八木重吉ノート(5)

 

 



第5章 評釈『鞠とぶりきの独楽』(承前)

 

  ○〔第十三番〕
まりと
あかんぼと
どっちも くりくりしている
つかまへ どこも ないようだ
はじめも をわりも ないようだ
どっちもぷくぷくだ

 こういう詩を読んでいると、つくづく八木重吉の詩というのは不思議な詩だなと思う。「気取りがない」だとか、「心に感じたままを素直に表現した」だとかいう評価がすぐになされそうな典型的な詩だが、しかし、それらの評価はいずれも、この詩の内容は分かり切ったことだとの前提に立っているように思える。だからその「分かり切った」ことを「気取りなく」表現したから素晴らしいとか、「素直にそのまま」表現したからいい、というふうに、内容よりも表現方法に重点を置いた評価になる。しかしながら、この詩の内容は本当に「分かり切った」ことだろうか。「当たり前」のことだろうか。
 すでに第七番において重吉は、「あかんぼ」と「まり」の共通点を見ていた。そこでは「あかんぼが ないてる」のと「まりが つかれている」のとは、「あんまりちがわない」というふうに書かれていた。それらは「火がもえている」のと「川がながれている」のと「木がはえている」のと「あんまりちがわない」というふうに、その「自然さ」に共通点を見出していたのである。つけば素直に反応してくる「まり」とお腹がすけば何の気兼ねもなく泣く「あかんぽ」は、確かに「智恵」以前の世界を予感させる。
この十三番では、「あかんぼ」と「まり」の類比は更に大きく展開している。「つかまへ どこも ないようだ」といい、「はじめも をわりも ないようだ」という。これは、尋常一様の捉え方ではない。だれもが「当たり前」のこととして言えることではない。
 「まり」が「つかまえどこがない」というのは、実感としてあるだろう。しかし「あかんぼ」が「つかまえどこがない」とはどういうことなのだろうか。「あかんぼ」の体の「ぷくぷくした」感じを言っているという面もあろう。しかし、それ以上に「精神的」あるいは「霊的」存在としての「あかんぼ」の感じを表現しているといえるだろう。「つかまえどこがない」のは、「はじめもをわりもない」からだ。「はじめもをわりもない」とは、まさに、「神」の属性であり、永遠性の同義語である。八木重吉は、「まり」と「あかんぼ」の中に、永遠なる現在の姿を見ているのだ。

  ○〔十四番〕
ひいとよ
ふうた
ふうたよ
み いい
ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ
ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ
まりをついていると
いったい
数というものが どうして できたか
なぜ 数というものは あったほうがいいんだか
そんなわけがらが
ほんのりと わかってくる

 「まり」が、永遠性を象徴するのだとすれば、ぽこぽこまりをついているというのは、まさに、その永遠と遊ぶということになる。その時、「数」がその遊びの媒介となる。もし「数」という媒介者がなければ、我々は永遠を相手に遊ぶことはできない。このことの示唆するものは大きい。
 「数」がない時、我々はどのような「まりつき」をするだろうか。そこにはただ単調な動作の反復があるだけで、緊張感もスリルもないだろう。まりがいくつつけようとそんなことはとるに足らぬことだ。そんなことにたいした意味があるわけではない。にもかかわらず「ひいとよ ふうた」と数えることで、我々の遊びはその密度を増し、その密度の中で永遠の一端に触れるのだ。それがまりとの「正しい」つきあい方だ。それはちょうど、何の言葉も理解しない赤ん坊と遊ぶとき、たとえ意味不明でも、たあいない言葉がどうしても必要なようなものだ。大の大人がいい年をして「いないいないばあ」だの「ちょちちょち、アババ」だのと言って憚らない。それは、そうした意味のない言葉によって、大人は辛うじて赤ん坊の神秘に触れることができるからなのだ。

  ○〔第十五番〕
ぽく ぽく ぽく ぽく
ぽく ぽく ぽく ぽく
ひとりで まりをついていた
ぽく ぽく
ぽく ぽく
ひとりで ついているのも ちっとつまらない
ひよいと なげようか
あんたのほうへ なげようか

