78 ぼくのオーディオ遍歴 その3 ──「屈辱」のソノシート

2021.9.10

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  中学1年だったのか、2年だったのか、定かではないのだが、音楽の授業で、先生が、こんど音楽鑑賞をするから、家から自分の好きなレコードを持ってきなさいと言った。

 持ってきなさいといったのか、持ってる人は持ってきなさいと言ったのか、その辺は定かではないが、たぶん後者だったのだろう。みんながみんなクラシックのレコードを持っているような時代ではなかったはずだ。

 民謡ばっかり歌う変なところがあるとはいえ、相当まじめな中学生だったぼくは、レコードは持ってないけど、ソノシートなら持ってると思って、「ウイリアムテル序曲」の入った黒っぽいソノシートを持って行った。
最初の回でも書いたように、この曲とか、「魔弾の射手序曲」とか「詩人と農夫序曲」とかを、風呂に入りながら聞くほど好きだったので、これを持参したわけだ。

 同級生の何人が持っていったのか覚えてないが、とにかく、ぼくのソノシートの「ウイリアムテル序曲」がステレオにかけられた。ステレオ装置がどのようなものだったかも覚えていないが、学校の音楽室に設置されていたわけだから、いくら貧乏な学校とはいえ、まあ、ある程度の大きさの、ある程度の高級なものだったのだろう。

 しかし、その曲がステレオから流れてきたとき、驚きのあまり、耳をふさぎたい思いにかられた。あまりに音がひどすぎたのだ。家の卓上電蓄で聞いたときは、その音に十分に満足していたのに、友人が持ってきたLPレコードの音を聞いたあとでは、ぼくのソノシートから流れ出てくる音なんか、一つ一つの楽器の音が分離せず、すべての音がまるで饅頭のように、おにぎりのように、固まってしまって、メロディーすら分からなくなるような代物だったのだ。

 今考えると、ソノシートの音がそれほどひどいとも思えないのだが、やはりLPレコードとの差は歴然としていて、ぼくは、驚くとともに、なんともいえない恥ずかしさにおそわれた。はやく終わってくれと、ただひたすら心のなかで念じた。

 ソノシートなんか持っていかなければよかった、と思った。ひどい屈辱感だった。大好きな曲だから、みんなにも聞いてほしいと思って持って行ったのに、出てきた音があんなひどい音だったなんて。それに引き換え、あのLPレコードから出る音のなんという美しさだ。ああ、「ウイリアムテル序曲」も、LPレコードだったらどんなに素敵な音で鳴り響くことだろう。そんな思いでいっぱいだった。

 あの授業にレコードを持ってきた生徒はたぶん数人だったはずだ。鎌倉あたりから通ってくる金持ちの同級生だったに違いないと思っていたけど、それはぼくの偏見かもしれない。ただ、私学だけあって、同級生には金持ちの家の者も多く、ぼくみたいな下町の職人ふぜいの子どもとは、身にまとう雰囲気も違っていた(はずだ)。

 ぼくが、味噌汁のことを「おつけ」というと、何それ? 「おみおつけ、でしょ」とか、食膳のことを「ちゃぶだい」というと、「おぜん、でしょ?」とか言って、ロコツに馬鹿にするヤツもいたので、よくけんかしたものだ。今だったら、おまえ落語も聞いたことねえのかと言って反論するところだけど、そんな知恵もなかった。

 結局のところ、貧富の差、そして教養の差が、ぼくらの中には歴然としてあって、中高6年間を通して、そのなかで、ぼくはもがいていたような気もする。もちろんそれは深刻なものではなかったし、それどころか、生物部の活動に熱中していて、そんなことはすぐに頭の隅に追いやられたが、しかし、それは、根深くぼくの心のなかに巣くっていてその後も消えることはなかったし、今でも、消えてはいない。

 何人かが、LPレコードを持ってきたのに、ぼくが持って行ったソノシートを、先生は、ちゃんとかけてくれたのだが、「ああ、これは音がよくないから、やめとくね」とはさすがに言えなかったのだろうか。あきらかに質のよくないソノシートを、あえてかけたのは、ぼくの気持ちに配慮したからなのか。それとも、単なる無頓着だったのか。それは分からない。ただ、なんとなく、先生は、ぼくがソノシートを差し出したとき、ちょっと困ったような表情を浮かべたような記憶がかすかにある。

 何はともあれ、その「屈辱」の経験は、わりとすぐに、LPレコードあるいはEPレコードへと向かうきっかけとなったことは確かだ。

 今度は、もう、民謡じゃない。クラシックだ。それもLPレコードだ。

 そんなぼくが、初めてクラシックのLPレコードを買ったのは、高校に入ったころだったろうか。クラシックに関する知識もほぼ皆無だったが(ぼくは、高校で芸術科目の授業を受けたことがない。この事情を話すと長くなるので省略するが。)、どこでどう知ったのか、ドビュッシーの「交響詩『海』」と「牧神の午後への前奏曲」が入ったLPレコードだった。ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏だった。その大きなLPレコードは、卓上電蓄のターンテーブルをはるかにはみ出したが、それでも、ちゃんと聴けた。

(つづく)

 


 

 

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