66 「インドリンゴ」と「今官一」

 

2020.7.11

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 このところ、隙間時間があると読みつづけている高見順の「昭和文学盛衰史」は、とんでもなく面白いのだが──といっても、波瀾万丈の面白さというのではなくて、とにかく、今まで知らなかった昭和期の作家がメジロ押しで出てきて、ほおお、とか、へええ、とかの連続という意味だが──今日読んでいたところに、突然「インドリンゴ」という言葉が出てきて、ああ、そういえばそんなリンゴがあったなあと懐かしさでいっぱいになった。ちょっと引用しておこう。

「インドりんごというのは、あれはインドが原産なのかしら」
 と私(高見順)は言った。去年の二月に私はインドに行ったが、日本でインドりんごと言っているあんな見事なりんごは、ついぞ見かけなかった。大体、りんごというものを一度も見なかった。
「あのインドはインドでなくてインディアナ──アメリカのインディアナ州のあれから来てるんですよ」
 と川崎陸奥男は言って、私にこんな話をした。明治八年に東奥義塾という学校に(今でも高等学校として残っている。)John Inge という宣教師がはるばるアメリカから渡ってきて教師になった。そのとき彼が自分の持ってきたインディアナ産のりんごの種子を、日本の土地に植えてみたら、その木に突然変異で、アメリカ本国にも無い珍しいりんごの実がみのった。これがつまり、インディアナりんご、今日のインドりんごであるという。
 今官一の出版記念会で彼がほかならぬこの東奥義塾の出身であると知らされたとき、去年弘前で聞いたこうした話が私の心によみがえった。同時に、りんごのあの爽やかな香りが思い出された。そのりんごの香り──それは今官一の小説の香りのようである。そしてそのりんごの香りは何かハイカラな──古風な言葉ながら私にはこれが一番ぴったりくる、そういう香りだということで、今官一の小説と結びつくのである。今官一の小説もハイカラである。私はテーブル・スピーチを求められたとき、そういったことを話した。

高見順「昭和文学盛衰史──第18章 津軽の作家」(文春文庫・423p)

 津軽といえば、太宰治がすぐに思い浮かぶが、そこには豊かな文学的な土壌があったのだ。福士幸次郎、葛西善蔵、石坂洋次郎などは有名だが、必ずしも「津軽の作家」として記憶されているわけではないだろう。

 当時はそれなりに活躍していた作家も、多くはすっかり忘れ去られている。高見順のこの本が面白いのは、そうした忘れられた作家の名前をこれでもかというほどに記録しているからだ。それも愛惜の思いを込めて。「今官一」もそのひとり。ぼくも初めて知った作家だが、この紹介で、ちょっと読んでみたくなった。

 インドリンゴは、とっくに作られていないかと思ったのだが、今でも買えることが分かった。ちなみに今よく見かける「王林」の親らしい。今官一の小説も、もう読むことはできないと思っていたら、古本でかなりのものが入手可能と分かった。

 インドリンゴをかじりながら、今官一の小説を読んでみたいものだ。ハイカラな感じがするだろうか。

 


 

 

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