 第八番と同様の趣旨を歌っている。「なげようか」という言葉が二回繰り返されているが、それは決して「なげよう」という決意とはならない。まりを誰か他人に向かってなげるという行為は重吉にとって、自分が感じている充足感を誰かとわかちあうということであろう。しかし、そのことの不可能を重吉は身にしてみて知っている。自分がついているのと同じような気持ちでそのまりをついてくれる人はついにいないという寂しさを重吉は感じている。そのため、重吉のまりつきはいつまでたっても一人の遊びに止まるのである。良寛のような、外へ向かっていく広がりを持たないのである。

  ○〔第十六番〕
もも子は
まりのことを
「いいやあぽん」といふ
なんだか
ほんものの鞠より
もっと鞠らしい

 もも子のわけのわからない幼児語のほうが、まりを指す名辞としてよりふさわしいというのだ。

  ○〔第十七番〕
いいもの
みつけた
あった あった
まりがあった

  ○〔第十八番〕
まわるものは
みんな いいのかな
こまも まわるし
まりも まわるし

 この第十八番ではじめて「こま」が登場する。以後、こまとまりを中心にして「おもちゃ」というテーマが展開する。

 ○〔第十九番〕
色はなぜあるんだろうか
むかし
神さまは
にこにこしながら色をおぬりなされた
児どもが
おもちゃの色をぬるようなきもちで

 たった一晩で一気に書かれたこれらの詩群は、最初から最後まで厳密な構成をもっているわけではない。むしろ、次々と思いついたままに書き流しているようだ。十五番からこの十九番ぐらいの部分は、そういう書き流しの感じがする。その感じはしばらく続くが、時々ふっと形而上的とも言えるような詩句が現れる。その流れというものは重吉という人の心のたゆたいを目の当たりにするようで何とも魅力的なのだ。この十九番の色に関する思索は決してそれほどの深みをもってはいないが、しかし、結構尾を引いていて、後で再び出てくる。

  ○〔二十番〕
川をかんがへると
きっと きもちがよくなる
みるより
かんがへたほうがいい
いまに
かんがへるように
みることができてこよう
そうなれば ありがたい

 ふっと、形而上的な高みに舞い上がるというのはこういう時である。この二十番はその前後の詩と何のつながりもない。ただ、ふっと頭に浮かんだようにここに置かれている。しかし、なんという味わいの深い詩句だろう。こんなことを書いた詩人がそれまでの日本にいただろうか。感覚的な美に溺れるのでもなく、実生活にべったりとつくのでもなく、出来あいの思想をなぞるのでもない。自分の中でゆっくりと熟成してくる真の意味での思想がここにある。そして、それを何の難しい言葉で飾ることなく、思想そのものをまるで生まれたばかりのような姿のままで、言語化しえている。
 「川をかんがへると/きっときもちがよくなる」という不思議な詩句。これは決して「川のことをかんがへると」に置き換えられない。「川のことをかんがへる」というのは、川をいわば概念化して、それについて考えることであって、それはきわめて知的な活動になる。しかし重吉は「川をかんがへる」といっている。これは、「川」という自然の存在を、その存在のまままるごと自分の中に取り入れることを意味しているのではないか。言い換えれば「川を感受する」ということだろう。
 「みるより/かんがへたほうがいい」というのも、「みる」という行為が、「川」を対象化して認識するということを意味しているからだろう。見るという視覚にたよる行為は、どうしてもその見る対象を見る主体たる自分とは区別されたものとして認識することになる。それに対して、重吉の「かんがへる」という行為は、「川」を対象化せずに、まるごと自分の中へ取り込もうとする行為であった。自分が川そのものになってしまうようなそんな感じ方だ。それは「きもちがよくなる」という結果を重吉にもたらすのだ。
 「いまに/かんがへるように/みることができてこよう」というのは、見るという行為もやがては、対象との合一を自ずと促すような行為へと発展していくだろうという重吉の予感を示しているのである。このあとはしばらく「こま」と「まり」をめぐって、同じような詩想が続く。すべてを引用できないのでいくつかを引いておく。

