46 凝っているのは肩ばかり

2004.8


 今年を含めてあと6年で定年ですよ、どうしよう、と知り合いに言うと、たいていは、だってヤマモトさんは趣味が一杯あるから、退屈なんてしないでしょう、と言われる。どこでそういう判断を下すのか知らないが、ぼくは多趣味な人間と思われているらしい。ホームページなんかを覗くと、水彩画を描いていたり、エッセイを書いたり、映画を見ていたりするのが分かるから、それでそう思うのかもしれない。

 「多趣味は無趣味」という言葉があったような気がする。何にでも手を出す人間は、何事も長続きしないから、結局は無趣味に終わるということになる、ということだろう。ぼくなどはその典型である。

 趣味というのもピンからキリまであって、本当の趣味というのは、やはりそれが生活の中心になってしまって、それをやっている時は何もかも忘れて没頭してしまい、それをやるために生活のすべてが組織化されているといったようなものではなかろうか。「釣りバカ日誌」のハマちゃんとか、スーさんとかいった人たちがそれにあたるのだろう。

 しかし、ぼくにはそういう意味での趣味がない。映画に凝った時期もあった。熱帯魚に凝った時期もあった。古くは昆虫採集に凝った時期もあった。テニスやゴルフに凝った時期すらある。それなのに、それらすべてがぼくからは遠い存在になってしまった。今、凝っているのは肩ばかりである。そしてそのことに、定年を数年先に控えたぼくは、何となく焦りに似た感情を味わっている。

 焦ったってしょうがないと思いつつ、何とかならないものかなあとつい思ってしまう。

 定年後の生活は、趣味を生かした楽しい生活でなければならないというような思いこみが世間にも結構浸透していて、ぼくも知らず知らずそれに染まっているということだろうか。

 考えてみれば、没頭できるような本格的な趣味なんてなくたって人間は結構生きていけるんじゃないだろうか。まったくつまらねえ世の中だなあなんてブツブツ文句を言いながらでも、それなりに余生をまっとうすることもできるはずだ。そういう中年・老人ははたからみて、あんまり楽しい中年・老人ではないだろうが、あまり生き生きとした中年・老人というのもどこかウットウシイものがある。最近のデューク更家などを見ていると、その感を強くする。

 それにしても、この頑固な肩凝り、何とかならないものだろうか。デューク更家式のウオーキングでもやってみるか。


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