85 気にくわないことばかり 

2012.8.10


 テレビをつけても、新聞を見ても、オリンピックのバカ騒ぎだらけだ。

 今朝も、なでしこジャパンの決勝戦だったが、5時ごろ目が覚めて、ラジオをつけたら、1点負けていたので、ラジオを消してうとうとしていた。6時半ごろ起きて、テレビをつけてみると、やっぱり負けていた。ワールドカップの時は、テレビにかじりついて見て、勝った時には涙さえ流したというのに、今日は、負けたからといって涙も出なかった。ワールドカップは、あれは、やはり震災後の異常な感覚があったのだろう。あのときは、なぜだか、本当に嬉しかったし、神さまが味方したんじゃないかと思ったくらいの劇的な勝ち方だった。だが、その後の、オリンピックへ向けての異常なくらいな盛り上がりにはついて行けなかった。

 要するに、ぼくは、勝負事が好きではないのだろう、と思う。勝った、負けたで大騒ぎすることが、どうも性に合わないのだ。

 自分では、スポーツを一切やらなかったというのではない。バスケットボール、アーチェリー、剣道、テニス、ボーリング、ゴルフなど、いちおうある程度はやった。しかし、ひとつとして長続きしたものはない。

 見るほうはというと、長いことベイスターズのファンを自認しているが、球場へ応援に行ったのは2回ぐらいしかない。あの歴史的な優勝のときですら、一度も球場へは行かず、テレビで観戦していただけだ。どうして行かないかというと、負けるのを見るのがイヤだからなのだ。絶対に勝つという保証があるなら、いつでも見に行くのだが、そんなバカな保証があるわけないし、第一それではスポーツ観戦の醍醐味がなくなってしまう。スポーツ観戦の醍醐味というのは、勝つか負けるかのハラハラドキドキだろう。しかし、これが、ぼくがイヤなのだ。この点は家内もまったく同じであるらしい。

 負けたときの、ガッカリ感が大嫌い。何だか、負けたのは自分が行ったせいだという気までしてしまう。だから二人の息子が、野球部とバレーボール部に所属していた中高時代、ぼくは一度もその試合を見に行ったことがない。たぶん家内も行っていない。なんと薄情な親だろうと思われるかもしれないが、息子が、ぼくの目の前でエラーなんかしたらどうしようなんて思うだけで、とても行く気にはなれなかったというわけだ。

 ナデシコであれ、サムライであれ、試合当日、飲み屋かなんかにユニフォームを着て集まって、夜通し声を涸らして応援する映像がテレビではしきりに流れるが、負けたときはみんなどうするんだろう。みんなで抱き合って泣くのだろうか。なんか、そういうの、いやだなあと思うのだ。

 そんなわけだから、今回のオリンピックも、チラチラ見ているにすぎない。

 チラチラ見ているにすぎないけれど、どうにも気にさわることが多い。どこかで誰かも書いていたことだが、中継の応援アナウンスが度を超している。大昔、水泳の中継で「前畑ガンバレ!」とアナウンサーが絶叫してしまったということが語り草になったが、それは、それまでの中継では、そんなに露骨な一方的に肩入れした応援アナウンスがなかった、というか許されていなかったからだろう。しかし、あまりの快挙達成を目前にして、思わず禁を破ってしまったことが、「あれは、もう、しょうがないよねえ。」ということで共感を得たわけだろう。しかし、スポーツがフェアなものだとしたら、中継もフェアなものでなければいけない。それを自国の選手だけが、「いい者」で、対戦者は「わる者」みたいな扱いでいいわけはないのである。

 それなのに、今では「前畑ガンバレ!」どころの騒ぎではない。それがもう当たり前になってしまっている、どころかそうしなくちゃいけないみたいになっている。こんなことでいいのだろうか、という反省のカケラももちろんまるでない。

 当たり前になっている、と言えば、勝った選手のインタビューへの答。「自分ひとりの力ではありません。今まで支えてきてくださった方々のお陰です。感謝しています。」という答が、まるでシャチハタスタンプのように選手の口から出てくる。それはそうだろうけど、いくら周りが支えてくれたって、自分が頑張らなきゃ勝てないじゃないか。「やりました!」「嬉しいです!」「努力したカイがありました!」「これで貧乏から脱出できます!」でいいんじゃないのって思ってしまう。

 ついでに言うと、オリンピックとは全然関係ないが、NHKの「のど自慢」で、ここ数年のことだと思うのだが、司会のアナウンサーが出場者を紹介するときに、「去年亡くなったおじいさんのために歌います。」とか「入院しているオバアサンのために歌います。」とか「ご両親に感謝して歌います。」などといったセリフを全員に対して必ずつける、これがどうにも気にくわない。

 そんな個人的な目的のために歌うなら、何も「のど自慢」なんかに出ることないじゃないか。お墓の前で歌うなり、入院している病院に行って歌うなり、ご両親を温泉にでも連れて行って宴会場で歌なりすればいいじゃないの。そうじゃなくて、テレビに出たいから出たんでしょ。歌がうまいと自分では思っているから、それを証明してもらいたくて出ているんでしょ。それでいいじゃない。何てったって、番組名が「のど自慢」なんだから。それなのにどうしてNHKの番組企画者は、こうした参加者の純粋な動機を見せまいとするのだろうか。

 ついでに言うと、昔は、合格しなかった出場者は、インタビューもされなかったし、名前すら名乗れなかった。今では全員にインタビューする。まあ、それはそれでいいのだが、「応援隊」がたいてい映されて、名前入りの横断幕などがばっちり映ってしまう。これは掟破りだ。そんなことなら、いっそ、歌う前に、「○○村から来ました何のなにがし。○○歳。○○を歌います。」って言うようにしたらどうだろう。そういう客観的なデータのほうがよっぽど面白い。ぼくら夫婦が見ている間、「これは合格。」「これは二つ。」「え〜、これで合格?」って言い合うこと以外に、「この人、同い年かなあ。そうだったらやだなあ。」なんてことが必ず話題になるので。


Home | Index | Back | Next