  ○こま〔二十八番〕
いつか
ひどくつまらなくなったら
いちんちぢゅう
独楽をまあしていようかしら

  ○こま〔二十九番〕
ぶりきの 独楽を ひっくりかへすと
黄いろく ぬってある
ほんに
腹 と いふ気がする

  ○はやし〔三十番〕
やっぱり
林はいい
はいって みると
また いいとこへ きたとおもふ

 二十六番から、それまで詩句に題がついていなかったのが急に題がつくようになる。そして三十番で突然「はやし」という別のテーマが出てくる。そしてその後四十一番まではほとんど「こま」「まり」「おもちゃ」をめぐっての詩句が続いた後、再び急速に内面的な緊張が高まり、この一群の詩の中での頂点に達するのだ。それはこの三十番の「はやし」の詩の展開のようにも思える。

  ○こども〔四十二番〕
こどもは
なぜ えらいかといへば
天国にちかくゐるからだ
じっさい
えんぜるがちきそばにあそんでる
うそではない
おとなとは せかいがちがふ
ものがみんな溶けているせかいだ

 「ものがみんな溶けているせかい」というのは重吉の発見した世界だ。それは、自己と対象の明確な分離を拒み、自然と自己がお互いに浸透しあうような世界だといえよう。こどもはそういう世界に生きている。独楽で遊べば、子供は独楽そのものになってしまう。まりをつけば、子供はまりになり、まりのようにはずむ。重吉はそういう世界に激しい憧憬を感じたのだ。
 しかし、確かに郷原宏の言うように、そこには強い断念があっただろう。あくまで自分は「おとな」の世界に住んでいるという意識は極めて明確に出ている。自分がおとなである以上、「てくてくと/こどものほうへもどってゆこう」という軽い足取りも、なかなか現実のものとはなりえないのだ。それだけに、重吉の憧憬も激しい。そして、とうとう頂点がやってくる。

