八木重吉ノート(4)

 

 


第5章 評釈『鞠とぶりきの独楽』

 『秋の瞳』にも『貧しき信徒』にも収録されていない詩の中で、もっとも不思議な魅力を堪えているのが、『鞠とぶりきの独楽』である。この一群の詩が、どのようにして重吉の中に生まれてきたのかは知るよしとてないが、ある夜忽然として、まるで天啓のように、重吉の心に届いたのではあるまいか。
 重吉にしては珍しい連作で、そこには何ともいえない快いリズムが一貫して流れている。ぼく個人にとっても、重吉の詩の中でも、とりわけ愛着が深いのがこの詩群である。彌生書房版『定本八木重吉詩集』で初めてこれらの詩に出会ってから、はや二十年を優に越そうとしているのに、いまだにこれらの詩に流れている、明るく軽やかなリズムは、僕の心の中に生き生きとして息づいているように思える。このリズムを重吉は一体どこから、どのようにして手に入れたのか。『秋の瞳』のあの「哀しみ」は一体どこへいったのか。あの信仰の苦しみはどこへ行ったというのか。まさに、田中清光も言うように、この『鞠とぶりきの独楽』は、重吉詩に全く新しい展開をもたらすきっかけとなったといえるのである。これ以後、重吉を「哀しみ」が襲わなかったというわけではない。重吉の信仰が、安易なものになっていったのでもない。だが、何かが変わった。何かが生まれたのだ。そして、おそらく、長い間重吉を苦しめていたものが、ふっと消えたのだ。その時、重吉の詩は、何人にも真似することのできない、高い境地に一挙に到達してしまったのである。それを、「悟り」などとは言うまい。苦しんで苦しんで、その後に、全く予期しない形で、重吉は「救われてしまった」のだ。その「救い」とは何だったのか。今、改めて『鞠とぶりきの独楽』の評釈を試みながら、それをじっくり考えてみたい。
 『鞠とぶりきの独楽』は、その収録詩数五十七篇。そのすべてが、一晩のうちに書かれたと言う。

   憶え書
鞠とぶりきの独楽 及び それよりうへにとぢてあるのは 皆 今夜(六月十八日夜)の作なり。これ等は童謡ではない。むねふるへる 日の全(すべて)をもてうたへる大人の詩である。まことの童謡のせかいにすむものは こどもか 神さまかである。

 「とぢてある」と言うのは、それが手製の詩集であるからで、その題、『鞠とぶりきの独楽』の脇には、大正十三年六月十八日と日付が入っている。この充実した詩集が、たった一晩で出来てしまったとは何という驚きだろう。八木重吉はマイナーポエットであるというのは、ひょっとしたら大きな間違いであるのかも知れない。その夭折と「平易で分かりやすい」詩風故に、世間にはマイナーポエットたる印象を与えたが、我々が見ていたのは、実は八木重吉という一本の樹のその芽生えの部分だけなのかもしれない。
 五十七篇の詩群の、第1番目の詩。以下便宜的に、通し番号を付けて、第何番というふうに呼ぶことにする。

   ○〔第1番〕
真理のほかに
まだほかの真理がある
みないで
それをしんじうるものは さひわひである

 これは、ヨハネ福音書の印象的なトマスのエピソードにもとずいている。復活したイエスを見た弟子から、そこに居なかったトマスはその話を聞き、「わたしはイエスの手にくぎ跡を見、そこに指を入れ、また、手をわき腹に入れてみなければ、けっして信じない。」と言う。その後、イエスはトマスのいるところに現れ、「わたしの手に指をあてて、調べなさい。手を出して、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」と言う。トマスはさすがに信じて「わが主、わが神。」と信仰告白をするのだが、その後で、イエスは言うのである。「あなたはわたしを見たから信じたが、見ないで信じる人は幸いである」と。この福音書の一節を引用した詩が、この詩集の冒頭におかれている意味は極めて大きいとしなければなるまい。
 「真理のほかの真理」とは、いわゆる科学的・実証的真理以外の「信仰的真理」ということであろう。「見ないで信じること」は、まさに信仰の核心と言っていい。従って、この詩は、重吉の言葉としてではなく、重吉が「与えられた」命題として、ここに掲げられているのだと考えたほうがよいだろう。その命題に関して、重吉は考えていくことになる。どうしたら、見ないで信じられるか、信じるとはそもそもどういう事なのかと。

