、次もあるということも〈併せて考えて〉みてはどうですか?」ってことだ。あるいは、「電車をご利用になるときは、これに乗らなきゃこの世の終わりみたいな狭い考えは金輪際捨てていただき、次の電車もあるということも〈考え併せて〉くださいね。そうすれば、駆け込み乗車なんてハシタナイことはしなくなるはずですよね。」ということなのだ。ひょっとすると、物の見方、考え方、あるいは人生観まで教えてくれようとしているのかもしれないのだ。よけいなお世話だけどね。

 まあ、日本の駅では、こんなバカ丁寧なことをいちいち言っているわけだが、ドイツ人にしてみれば、「なんじゃこりゃ、『バカ、諦めろ』でいいじゃんか。」ってことになるのもしょうがないやね。それにドイツ人なら、オレにはオレの人生観があるぜ、ってきっと怒るだろう。

 この辺について、結構ドイツ人的にこだわっているのが京急で、京急の車掌は、必ず「ドアを閉めます」という。(最近ではそう言わないフトドキ者の車掌もいるが)JRなどでは、「ドアが閉まります」というのだ。これを京急では、「ドアは自然に閉まるわけではない。車掌が責任を持って閉めるのだから、『ドアを閉めます』って言え。」と教育されているらしいのだ。まさにドイツ人的である。(こちらのエッセイをどうぞ。「ドアを閉めま〜す」)

 そういえば、昔、ドイツ在住の作家多和田葉子が、ドイツ人について書いていたことがあり、それに関してぼくもこんなエッセイを書いた。題して「コーヒーでいいです」。

 多和田によれば、ドイツ人というのは、「あらゆるチャンスを利用して自分の個性を確立するのが人間の義務だ」と思っているらしく、自分が飲みたいのが、コーヒーか紅茶かはたまたオレンジジュースか、はっきり分かんないようなヤツは人間じゃないみたいな考えをするらしいから、「屁理屈」どころのさわぎじゃない。

 ぼくはこのエッセイにも書いたように、「自分の個性」なんて、そんなシャカリキになって確立しなくたっていいと思っているので、何飲む? って聞かれたら「コーヒーでいいです」とか、「じゃ、ぼくもそれ」みたいな煮え切らないことしか言わない。その程度で済んでいることがむしろありがたいとすら思っているような人間だから、まあ、ドイツ人からすれば、人間の風上にもおけぬヤツということになるだろう。これで、ドイツ人が校長の学校をよく卒業できたものである。

 


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