77 ぼくのオーディオ遍歴 その2 ──ソノシートで民謡を聞いた

 

2021.8.14

★画像付きブログで読む


 

 初めて自分のものとして買ってもらった卓上電蓄で、「軽騎兵序曲」だの「魔弾の射手序曲」だのを、悦に入って聞いたいたのだが、そのうち、中2のころだっただろうか、何を思ったのか、「ビクター少年民謡会」(今では演歌歌手の長山洋子もかつてはこの会員だったらしい。)のソノシートを自分で買った。そしてそれを聞きまくった。聞いているだけでは物足りなくて、歌いまくった。なんとかうまく歌いたいと、何度も聞いた。さすがに、その会に入ろうとは思わなかったが。

 それにしても、なんで中学生が民謡なのか。それも東北とか、九州とか、地方の中学生ならそういう文化的土壌に育まれてということもあるだろうが、横浜の下町のペンキ屋の息子が、どうして民謡なのか。

 答は簡単だ。それは、幼い頃から、一緒に寝ていた祖母と祖父が、いつも、枕元のラジオで聞いていたからだ。民謡だけではない、むしろ、浪曲の方が多かったはずだ。浪曲の方は、あまりに難しくて、ソノシートを買うような気を起こさずにすんだのだが、民謡は、「少年民謡会」なんてのがあるくらいだから、子どもでも歌えるわけだ。これが浪曲だと、子どもには無理だ。「コロンビア少年浪曲会」なんてちょっと想像できない。

 落語の「寝床」じゃないけれど、自分で歌って満足していればなんの問題もないわけだが、何事でも、行くつく果てに「発表会」というものがある。それも、修業を積んだ人が、それなりの指導を受けて、それなりの「発表会」に参加するならまだしも、自分で勝手に企画して、人を集めて「発表」なんてされたひにはたまったものではない。被害甚大である。

 ぼくの民謡は、もちろん、大店の旦那芸じゃないから、「発表会」を企画して人を集めるなんてもんじゃなかったのは当然としても、ある意味、それよりタチが悪かった。(「寝床」の場合は、食事がふるまわれた。)

 ぼくが「発表」の場として選んだのが、遠足のバスの中であり、夏の海の合宿のキャンプファイヤーだった。これはもともとぼくの歌が要請されているわけではない場なので、いわばぼくは闖入者であり、乱入者だった。

 中3の夏の海のキャンプファイヤーで、ぼくは、指名されてもいないのに、真っ先に手をあげて、「花笠音頭」だか「北海盆唄」だかを得意になって歌ったものだ。

 後年、ぼくが、母校に教師として戻った直後、恩師の国語科のF先生と話したおりに、先生が「いやあ、君は16期だよね。16期は、ぼくが赴任して最初に受け持った学年なんだけどさあ、えらく変わった生徒がいてねえ、びっくりしたんだ。」というので、どんな生徒でした? って聞いてみると、「それがさあ、海のキャンプのキャンプファイヤーでね、民謡を歌ったヤツがいるんだよ。もうびっくりしたなあ。変わってるなあって思ってさあ。」と感に堪えないといった風情で遠くを眺めるのだった。「先生、それ、ぼくですよ!」って言ったときの、F先生の驚愕の表情を今でも忘れることができない。
そういうぼくだったから、高校生になっても、遠足があると、バスの中でも率先して民謡を歌った。その頃には、「花笠音頭」とか「北海盆唄」とかいった入門的な歌ではなくて、もうちょっと高度な「ひえつき節」とか「南部牛追唄」とかいった歌を朗々と歌ったものだ。

 ということを、17年ほど前に出版した「栄光学園物語」に、わざわざ1章をさいて書いたら、それを読んだ同級生が、同窓会のときに、「ほんとに馬鹿なヤツだと思った。」って言ってきたのだが、そのときも、まあそうだろうなぐらいに思って、それほどビックリしなかったのだが、それから更に10年以上経った同窓会で、誰かが、「あの頃さあ、遠足にバスでいくたびに、変な歌を歌うヤツがいるから、バス変わりたいって言ってたヤツがずいぶんいたんだぜ。」って言うのを聞いて、そのときは、本気で驚いた。そうか、そんなに嫌がられていたのかあと、初めて認識したからだ。「変わったヤツ」とか、「変なヤツ」とかいうのは、まあ、そこそこの親愛の情がこもっているとばかり思い込んでいたのに、実際はそうじゃなくて、「心底嫌だった」ヤツがいたということに衝撃を受けたのだ。「寝床」の旦那を笑えない。

 そういえば、遠足の後のホームルームで、「バスの中で、人の知らない歌を得意になって歌うのはよくない。」と担任がみんなの前で話したことがあり、それがぼくのことだということはさすがに分かったけれど、心の中では「てやんでえ」って思っていた。こちとらは、ソノシートを懸命に聞いて、一生懸命練習して歌っているんだ。それの何が悪い。そもそもマイクが回ってきても、誰も歌おうとしないじゃないか。だから、オレが場を盛り上げようとして歌ってるんじゃないか、と、腹を立てていたものだが、ひょっとしたら、「心底嫌だ」と思った同級生が、担任に「なんとかしてほしい」と嘆願したのかもしれないなあ、なんて、卒業して50年も経ってから、思ったりしたのだった。

 そういえば(と芋づる式に出てくる思い出だが)、仲のよかった友人が、ある日の休み時間、ツカツカとぼくの前にやってきて、「おまえ、なんであんな泥臭い歌を歌うんだ。やめろ!」と真剣になって怒ったことがあった。「泥臭くて何が悪い! 日本人が日本の歌を歌って何が悪い!」といったようなことを言ってぼくはぜんぜん取り合わなかったけれど、今思うと、彼は、ぼくがみんなに「心底嫌がられている」ことを知っていて、なんとか、助けたいと思ったのかもしれないなあなどと今更ながら思って感謝したりしている。

 なんだか、オーディオとは関係ない話になってしまったが、それもこれも、初めて買ってもらった卓上電蓄の余波だったのである。

 それはそれとしても、どうして、そんなに民謡が「嫌」だったのだろうか。「変な歌」とか言っていたらしいから、彼あるいは彼らは、生まれて初めて民謡を聞いたのかもしれない。鎌倉あたりから通ってくる、お金持ちのボンボンも多かったから、生まれてからクラシック音楽しか聞いたことがないという*葉加瀬太郎みたいなヤツがきっといたんだろうなあ、と思うと、ある意味感慨深いものがある。

(つづく)

 


 

 

Home | Index | Back | Next