  ○〔四十三番〕
だあれも
人の見ていないとこで
おもいきり人のためになることをしてゐれぬものか

  ○〔四十四番〕
きりすとを おもひたい
いっぽんの木のように おもひたい
ながれのようにおもひたい

  ○〔四十五番〕
柿の花が
柿の木のまわりに落ちてゐた
ぱらぱらとちらばってゐた
その日は
桃子にきつくほほずりしてねむりについた

  ○〔四十六番〕
ゐても
たってもいられない、
はなしてもだめ
ひとりぼっちでもだめ、
なにかに
あぐんと食われてしまいそうだ

  ○〔四十七番〕
森へはいりこむと
いまさらながら
ものといふものが
みいんな
そらをさし
そらをさしてるのにおどろいた

 この四十三番から四十七番までは「鞠とぶりきの独楽」のなかの白眉と言えよう。四十二番まで題がついていたのが、四十三番で再び無題になる。それにしても、この単純といえば単純な第四十三番の詩句は、重吉の全詩の中でも最も強い印象を僕に残している。その「思い」の痛切さは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い起こさせる。この短い詩句こそは、八木重吉の全生涯を貫く熱い願いだったに違いない。
 「だあれも/人のみていないとこで/おもいきり人のためになることをしてゐれぬものか」これはもちろんのこと、イエスの言葉を下敷きにしている。「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。それは、あなたの施しが人目につかないためである。そうすれば、隠れたところで見ておられる父が、あなたに報いてくださるのだ。」(マタイ福音書6章)こうした強い戒めにも係わらず、我々は決して「隠れた施し」をそうたやすく実践できるわけではない。重吉のこの詩句も、「だあれもみていないとこで、人のためになることをする」ことの困難を嘆いているのだ。重吉も、一生懸命人のためになることをしようとしただろう。しかし、ふと気がつけば、そこに「誰かの目」「誰かの称賛」を期待する醜い自分の姿に気づかずにいられない。虚栄心に結局はがんじがらめになっている自分しか発見できないのだ。だから、重吉は願い、憧れる。「だあれも/人のみていないとこで/おもいきり人のためになることをしてゐれぬものか」と。もしそんなことができたら、どんなに気持ちがいいだろう。それこそ真の自由というものではないか。その自由を重吉は切に求めたのだ。
 第四十四番の詩句も、痛切な響きをもって我々に迫る。自分には、とても「だあれも/人のみていないとこで/おもいきり人のためになることをしてゐる」なんてことはできない。しかし、それができたらどんなに素晴らしいか。そう思うから、重吉は切に「きりすとをおもふ」。
 「いっぽんの木のように、ながれのように、キリストを思ふ」とはどういうことなのか。これは前に出た「川をかんがへる」と同じ発想であって、キリストという生きた存在をまるごと感受したいということだろう。キリストの言ったこと、その教えといったようなものを、思弁的に理解することが重吉にとって大事なのではない。そういう意味では重吉にとって、キリスト教という宗教すらも問題ではなかったのかも知れぬ。キリストは木のように、流れのように、なんの不思議もなくそこに存在しているものである。木のこと、流れのことを思う時、われわれは木や流れの概念を把握するのではなく、いわば木そのもの流れそのものになる。それと同じように、キリストの心を我が心としたい。そう願うのだ。これほど痛切な祈りはない。「どうかキリストよ、あなたの心を私にください。一切の虚栄心から自由になって、一切の自意識から解放されて、本当に純粋な心で人のためになることを心ゆくまでするという至福の時を与えて下さい。」そう重吉は祈っているのだ。しかし、奇妙なことに、そういう祈りの中で、重吉は強烈な不安の意識にかられるのだ。それは何故なのだろうか。
 普通信仰というものは、「安心立命」のためにあるように理解されがちである。死や病の不安から脱却するために、信仰にすがるというのが一般的な形のようでもある。しかし、重吉の信仰はそういう信仰のあり方とはまるで違うのだ。キリストを一本の木のように思う時、そのキリストの心を我が心に迎え入れようとする時、そこに現れるのは剥き出しにされた自我なのだ。一切の社会的な関係性から解き放たれた純粋な自我の意識は、強烈な孤独感をも生み出すだろう。一本の木のようなキリストの前に裸で立つ自分を意識した時、重吉はいたたまれぬ不安に襲われるのだ。それは星空の下でパスカルが感じた畏れの感情と同質のものだ。それは、めくるめくような深渕を覗き込む不安であり、そしてまた、驚くべき救いへの心おののく希望なのだ。重吉の信仰というものはこの二つの感情のせめぎあう所に成立する。そしてそれは一人重吉の信仰の特殊な形態というのではなく、キリスト教の信仰は本来そういうものなのだというべきだろう。