75  与謝野晶子とか厨川白村とか

 

2021.8.2

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 昨今は、教科書関係の仕事しかないが、それも次第に減ってきて、残りわずかとなっている

 そのお仕事の関係で、普段は読まない本も買うことになるわけだが、かなりよく知っているつもりの与謝野晶子なんかも、やはり研究書を読むと、へえ! ってことが多々ある、というか、そういうことばかり。断片的に知っていたことがまとまった知識となるという喜びもある。アマゾンで検索したら、その名も「與謝野晶子」という、よさそうな本がみつかった。著者の渡邊澄子という人は、ぜんぜん知らない人で、最近の研究者かなと思って調べてみたら、大東文化大学の名誉教授で、なんと御年91歳。1998年の出版だから、68歳ごろの著作ということだろか。

 与謝野晶子の歌がいかに革新的で衝撃的だったかということは、よく分かるが、「衝撃的だった」ということを、今の高校生が理解するためには、その当時、恋愛というものがどのように世間の人に認識されていたか、あるいはされていなかったのかということを、教室で、ざっと説明する必要があるはず。でも、それは容易なことじゃない。例えば、生徒がみんな田山花袋の「蒲団」でも読んでいれば、感覚的に、ああそういうことね、って分かるはずだけど、それでも実は不十分だ。

 この前読んだ平野謙のエッセイで、「坪内逍遙の『当世書生気質』にはセックスはあっても恋愛はない。」って彼が大学の講義で話したということが書かれていたが、それはいったいどういうことなんだと言われても、ぼくは即座に説明できない。

と いうわけで、今度は、日本の明治のころの恋愛についての本はないかなあとネットで探していたら、その名もドンピシャの「近代の恋愛観」という本が見つかった。著者は厨川白村(くりやがわ・はくそん)。その本はどこにあるのかと探していたら、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収蔵されていることが判明。それを見てみると、なんと、全ページが電子書籍化(pdf化)されていて、自由に読める。しかも全ページダウンロード可とある。さっそく試してみたのだが、何十分たってもダウンロードされないので諦めた。ダウンロードなどせずにそのまま読めばいいわけだが、元となっている本が、汚くて、書き込みだらけ。こんなのなら、自分で元の本を買ったほうがいいやと思い、ネット古書店で探したら、1800円(送料別)で売っていたので、即買ってしまった。

 さっき届いたのを見たら、それこそ古色蒼然とした本で、初版は大正11年。奥付をみると、大正11年10月29日に初版が発行されているが、そのたった一ヶ月あとの11月24日には、なんと20版となっている。この「版」というのが、どういう意味なのか、今でいう「刷」とどう違うのかはよく知らないし、一回の版で何冊刷ったのかも分からないが、とにかく、「やたら売れたらしい」ということは確かだろう。調べてみたら、「恋愛至上主義」を説いたこの本は、大ベストセラーとなり、大きな影響を与えたということだった。ぜんぜん知らなかった。はずかしい。

 本の作りは本格的で、天金で、小口は切りそろえてない。思わず写真を撮ってみたが、なんとも風格がある。本文も書き込みなどなくきれいなものだが、これは自炊する気になれそうもない。ほんとは、自炊して、「国立国会図書館デジタルコレクション」より高品質な「電子書籍」にするつもりだったんだけど。国会図書館も、どうせデジタル化するなら、もっと質のよい原本を求めるべきだよね。

 


 

 

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