   ○〔第2番〕
いろいろな
世界があることはたしかだ
ひとつのもの、鉄でさへそうだ
くされた鉄があり、
やくにたつ かたい鉄があり
とけてぷるぷるふるへる
「鉄よりも鉄」の鉄がある、
ぢごくがあり
てんごくがあり
にんげんの世もある、
みえたり みえなかったりする

 第1番の「与えられた命題」を受けて、この第2番では、「いろいろな世界」を考察してみるわけだ。「いろいろな/世界があることはたしかだ」という一節は、それまでの重吉の住んでいた世界への一方的な嫌悪の情が、やや和らげられて、そこに一種の妥協が生じているようにも見える。教員や生徒や教会の人間や、果ては妻でさえ、糾弾しなければ済まなかった重吉が、ここに来てようやく世界の多様性を受け入れかかっているようでもある。
 その例として、「鉄」を持ってくるところが、随分と突飛であるが、それはもちろん人間の様々なありようをいっているのである。「くされた鉄」「やくにたつかたい鉄」がどういう人間をあらわしているかは、言うまでもないことだが、注目されるのは、「とけてぷるぷるふるへる/『鉄よりも鉄』の鉄がある」という一節だ。「『鉄よりも鉄』の鉄」とは何のことか。鉄以上に鉄らしい鉄、鉄がもっともその本質を露わにし、その力を発揮するのは、「とけてぷるぷるふるへる」時だということになろう。ここに既に、この詩集のテーマが顔を出している。「とける」というのが、どうもこの詩集の鍵となる言葉らしい。
 「ぢごくがあり/てんごくがあり/にんげんの世もある/みえたり みえなかったりする」いくら、知力の限りを尽くして、「ぢごく」を見ようとしても、「てんごく」を見ようとしても、「にんげんの世」に真実をみようとしても、それらは「みえたり みえなかったりする」ばかりだ。「真理のほかの真理」を信じるためにはどうすればいいのか。

   ○〔第3番〕
てくてくと
こどもほうへ もどってゆこう

 これが、結論である。「何だ、八木重吉の行き着いた所は結局の所、幼稚な童心主義なんじゃないか。」と言ってはならぬ。また、その「童心主義」に心酔して、子供の素朴さのみが信仰のすべてなのだなどと早合点してもならぬ。「てくてくと/こどものほうへもどってゆく」までに、どれほどの懐疑と煩悶と憎悪が重吉の心の中に巣くっていたか。それが「こどものほうへもどってゆく」だけで、一挙に解決がついてしまうものなのかどうかは、考えるまでもなかろう。しかし、それにもかかわらず、重吉は「こどものほう」に解決の糸口があることを感じているのだ。大人は決して「こども」には戻れない。「憶え書」に「これ等は童謡ではない。むねふるへる 日の全をもてうたへる大人の詩である。まことの童謡のせかいにすむものは こどもか 神さまかである。」とあるように、大人が「こども」に戻れないことを重吉はむしろ強調しているのだ。しかし、「こどものほう」によいものがある、だから、そちらに向かって「てくてくともどってゆこう」と言うのだ。それが、「みないでしんじる」ことへの出発なのかも知れないと言うわけだ。
 一見「童心主義」風にみえながら、この詩句には、それに付き物の感傷的な要素が全くない。これが、重吉の詩の真骨頂なのである。大正七年に創刊された『赤い鳥』は、「○世俗的な下卑た子供の読み物を排除して、子供の純性を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、兼て、若き子供のための創作家の出現を迎ふる、一大区劃的運動の先駆である。○『赤い鳥』は只単に、話材の純情を誇らんとするのみならず、全誌面の表現そのものに於て、子供の文章の手本を授けんとする。」というようなことをモットーとして出発した。この趣旨に大正時代の文人の実に多くが賛同し、「第一流の芸術家」の童話が続々発表されたことは周知の事実である。しかし、このモットーからも明瞭に見てとれることは、『赤い鳥』の主宰者は、「こどもの純真さを守ってやる」「こどもの文章の手本を示してやる」というような、大人優位の立場、教育的な立場を一歩も出ていない。「こども」こそが手本なのだ、というような思考パターンは彼等には夢にも思い浮かんでいないかのようだ。それに比べて、八木重吉の「てくてくと/こどものほうへもどってゆこう」という足取りの何という軽やかさ、確かさだろう。重吉が「憶え書」で「これらは童謡ではない」とあえて断ったのも、当時全盛の『赤い鳥』風の童謡を意識してのことかも知れない。

