84 ナマハゲ反対! 

2012.8.5


 こわがりなんだと思う。

 いまだに飛行機に乗れないのも、高所恐怖症とかいう以前に単純に、こわいからといったほうがいいのかもしれない。もちろん、ジェットコースターの類もダメで、乗ったことがない。オバケ屋敷も入った記憶がないし、小さい頃は、オバケ映画もダメだった。(今でも、ホラー系の映画は基本的にはダメ。)

 そして何より極めつけは、お獅子である。これが恐怖だった。小学生になる前は、特に怖くて、遠くから獅子舞のお囃子が聞こえてきただけで、家の中を逃げ回ったものである。何歳の頃だか忘れたが、親に連れられて正月に江ノ島に行ったような記憶がある。江ノ島そのものの記憶はないのだが、江ノ島の食堂で何かを食べていたら、獅子舞のお囃子が聞こえてきて、食堂のテーブルの下にもぐり込んでしまったような記憶だけがかすかにあるのである。

 小学生になっても、獅子舞が家の中に上がり込んできて、茶の間でひととおり踊るのだが、あのでっかい頭を近づけてきてパクパクやるおまじないは、ほんとにこわかった。小さい頃は、よく引きつけを起こしたようだから、あの後、引きつけを起こしていたんじゃないだろうかとさえ思う。

 そういうわけだから、秋田に生まれなくて、ほんとによかったと思う。ナマハゲである。あれは、今、テレビで映像を見ても、正直こわい。こわすぎる。60過ぎてもこわいのだから、ご幼少のみぎりにぼくがアレに出会っていたら、今頃どんな大人になっていたか思いやられる。もっとも、こんな大人になってしまったのだから、これ以上は悪くはならなかったろうと考えることもできるわけだが、ひょっとしたら、引きつけを起こしすぎて、無事に大人になれなかったかもしれないなんて思ってしまう。

 ナマハゲに襲われて泣き叫んでいる子どもを見るたびに、心底同情してしまう。かわいそすぎる。泣き叫ぶ子どもを見て、ゲラゲラ笑っている大人を見ると、心底憎らしい。子どもがこわがっているのを笑って見ていられるなんて、信じられない。あれは、幼児虐待ではないのか、と真剣に抗議したくなる。ナマハゲがトラウマとなって、ナマハゲ恐怖症から一生抜け出せない秋田県民っていないのだろうかって心配になる。

 伝統行事だからといって、何でも許されるというものではないだろう。日本のお家芸みたいなのに、裸祭りがあるが、あれもぼくは大嫌いだ。とにかく男のフンドシ姿が嫌いなのだ。許せるのは大相撲だけだ。あんな大勢の男が裸で、肌をすり寄せて、巨大な玉だかなんだかを奪い合うなんて、卑俗すぎて、ぼくの感性を逆なでする。

 しかし、まあ、あれは大人のやることで、好きなら勝手にしやしゃんせ、で済むけれど、ナマハゲときたら、子どもの気持ちなんて全然考えてない。小さい子どもにひどい恐怖を味わわせるのは決してよいことではないだろう。そんなことは、心理学者に聞かなくても常識だと思うのだが、どうしてナマハゲは放置されている(どころか国の重要無形民俗文化財に指定されている。)のだろうか。

 大人はもちろん「よかれ」と思ってやるのだろうが、子どもはいい迷惑である。国会議事堂前で抗議のデモでもしたいところだろうが、子どもにはそんなことはできない。その子どもも大人になると、そんな恐怖なんてすっかり忘れてしまうから、いつまでたっても、子どもだけがこわい目に会い続けることになる。こういうことって、他にもあるんじゃなかろうか。

 こんなことを考えるのは、やっぱり、こわがりだからだろうか。でも、子どもの恐怖に満ちた顔は見たくない。子どもは、いつも笑っていてほしいものだ。


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