31 ぼくらの川にドザエモンは流れ

1998.10


 ぼくの生まれ育った町は、横浜の中心であった関内、伊勢佐木町のはずれの商店街で、まわりをぐるりと運河に囲まれていた。その川はいつも汚く、上流の染色工場(横浜の代表的地場産業はスカーフである)の流す廃液のために、毎日色を変えていた。その川によくドザエモンが流れていた。

 流れていたといっても、実際に見たわけではない。しかし、「ドザエモンだぞー」という声がすると、何が何でも川に向かって走ったものだ。川べりには、いつも人だかりがしていたが、ドザエモンの本体はいつも流れていってしまった後らしく、見たことはなかった。しかし「ドザエモンだぞー」という声は、しょっちゅう聞こえてきたから、見たような気分にもなっていたのだ。

 ぼくの妹などは、小さい時からこの声をよく聞いて育ちながら、本体を見たことがなかったので、高校生になるまでドザエモンというのは魚の名前だと思っていたという。「バカだねえ、お前は」とバカにされても、「だってムツゴロウがいるんだから、ドザエモンがいたっていいでしょう」などとわけのわからぬことを言って、ケロリとしている。

 しかしそれにしても、何でその川にはそんなモノがしょっちゅう流れていたのだろう。我が家の近くには、黄金町という麻薬の取引で有名な町があり、その町はその川べりにあったので、多分、そんなトラブルでどんどん人が殺され、投げ込まれたのかもしれない。いずれにしても、あんまり普通の話ではない。

 そう言えば小学生の頃、その川のほとりで友だちと遊んでいたとき、川の岸辺のヘドロの中から、指が一本出ているのを発見したことがある。びっくりしたぼくらは、すぐに警察に通報したところ、パトカーは来るわ、人は集まってくるわの大騒ぎになってしまった。警官が長い竹竿で、おそるおそるその指をつっつくと、何のことはない、ただのゴムの手袋だった。ぼくらは、ずいぶん恥ずかしい思いをしたが、しかし、よく考えてみると、たったそれしきのことで、本当に警官が来たり、人だかりになってしまったというのも、ドザエモンが実際によく流れていたからだとも言えるのである。こわい、こわい。