86 宙吊り自転車 

2012.8.17


 夏休みになると、毎晩夕食後、家内と一緒にウォーキングをするのがここ数年の恒例となっているのだが、薄暗い道を歩いていると、後ろからやってくる自転車が非常にこわい。古い自転車で、キーキーきしんでいるのはすぐに分かるが、いい自転車でしかも無灯火だと、気がつくのが遅れ、あっと思ったときにどっちに身を避けたらいいか分からなくて、思わず立ちすくんでしまう。そういう危ない自転車に腹を立てながら、先日、ふと祖父の自転車のことを思い出した。

 父方の祖父は、ペンキ屋の親方であり、看板などの字書きであり、風呂屋の背景画書きであった。大方の仕事を父にゆずったあとも、風呂屋の背景画書きは結構続けていたようだ。お得意さんにフクイさんという風呂屋があって、そのフクイさんから祖父はよく映画の券をもらったらしい。風呂屋には必ず映画のポスターが貼ってあったもので、おそらくその映画の券を場所代として風呂屋に渡したのだろう。その券を、映画好きの祖父がもらったというわけだ。祖父は、フクイさんから券をもらったと言っては、自転車をこいで映画館に出かけたものだった。

 普通の回想記だと、この後、映画好きな祖父はそういうとき、ぼくも映画に連れて行ってくれたものだった、てな展開になるのだが、そういうことは一度もなかった。おい、ヨーゾー、映画に行こう、などとは祖父は一度も言ったことがない。まさか、見に行く映画がいつもピンク映画だったわけでもなかろうから、ちょっと不思議な感じもする。まあ、当時の映画館というのは、今と違って、不良のたまり場とも言われていたから、それに特にぼくの住んでいた横浜の下町は、近くの川にはドザエモン(ドラエモンでもホリエモンでもありません。)は流れてくるわ、ヌード酒場の宣伝カーが「ヌード酒場でございます。」と真っ昼間から大音量のスピーカーで触れ回るわというとんでもない場所柄ゆえ、映画館も、ジイサンがのんびりと孫を連れて行くにふさわしい場所でなかったことは確かだ。

 それはともかく祖父は必ず自転車で行くのだ。それがだんだん歳をとってくると、祖父の自転車の運転も非常に危なっかしいものになって、あっちへフラフラ、こっちへフラフラで見ちゃいられない有様となった。父はその度にイライラして、オヤジ、自転車はやめろ、と何度も何度もそれこそ口を酸っぱくして言うのだが、祖父はカエルの面に何とやらで、いつも「な〜にいってやがんだ。」とでもいうふうにヘラヘラ笑って受け流し、フラフラヨロヨロと自転車をこいでは出かけて行くのだ。(なんだか、この辺のイメージって、「ちびまる子ちゃん」に似てるなあ。)

 ある日、とうとう業を煮やした父は、その祖父の自転車を、物置(といっても、我が家の「物置」というのは、材料置き場で、ペンキの缶やら、刷毛やら、その他もろもろの道具や材料を保管し、その上仕事用の小型トラックも入るという場所で、広さは2〜30畳ほどもあり、天上の高さも普通の部屋の倍はあった。)の天井から吊してしまった。

 父は、どうだ、これなら乗れまいとぼくに向かって胸を張り、天井から吊された自転車を指さした。ぼくは、はるか高い天井からまるでサーカスの見世物のようにぶら下がっている祖父の自転車を見上げて、笑えるような笑えないような何とも妙な気持ちになったものだ。

 祖父は祖父で、怒りもせずに、「お〜お〜、何するだ〜。(祖父は静岡の生まれである。)」てなこと言って、おとなしく諦めたような気がする。どうもよく覚えていないが、チキショーあれを降ろせ、ジョウダンじゃねえダメだダメだといったような、派手な言い合いはなかったような気がするのだ。何だか祖父にはそのような一種茫洋とした不思議なところがあった。

 その後、祖父は映画には歩いて行ったのだろうか。それとも、それっきり映画には行かなくなったのだろうか。それも覚えていない。ただ、天井から宙づりなった自転車のイメージだけが妙に懐かしく心に残っている


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