26 三橋美智也を聴きながら

2010.1


 ちょっと長い時間、電車に乗って出かけるときなどは、文庫本よりiPodのお世話になることが圧倒的に多くなった。ぼくのiPodには、落語やら吉本隆明の講演やらモダンジャズやらクラシックやらR&BやらJ-popやら、もう雑然といろんなジャンルのものが入っているが、音楽ではやはりどうしてもしっくりくるのが歌謡曲である。これはもうどうしようもなくぼくの細胞の中に埋め込まれてしまっている何かで、まあ一種の故郷のようなものであるらしい。

 先日も、三橋美智也の全曲集を聴いていたら、有名どころの『哀愁列車』とか『女船頭歌』とか『夕焼けとんび』とか『古城』とかはいうまでもなく、イントロが流れているときは、これは聴いたことないなあと思っていると、歌が始まるや、ああよく知っているという歌が続出して、あげくには何だこれは高校生の頃によく歌っていたじゃないかという曲まである始末で、我ながら呆れてしまった。

 なかでも、この数十年というもの歌うことも忘れていたのが『石狩川悲歌(エレジー)』で、これはもうほんとうによく歌ったものだった。『君と歩いた石狩の、流れの岸の幾曲がり。思い出ばかり心に続く。ああ、初恋の遠い日よ。』という歌詞を見て、そのメロディを口ずさめる人は幸いである。そして、その石狩川のように(実際に見たことはないが)澄んだ歌声を聞くことのできる人は更に幸いである。

 三橋美智也の歌を聴きながら、今更ながら、若い頃の自分がどのような感情生活を送ってきたのかがしみじみと分かった気がした。もの心ついた頃から祖父母の部屋に寝かされていたために、その部屋のラジオから流れていた民謡と浪曲がおそらくその根源にあるのだろう。三橋はもちろん民謡歌手として出発した人であり、北は北海道の出身である。三橋の小節(こぶし)は、まさに民謡の小節で、その小節にぼくはどうしてもしびれてしまうのである。そして、その小節に、ぼくの感情は養われてきたような気がするのである。

 「演歌の小節を聞くと、背中がぞくっとして気分が悪くなる。」と言っていた人が昔の知りあいにいた。その気持ちもよく分かる。根っからのクラシックファンというのは、こういういわば民族音楽を受け付けない感性を持っているのだろう。

 しかし民族音楽に小節はつきものだ。そして小節には庶民の哀歓がこもっている。その哀歓の中にこそ、ぼくは生きてきたし、今も生きているのだと思う。


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