83 教師の夏休み 

2012.7.29


 夏休みに入ってもう何日たつのだろう。そもそもいつから夏休みだったのかも、よく分からない。7月20日が終業式だったのだが、授業以外は学校にでないことにしているので、7月18日の成績会議を最後に、その後は登校していない。ということは、今日で休みも11日ということになる。次の登校予定は9月7日だから、まだ1ヶ月以上休みがあることになる。それでも、あと3日で7月も終わりとなると、何となくもの悲しい気分になる。ちょうど、現役の頃の土曜日の夜のような感覚だ。明日は日曜で嬉しいけど、その翌日は学校かあというあの感じである。土曜日がいちばんいいのと同じように7月がいちばんいい。

 こんなことばかり書いていると、あんたはよっぽど学校が嫌いというか、働くのが嫌いなんだねと言われそうだが、まあ、そう思っていただいてもちっともかまわない。けれども、現実にはそれほど学校が嫌いなわけでも、働くのが嫌いな怠け者なわけでもないことは、これまでのエンエンと書き綴ってきたぼくのこのエッセイを隅から隅まで読んでいただければ(そんな物好きな方がいらしたらの話だが)分かるはずだ。

 けれども、教師という仕事に限っていえば、昨今の公立学校における夏休みの現状は、まことにヒドいもので、許せない。実際に公立学校の昨今を体験しているわけではないから、正確なことはいえないが、基本的には、夏休みは、企業なみということだ。夏休みとしては5日ぐらいのものらしい。あとは、年次休暇とか、引率の振替とかで、休みをとっているという。

 しかし、生徒のいない学校で何をしているのか。会議やら、研修やら、やることはいろいろあるじゃないかと教育委員会のほうではいうだろうが、それにしても、会社とは違って、教師の仕事は授業なのだから、基本的にはその相手の生徒がいないければたいした仕事はないのである。授業の準備といっても、夏休みに2学期分全部の準備をすることなんてできない。やってしまうという人もいるかもしれないが、国語などは、その時々の生徒の気持ちとか、世の中の出来事とかとリンクして進めるということも大事なことだから、早くから準備することが必ずしも望ましいことではないのだ。

 生徒あっての教師の仕事である。そのことがどうしても、お役人にも、一般の父母にもよくわからないらしい。例えば、クラス担任をしていたとして、そこに問題を抱えた生徒が一人いたら、そういう生徒がいないクラスの担任との仕事の量(質も)は何十倍にもなる。そういう生徒の面倒をどんなにみても、家庭訪問をしても、夜中に親と何時間も電話で話しても、放課後何十時間勉強の面倒をみても、決まった給料以外の手当はいっさいないのが教師の仕事である。教師には、超過勤務手当というものがないのである。そのかわり、全員に一定額の特別手当というものがあるが、それでおしまい。

 だから、もっと金をよこせというのではない。時間外の仕事に時給など払っていたら、それこそ世知辛いことになる。そうじゃなくて、教師は、生徒のためなら何でもするのだから(実際に、そういう教師の方が圧倒的に多いのである。)、生徒のいない夏休みぐらいゆっくり休んだっていいじゃないかということなのだ。

 教師の資質向上とかいって、やたら研修会などが催されているが、生徒には自主性を求めながら、教師はなんで研修会なんかに頼るのか。ふんだんに休める夏休みこそ、教師が自主的に資質の向上を目指す絶好の機会ではないか。ほっとくとヤツラは遊んでしまうに決まっているから、少なくとも教師を学校において監視しようというのが教育委員会だか文科省だかの役人の考えなら、もうなにをかいわんやである。

 教師は何よりも自由でなくてはならない。自由の中でなくては、教育はできない。自由を奪われた教師からは、生徒は干涸びた知識しか学べない。教師の自由を奪う昨今の教育界の現状はほんとうユユシキことである。


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