76  ぼくのオーディオ遍歴  その1

 

2021.8.8

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 オーディオに凝っていた時期がある。といっても、貧乏教師だったから、常に、ハイエンドではなくて、「入門編よりちょっと上」レベルの話だが、それでも、けっこうな金を使った。初めのうちは、使った金額だけのレベルアップが確かにあって、そのたびに耳を開かれる思いがした。

 思い起こせば、オーディオ趣味のはじまりは、ほんの幼少期だったのかもしれない。ペンキ屋という、おおよそオーディオなんかと縁のなさそうな家に生まれたのに、なぜか、家の床の間には、幼いぼくの背をはるかに越えた「電蓄(電気蓄音機)」がデンと据えてあった。今思えば、高さはせいぜい1.5メートルぐらい、幅は70センチぐらいじゃなかったろうか。「となりのトトロ」を見たことがある人なら、最初のほうで、トラックから降ろして運送屋のおじさんが運んでくる、あれである。(あれ、一度も使われてないけど。)

 それはおそらく父の趣味ではなくて、当時一緒に住んでいた(ような気がする)叔父が、勤め先の進駐軍の施設から払い下げてもらったものではなかったろうか。とにかく、ぼくからすればバカでかい電蓄で、一番上にターンテーブルがあったのをよく覚えている。たぶん、ぼくが3歳ぐらいのころだったと思う。その電蓄で、それでSPレコードから流れ出る音楽が好きでならなかったらしい。しかし、何度も何度もかけろと言ってきかないので──これは今同居している孫にそっくり受け継がれているのだが──困り果てた親(たぶん父)は、そのターンテーブルにレコードの代わりに鬼の絵を載せて、ぼくに見せて泣かせたらしい。そんな子どもだましが効いたのかどうか定かではないが。その電蓄で聞いたのは、たぶん、童謡だったような記憶がかすかにある。

 それがぼくのオーディオ事始めだった。そのころ、家から歩いて10分ほどのところにあった伊勢佐木町商店街での「縁日」が毎月、「1」と「6」のつく日にあった。たしか、「一六」とか言っていたはずだ。1と6のつく日なんて、月に6回もあるのだが(そんなに毎回あったっけ? 夏だけだったような気もする。)とにかく、それに行くのが楽しみだった。その縁日に行くと、決まってレコード店の「美音堂」(だったと思う)の前で、流れている音楽に合わせて踊り狂って、なかなかそこを立ち去らなかったらしい。──ああ、これも、孫に受け継がれているなあ──そこには、いったい何の音楽が流れていたか知らないが、クラシックでないことは確かだ。昭和20年代の後半あたりのことだから、ジャズとか、歌謡曲のたぐいだったのだろう。もちろん、そのころは、「音質」なんて分からなかった。ただ音楽があればそれでよかったのだ。

 次は、小学生か。いや、中学生だったろう。小学校の高学年は、ぼくが生涯でいちばん勉強した(させられた)2年間で、音楽どころの騒ぎではなかったから。小学校5年にころに家に来た白黒テレビも、受験勉強のためといって、祖母が(祖母が、ぼくを栄光学園受験へと駆り立てたのだった)押し入れにしまってしまったほどだ。だからもう、小学生前半の記憶はないし、あっても不思議ではない後半は、辛い勉強一色に塗りつぶされており、楽しい思い出などひとつもない。泣きの涙の2年間だった──なんてことはどうでもいいとして、そういうわけだから、オーディオどころじゃなかったことは確かだ。

 となると、たぶん、中学1年のころだろう。買ってくれとせがんだのだろうが、親が「卓上電蓄」を買ってくれた。20×30センチぐらい、高さは10センチぐらいの電蓄で、本体がサーモンピンクだった。どこの製品だか覚えてないが、とにかく、これで自由にレコードが聴けるというのがうれしかった。

 問題はどうやってレコードを手に入れるかである。ターンテーブルは、45回転のEP版しか乗らない大きさだったが、33回転のLP版も聴けるのだった。レコードが電蓄の外にはみ出してしまうけれど、音質には問題がなかった。というか、そもそも「音質」などという代物ではなかったわけだ。
中学生が手頃に買えるレコードというものは、若い人はもう知らないだろうが、ソノシートというものがあって、これは、安価で、雑誌の付録についていることさえあった。「朝日ソノラマ」なんてものがあったような気がする。それで、どういう選択なのか、クラシックの、入門的な曲を買った。それがスッペの「詩人と農夫序曲」だったり、ウェーバーの「魔弾の射手序曲」だったり、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」だったりした。

 あるとき、何を思ったか、風呂に入りながらそれを聞きたいと思って、風呂場の近くにあったぼくの勉強部屋で、そのレコードをめいっぱい音量をあげてかけて、風呂に入りながら聞いたことがある。短い曲だから、すぐに終わったと思うのだが、なんだか、いい気分だったことを覚えている。
そのスッペの「詩人と農夫序曲」は、それこそ、ソノシートがすり切れるほど聞いた曲で、後年、侯孝賢監督の「冬冬の夏休み」でその曲が流れたとき、あまりの懐かしさに映画館の片隅で滂沱の涙を流したことがある。映画館であんなに泣いたことはない。

(つづく)

 


 

 

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