40  ぼくもびっくりしたのだった

2000.9


 

 前回、さんざん憎まれ口をたたいたが、本当はそんなに怒っているわけではない。生まれてから、中学に入るまでクラッシック音楽しか聴いたことがない人間がいたっていっこうに構わないわけだし、むしろ結構なことかもしれない。少なくとも、ぼくには関係のないどうでもいい話だ。ただ、「ほんとかなあ」って思って書いているうちに、ああなってしまったまでのことだ。

 たぶん、あの人たちが言っているのは、ちゃんと正座して耳を傾ける音楽についてなのだろう。さあ聴くぞっていう姿勢で聴いた音楽は、クラッシック音楽だけでした、ということなんだろう。

 まあそれにしても、日本の平均的庶民とはほど遠い存在であることには違いない。嫌味のひとつも言ってみたくなるというものである。

 ぼくなんかは、そういう人たちとは全く正反対な環境に育ったので、クラシック音楽を正座して聴いたのは、中学に入ってからということになる。くだんのロック歌手氏や、葉加瀬太郎氏が、クラッシック音楽以外の音楽を聴いて、びっくりしたのとちょうど同じように、ぼくもクラッシック音楽を聴いて、やっぱりびっくりした。いつまで待っても歌が出てこないからである。一曲終わるまで、ずっと歌の前奏だと思って聴いていたら、とうとう前奏だけで終わってしまいました、というような感じだった。

 「ねえねえ、これ、どうして歌が出てこないの?」って、誰か身近な人間に聴いたような記憶がかすかにある。誰も正確に答えてくれなかったようで、世の中には変な音楽があるんだなあって思っていた。

 それでも、音楽の時間やらのおかげで、そういう音楽も世の中にはあるんだということが分かり、歌がなくても退屈しない程度の短い音楽、つまり「軽騎兵序曲」とか「詩人と農夫序曲」とか「ウイリアムテル序曲」とか「魔弾の射手序曲」とかいうドーナツ版のレコードやソノシートを、卓上電蓄にかけてうっとりするようにまで中学生を終わるころには成長した。

 それでもぼくの「音楽生活」の実態は、高校生になっても、ビクター少年民謡会のソノシートをすり減るほど聴いて、聴きよう聴きマネで日本民謡を歌ったり、ワイルドワンズの「思いでの渚」や「青空のある限り」を体育館掃除の最中に大声で歌ったりという始末で、交響曲やら、ピアノソナタなんてものがあるんだとは、噂には聞いていても、演奏そのものにふれることもなく、高校時代を終了してしまったのだった。






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