   ○〔第4番〕
きりすとさまをおがんで
こどもの
ふところにゐれば まちがいはない

 素朴と言えば、素朴な信仰のありかたである。退嬰的にすら見える。しかし、これこそ、八木重吉が『聖書』一巻から学んだその信仰の精髄なのではなかったか。ここでは、こどもに教えてやるどころか、「こどものふところにいる」というのだ。『赤い鳥』の詩人たちは、「こどもの純清を守る」という使命感に燃えたようだが、では、おとなたる自分自身の「純清」はどうであったか。それを真剣に求める生活をしていただろうか。むしろ、女に、酒に溺れていたのではなかったか。そういう「大人の」生活をしていながら、一方で懸命に「こどもの純清」を守ろうとする。その態度が、感傷的でなくてなんだろう。そこには「こども」と「おとな」を結ぶ何の経路も用意されていないのだ。こどもは純真であればいい、大人は大人だ、という割り切りがそこにあって、「こども」が、人間扱いされていないのだ。そこで問題になり、弄ばれているのは、「こども」そのものではなくて、「こどもの純真さ」というセンチメンタルな観念にすぎない。
八木重吉は「こども」の真の精神的価値を、キリスト教の中から見出したのだといっていいだろう。「こどものほうへあるいてゆく」ことは、単なる「童心への回帰」ではなく、信仰の究極的な姿だったのだ。

   まり〔第5番〕
あかんぼが
にくけれあ
まりもにくらしい、
そんなことを おもひなさんな

   ○〔第6番〕
こどもがよくて
おとなが わるいことは
まりをつけばよくわかる

 この第5番から、第15番までが、「まり」という総題のもとにまとめられていると考えていいだろう。「まりつき」のテーマが様々に展開して、非常に魅力的な詩的世界を見せてくれる。
 第5番は、「あかんぼが/にくけれあ」と、急にくだけた話し言葉になって、これから、読者に語りかける調子を整えている。「あかんぼ」と「まり」は、同質なものなのだということが、ここでは言われているわけだが、「そんなことをおもひなさんな」の「そんなこと」とは何を指すのかは、必ずしも明確ではない。おそらくは「あかんぼがにくい」というような心のありかたそのものを言っているのだろうが、本当は「あかんぼがにくい」なんてことはありえないのだ。そうだとしたら、まりがにくらしいこともありえない。人間は、本当の自分に戻るならば、「あかんぼ」が好きなはずだし、「まり」も好きなはずなのだ。それなのに、大人になって、世俗の中で生きていくうちに、それを忘れてしまう。大人になっても、まりをついて遊ぶ人間はいない。そこに「にくしみ」が生まれるのだ。「あかんぼ」は「にくしみ」を知らぬ。そこに、戻らねばならない、と言うのだ。
 第6番は、その辺の事情を簡潔に言い切っている。まりをついていると、人間は、本来の心を取り戻し、「おとなのわるさ」がはっきりと見えるというのだ。こういう思考のパターンは、とりたてて珍しいものでもないが、ここで重吉は、「こどものよさ」に郷愁をおぼえているのではないという点に注意しなければならないだろう。本気で、「こどものよさ」に戻りたいと言っているのだし、「おとなのわるさ」を本気で告発しているのだ。

   ○〔第7番〕
あかんぼが
あん あん
あん あん
ないているのと

まりが
ぼく ぽく ぽく ぽくつかれてゐるのと

火がもえてるのと
川がながれてるのと
木がはえてるのと
あんまりちがわないと おもふよ

 この詩から、はっきりとしたリズムが生まれてくる。そして、最も重吉らしい、独自の世界が展開されはじめる。「あかんぼがないてゐる」のと、「まりがつかれてゐる」のとが、なぜ「あんまりちがわない」のか。それは、一言でいえば「無心」ということだろう。「あかんぼ」は、おなかがすけば泣くし、おむつが濡れれば泣く。そこには、ただありのままの人間の姿があるだけだ。「まり」も、つかれれば、はねかえる。その反応にいささかの邪心もない。強くつかれれば、強くはねかえり、弱くつかれれば、弱くはねかえる。何の屈折も不従順も裏切りもない。そこには「火がもえ」「川がながれ」「木がはえる」のと同じ自然のままの姿がある。大人はどうして、そのように生きて行けないのか。