森有正も信仰と不信仰は紙一重でとなりあっているのだと、どこかで言っていた。我々が、救いを信じるということは、救いを確信しているからではない。信じるということは、それが確実だから安心して身をまかせるということではない。来世の問題一つとってみても、そこに真に確実なものは何一つとしてない。それでも信じるというのは、どこまでも深い青空に向かって身を投げるようなものだ。その青空の底で、誰かが自分を受け止めてくれるのか、それともそのままどこまでも虚空を漂うことになるのか、我々は知らない。そこには不安と希望が常に隣り合わせに存在するのだ。そして信仰者というのは辛うじて、その希望にかける者のことを言うのだ。従って、重吉がその信仰の頂点とも言うべき祈りを唱えながら、恐ろしい不安におののいていたとしても、不思議ではないのだ。その不安は、重吉の信仰の切実さをむしろ側面から保証しているのだと言っていい。
 第四十五番の詩句では、そうした重吉の不安を痛々しいまでに実感させられる。これだけ取り出して読めば、なんのことやらわからぬ詩句だ。ただ桃子に対する愛情の噴出のようにも読める。しかし、この詩の前後の詩との関連で読めば、そこにただならぬ緊迫感を感じないではいられない。「柿の花が/柿の木のまわりに落ちていた/ぱらぱらとちらばっていた」という情景にさしたる意味があるわけではない。それは偶然目にふれた景色に過ぎない。しかし、重吉の心は張り裂けんばかりに緊張しているのだ。その重吉の心のありようが、唐突な次の二行を呼び起こす。「その日は/桃子にきつくほほずりしてねむりについた」何かが、重吉の心の中でせめぎあい、たたかっている。娘にきつくほほずりする重吉の切ない気分が痛いほど伝わってくる。
 次の四十六番の詩句は実にリアルに重吉の心の姿を表現している。この詩句を読むと、重吉のその時感じた気持ちをそのまま自分も感じているような錯覚に捕らわれる。一つの無駄な言葉もなく、これ以上は切り詰められないくらい切り詰めた表現で、心の激しい動揺を描ききっている。
 四十七番は、そうした心の動揺を経過した後でみる自然の姿を描いていて、非常に新鮮で奇蹟的な詩句だと言える。森の中では全てが空を指している、ということに重吉はまるで新しい世界を発見したように驚く。しかし、その驚きの表情の影に、まだ胸の鼓動がおさまらないような興奮の余韻が残っている。荒れ狂う不安と動揺のあとに訪れる深い慰め。そして深い沈黙。その中で重吉は静かに癒されようとしているように見える。
こうして、頂点を形成した『鞠とぶりきの独楽』は、やや調子を落として五十七番まで続いて終わるのだが、この四十三番から四十七番までの詩句をつらつら眺めると、重吉の詩の特異な相貌というものが改めて実感されるのだ。これらの詩句は、それまでの近代の詩人の誰の詩句にも似ていない。それほど独自なものである。近代詩人のだれであれ、その詩句がどれほど率直に自分の気持ちを語っていようと、そこにはなんらかの作為の跡が見られるものだ。一つの形をもった詩に作りあげようという意識が必ず働いている。比較的率直に自己の心情を吐露したように見える高村光太郎の「道程」や『智恵子抄』にしても、明らかな作為が見て取れる。室生犀星の『抒情小曲集』にしても、確かに心の中から流れ出てくる感情をうそ偽りなく歌ってはいるが、そこにはあくまで小曲という形を作ろうという努力の跡が見える。そういう意味では皆「詩人」たろうとしていたのだ。詩人なのだから詩を書こうという意識は当然のようにあった。まして彼ら以前の明治の詩人たちは、どのようにしたら詩になるのかを必死で考えたわけだ。誰一人、自分の思ったことをそのまま書いてそれが詩になると思った詩人はいなかった。八木重吉にしたところで、自分の思ったことをそのまま書けばそれで詩になるのだとは思っていたわけではなかった。彼とても「よい詩」を書こうという意識ははっきりともっていた。しかし、重吉は、口をついてでてくる言葉をそのまま書きつけることによって詩を作ってしまうということを図らずも実現してしまった。その希有な体験がまさにこの『鞠とぶりきの独楽』という詩集だったのだ。
 むろんこれらの詩がすべて、何の構成意識もなく、ただでたらめに思いつくまま書きつけたというのではない。しかしながら、口をついて出たときにはもう立派に詩になっているというほど、重吉の中で詩が成熟していたのだというしかない。
 重吉の詩が一見すると、だれにでも書けそうな、やさしいスタイルで書かれているため、重吉詩の亜流がキリスト教界を中心に氾濫した時期があったというが、第二の重吉は結局出現しなかった。重吉の詩は、重吉の心の中で長い時間をかけて熟成されたもので、たんなる一時の思いつきではない。八木重吉ほど一編の詩がその詩人の全生涯を負っているということを感じさせる詩人はいない。そういう詩人が何人も生まれるわけはないのである。


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