27 中途半端に凝るタチ

2010.1


 中学生の頃からなのだが、いろいろなことに手を出して、ちょっとずつ中途半端に凝るタチである。これが還暦を迎えても治らない。ということは死ぬまで治らないということである。

 治らないものは治らないのだから、諦めるしかないのだが、これがまた難しい。何とか治したいと思ってしまう。つまり、中途半端に凝るのではなく、とことん凝って「その道」の第一人者になりたいなどと思ってしまうのだ。しかしそれもつかの間、いつもの中途半端に戻ってしまう。いつまでも一つのことに夢中になり続けることがどうしてもできないからだ。ふり返ってみれば、この「中途半端」と「とことん」の間を永久に行ったり来たりする振り子のような人生を送っているとしか思えない。

 今までいちばん長く一つのことだけに熱中したのは、中学3年の一年間の昆虫採集だった。それも甲虫類を中心としたマニアックなもので、これに一生をかけようとすら思ったものだった。父に泣きついて、6500円もする(当時の初任給はおそらく2万円ぐらいだろう。)『原色昆虫大図鑑(甲虫編)』を買ってもらったのもこのころだ。「そんな専門的な本が必要なのか?」という父に「これは将来のぼくにとって必要なんだ。」と胸をはって答えたのをはっきりと覚えている。

 それなのに高校1年になると、もう熱が冷めてしまった。

 さすがにぼくも悩んでしまって先輩に相談したことがある。自分はどうしても専門ができない。どうしたらいいですか、と。先輩はこう答えた。「君は興味を持ったことにすぐに飛びついていくが、それが君のよいところだ。専門なんかなくてもいい。君のそのよいところを伸ばせばいい。」

 そういうものかなあと思いつつ、カビとか淡水のプランクトンとか、さまざまなことを研究して、そのうち顕微鏡写真やら鳥や虫の生態写真にに熱中したりしているうちに高校を卒業した。

 大学に入って国文学研究の世界に憧れながら、学者になるのをやめたのもこのぼくの「よいところ」ゆえだった。

 その後も、さまざまなことに中途半端に凝って今日に至るわけだが、定年を間近に控え、はたと困ってしまった。こんな中途半端でいいのだろうか。

 「いいのだ。」と言い切るしかないだろう。今更困っていてもはじまらない。とことん中途半端な人生を送るしかない。といってもそう多くの時間が残っているわけでもないから、中途半端さも「とことん」とまではいきそうもないけれど。


関連エッセイ:「凝っているのは肩ばかり」「金をかけずに


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