93 今度は高知は晴れていた 

2012.9.30


 家内の父の一周忌法要のために、高知へ行ってきた。木曜日に出発して、土曜日に帰るという日程を早くからたてていたが、何しろ去年のことがあるものだから、天候が気になって仕方がなかった。出かける一週間ほど前までは、大きな台風17号があるものの、中国の方へ向かっているから大丈夫だと思っていたら、出かける数日前に台風18号が小笠原のあたりに突然生まれて、こっちへ向かってきた。あれあれと思っているうちに、割合小さい台風で、進路も北東向きなので、どうやら大丈夫そうだと思って胸をなで下ろした翌日だったか、中国の方へ向かっていた17号が突然向きを変えて日本に向かってきた。ああ、いったいどこまで運命はイジワルなのか。

 それでも、まだ遠いから、行きは大丈夫だけど、帰りがちょっと心配という感じで、今回は新幹線と土讃線の乗り継ぎで木曜日に出かけた。さすがにあんなことはそうそうあるものではなくて、今回は、あの悪夢の繁藤駅も無事通過。去年は大雨であたりの様子もよく分からなかったが、晴れていると、駅の割合すぐそばに大きなお寺があったりして、なんだ、それならどうしてもだれも迎えに来なかったら、あのお寺に泊まればよかったんだ、なんて思ったが、あのときはほんとに切羽詰まっていた。あのまま四国山中で、あわれ義父のお骨とともに四国の土になるのかと思った、と言えば大げさだが、まあ、ああいう時というのは人間いろいろなことを思うものである。

 明日から、ぼくは高知へ行くからね、と授業でしゃべって、実は去年は大変だったんだよ。それで、ぼくはこんな文章を書いたから、退屈かもしれないけど、ちょっと聞いてね。これは紀行文というやつで、これからやる論説文と違うのは、特に言いたいことがない文章で、じゃあなぜ書いたかというと、こんなことがありましたよということを報告したかったということだね。

 なんて前置きして、5000字を超える「お骨と大雨と土讃線」を、iPhoneを使って(つまり、iPhoneに、ぼくのホームページを表示させて)音読した。なんと10分以上もかかったが、生徒にいちばん受けたのは、タクシーがなかなかやってこないのでぼくと家内がヤキモキしているのに、オバアチャンが、暢気にベンチで寝ているというところだった。ここは4クラスとも、笑いが起きた。そうか、こういうところが受けるのかと妙に感心したりもしたが、まあとにかくこういう文章の「要旨」をまとめろといわれたら、「高知へいって大変な目にあった。」でオシマイ。「要旨」は「言いたいことの要点」だからね。でも、要約するとなると、結構大変だよ。いらないところを削っていくと要約になるわけだけど、「いらないところ」がない、というか「いらないことだらけ」というか、よく分からないからね。というようなことを述べて、これが別に暇つぶしではないことを生徒には伝えたつもりだが、生徒がどう思ったかはあずかり知らない。

 今回は、エッセイに書くほどの大事は何にも起こらなかった。こうなると、人間、贅沢なもので、何かあったほうがよかったかなあなんて思ったりもするが、強いて言えば、高知を発つ日が1日遅かったら、台風17号を直撃を受けて、帰りを延期せざるを得なかったということぐらいだ。二つの台風に挟まれた格好で、よく3日とも晴れたものだ。(3日目は、曇り空だったが。)

 到着した日などは、高知の空はもうひとかけらの雲もない見事な青空だった。一周忌法要も無事終えることができ、夜は二日とも、はりまや橋のすぐそばの「司(つかさ)」本店で、カツオの塩タタキだの、ウツボのタタキだのをサカナに、「司牡丹秀麗」やら、「船中八策」やらを堪能した。やはり、高知は食べ物が旨い。酒も旨い。いうことなしである。

 おまけの土産話をひとつ。たまたま泊まったホテルのロビーで、あの「吉田類」さんに会った。「吉田類の酒場探訪」はビデオにとってみているくらいなので、まるで旧知の人のような気がして、思わず声をかけ、一緒に写真におさまるというミーハーぶりを発揮してしまった。いずれにしても、去年とはうって変わって平和な話である。これがいちばんいい。


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