○〔第8番〕
ぽくぽく ひとりでついてゐた
わたしの まりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかへしてくれるように
そんなふうに なんでもいったらなあ

 ふいに、口をついて出たような、この短い詩句。しかし、ここに、重吉の全生涯の夢があったのかも知れぬ。本当にどうして「そんなふうに」何でも行かないのだろう。一つの行為をする時にも、そこに必ず自分の余計な「心」が入り込む。虚栄・偽善・憎悪・嫉妬、そんなものの介入のない行為が一つとしてぼくらに可能だろうか。そういうことを、ぼくらは考えることすらせず、結構自分をいい人間だと納得して生きているのではないだろうか。自分が、いい人間だと思っている者ほど始末におえない者はいない。どうしても、自分がいい人間、邪心のない人間だと思えない所から出発した重吉は、「教会」に集まる甘ったるい「善男善女」に吐き気を催し、ひたすら自己を厳しく問い詰める孤独な信仰の中に生きようとした。その、厳しすぎる姿勢は、激しい純粋志向となって、妻をさえ断罪せずにはいられないほど、その信仰の幅を狭めていったのだが、その袋小路の向こうに重吉は一つの光を見ていた。無心に遊ぶ子供の世界だ。大人は子供に戻れはしない。しかし、「こどもがよくて/おとながわるい」ことも確かだ。その狭間で、重吉は重吉の切ない夢を歌ったのだ。何の解決にもならないじゃないか、と言ってしまえばそれまでだが、「そんなふうになんでもいったらなあ」という重吉の呟きは、それが不可能と知りつつも、それを自分の呟きとして呟く者に不思議な慰めを与えてくれるような気がしてならないのだ。

○〔第9番〕
ぽくぽく
ぽくぽく
まりをついてると
にがい にがい いままでのことが
ぽくぽく
ぽくぽく
むすびめが ほぐされて
花がさいたようにみえてくる

 こんなにも美しく、心の「癒し」を歌った詩人が、いただろうか。自分の生徒を「豚」と罵らずにはいられなかった重吉、同僚に「俗物」をしか見ることの出来なかった重吉、白粉くさい教会の婦人たちに吐き気を催さずにはいられなかった重吉、その重吉が、今、無心にまりをつきながら、すべての「むすびめ」がほぐされて、花と咲くのを見ている。それは、自分の価値観や感性を軸にして、周囲を断罪する姿勢からの解放を意味している。人一倍、感受性が敏感で、道徳観念も強く、自尊心も強かった重吉にとって、こうした、「やわらかい」心境は、どれほど焦がれても自分で獲得することの出来ないものであった。努力して到達するような境地ではなかった。何かの拍子に、ふと訪れる天啓のような閃きであったのだろう。『秋の瞳』の中にも、すでにこうした心境を予感させる詩句はある。

花になりたい
えんぜるになりたい
花になりたい
     (初稿欠)

無雑作な雲
無雑作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい
     (初稿「大和行」大正12・11・6)

咲く心
うれしきは
こころ咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
     (初稿「我が子病む」大正12・12・9)

赤ん坊が わらふ
赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだって わらふ
あかんぼが わらふ
     (初稿「丘をよぢる白い路」大正12・8・24)

 しかし、これらのどの詩句をとっても、『鞠とぶりきの独楽』の詩句ほどの明るさと自在さを持ち得ていないことは明瞭であろう。「無雑作なくも」などは、『秋の瞳』の中では、かなり知られた詩であるが、その抒情の基調は、どこか寂しい。その「無雑作なくも」に抱きとられ、その中に溶け込んでいく法悦のようなものは感じられない。「赤ん坊がわらふ」にしても、その中の「わたしだってわらふ」という詩句も、どこか寂しげな笑いを感じさせる。『秋の瞳』の主調は、例えば次のような詩にあるのである。

   哭くな 児よ

なくな 児よ
哭くな 児よ
この ちちをみよ
なきもせぬ
わらひも せぬ わ

 

   はらへたまってゆく かなしみ

かなしみは しづかに たまってくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまってくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほって ゆく
こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまってゆく

 こうした詩のもつ、底しれない寂寥の情調が、『秋の瞳』を一貫して流れていて、先程のような、「明るい」詩にも、微妙な陰影を落としているのだ。『鞠とぶりきの独楽』のどの詩句をとってみても、「哭くな児よ」の、寂しさの極みのような重吉の姿を見つけることはできない。それにしても、「哭くな児よ」に見える父親重吉の姿は、極めて病的で、その顔は、まるで凝固した仮面のような恐ろしさをもって迫ってくる。恐らく、重吉には、何らかの精神的な病が巣くっていて、それがこうした詩句に表れたのであろう。このような病的な要素は、『鞠とぶりきの独楽』に至って、全く影を潜めている。その代わりに、何とも言えない精神の高揚が見られるのだ。

   ○〔第10番〕
かんしんしようったって
なかなか
ゆう焼けのうつくしさは わかりきらない
わかったっていひきれない
ぽくぽく
ぽくぽく
まりをついてるとよくわかる

 「夕焼けの美しさ」が「わかる」ということは、人間の努力によって出来ることではない。「かんしんしよう」と思って、夕焼けを見て、完全に「わかったといいきる」ことはできない。美はそのようにして人間に関わってくるのではないのだ。「ぽくぽくまりをついている」そういう心の状態の時に、夕焼けの美しさが、いわば、その心に溶け込んでくる。そのようにして、美は感受される。とすれば、この構造はすでに、『貧しき信徒』の中のあまりにも有名な次の詩を先取りしているといえるだろう。

   素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋のうつしさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 郷原宏は、この詩について、次のように言う。

ここで「しずかに鳴りいだす」ものは、すでにひとつの琴ではない。琴のしらべに誘われるようにして、詩人の心が鳴っている。それは、秋の日のように単純で素朴な美しさにあこがれながら、みずからはついに素朴になりきれなかった、悩み多き近代人の心である。この詩が仮定法と未来形の組合わせで成り立っているのは、その何よりの証拠である。だからここで、ある解説書のように「この詩は明澄な秋の讃歌だが、それとともに、単純素朴なるもの、大いなる聖なるものに対する讃歌でもある」などというのは、ほとんど気やすめにすぎない。なぜなら八木重吉はここで、美しい秋の日のなかから聖なる琴の音が聞こえてきたという事実をうたっているのではなく、もしもそこへ「ひとつの素朴な琴をおけば」、その琴は「秋の美しさに耐へかね(て)」「しずかに鳴りいだす」かもしれないという仮定をうたっているだけだからである。そして、この仮定のなかには、当然のことながら、自分は琴にはなれない、自分にできるのはただその琴の音を聞くことだけだという詩人の断念がふくまれている。とすれば、「素朴な琴」によって表象されているものは、すでに「大いなる聖なるもの」などではなく、八木重吉のすぐれて近代的な詩意識──つまり単純素朴なものにあこがれながら、一方では自分は決して素朴にはなりきれないと自覚した人間の方法意識のあらわれと見ることができる。すなわち、八木重吉はここで「この明るさ」(自然性)の対極に「素朴な琴」(詩意識)を置きながら、結局それは「秋の美しさ」(自然美)に圧倒され、そのなかに呑みこまれてしまうであろうという必敗の予感について語っているのである。もとより、こうした意識のなかに、圧倒的な自然美に対する被虐的な快感、つまり「大いなる聖なるもの」への、自己の卑小感からくる信仰のごときものがかくされていたことは疑えない。むしろその卑小感が、この詩の完璧な明澄性をつくりだしたといってもいいだろう。しかし、だからといってそれを素朴な自然讃歌と呼ぶわけにはいかないのである。


「旺文社文庫解説」

 この「ノート」を書き始めて以来、ずっと郷原宏の「解説」が念頭にあった。それは、今までの重吉理解に新しい観点を導入した、言わば画期的な論考としての側面も確かに持っているが、彼の論考の焦点となっている「素朴な琴」の解釈には、初めからどうしても納得が出来なかった。それが、この「ノート」を書きはじめる直接の原因の一つでもあった。
 郷原は、八不重吉を、単なる素朴なクリスチャン詩人という既成の概念を打ち破り、八木重吉も実は悩める「近代人」だったのだということを躍起になって証明しようとしている。そうしなければ、重吉の詩人としての評価が定まらないとでもいうように。重吉がいわゆる「悩める近代人」であったことは、今までのぼくの「ノート」でも、繰り返し強調してきたことだし、その点で郷原と意見の相違はない。問題は、郷原は、「悩める近代人」であったことで、八木重吉をはじめて評価するわけだが、ぼくは、その「悩める近代人」たる重吉が、いかにして、「近代人」を乗り越えたかに興味があるのである。郷原の言う「素朴なクリスチャン」などというものは、実は現実にはそうはいないのであって、むしろ郷原が勝手に頭に描いてしまったフィクショナルなイメージにすぎない。従って、重吉が「素朴なクリスチャン」でなかったからといって大騒ぎすることはないのである。問題は「素朴なクリスチャン」ではありえなかった重吉が、いかにして「素朴なクリスチャン」に立ち至ったかということだ。郷原は、素朴な信仰は単純で簡単だと思い込んでいるようだが、実はその逆なのだ。われわれが「近代人」である以上、「素朴な信仰」に真に生きることほど困難なことはないのだ。
『素朴な琴』について言えば、「琴」が、重吉の心であることは言うまでもなかろうが、「この明るさ」の対極に「素朴な琴」が置かれているのではない。「自然性」と「詩意識」が対置されているのではない。「この明るさ」と「素朴な琴」はまさに同質のものとして、溶け合うものとしてそこに置かれている。「素朴な琴」は「ぽくぽくまりをつく心」の表象だといってもいい。そういう心は、「秋の美しさ」に実に自然に共鳴して、美しい音で鳴りだすだろう。美はそのように心に染み込んでくるということを歌っているのだ。
 たしかにこの詩は、仮定法と未来形で構成されている。しかし、だからといって「この仮定のなかには、当然のことながら、自分は琴にはなれない、自分にできるのはただその琴の音を聞くだけだという詩人の断念がふくまれている。」ということは出来まい。第一「じぶんにできるのは琴の音を聞くだけだ」とはどういうことか。「琴」が「自分の心」なら、その「音」も「自分の心」ではないか。
 「八木重吉はここで『この明るさ』(自然性)の対極に『素朴な琴』(詩意識)を置きながら、結局それは『秋の美しさ』(自然美)に圧倒され、そのなかに呑みこまれてしまうであろうという必敗の予感について語っているのである。」と郷原は言うが、「必敗の予感」とは何のことか。「自然美」の中にのみこまれることがどうして「敗け」になるのか。「近代人」たる重吉は、近代的な詩意識でもって、秋の美しさに対峙したが、その近代性故に、秋の美しさに自然に共鳴することができず、(つまり素朴な琴になれず)結局は、圧倒的な自然美の前に、自己を失い、その中に飲み込まれてしまうしかない予感に襲われた、ということか。そういう近代人の悲劇がこの詩に歌われている故にこの詩は素晴らしいということなのだろうか。そんなことではないだろう。ここに歌われているのは、「必敗の予感」ではない。「救いの予感」なのだ。「祈り」なのだ。
 しかしまた「ある解説書」のように、この詩が「大いなるもの聖なるものに対する讃歌である」とういうのも、適切な解釈ではない。それは、自意識の複雑な動きを全く目に止めていないからである。単純に秋の美しさの讃美をしているのでも、神を讃美しているのでもなく、何とかして、美をわがものとしたいという切ない祈りなのだ。それには「まりをぽくぽくつくきもち」に到達することだ。「素朴さ」を取り戻すのだ。「素朴な琴」になりきることだ。それが、可能か不可能か、わかりはしない。しかし、救いはそこにしかない。「必敗の予感」などと呑気なことは言っていられない。それが、重吉の切実な気持ちであったろう。

   ○〔第11番〕
まりを
ぽくぽくつくきもちで
ごはんをたべたい

   ○〔第12番〕
ぽくぽく
ぽくぽく
まりつきをやるきもちで
あのひとたちにものをいひたい

 こうした詩句を読むと、重吉の切実な気持ちが伝わってきて、胸を打たれる。郷原流に解釈すれば、「まりをぽくぽくつくきもちでごはんをたべたいが、おれは、近代人なのでそんな素朴さはない」ということになってしまう。しかし、そう解釈して、どこに感動が生まれよう。重吉の祈りの切実さを感じ、その祈りを自らの祈りとすることこそ、やはり、重吉の詩のもっとも「正しい」読み方なのではあるまいか。


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