74  珍答案と平野謙 

 

2021.7.29

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 ながいこと、ぼくは、大学教授ほど気楽な職業はないと羨望の念を抱かないこととてなかったのだが、ようやくヨワイ71にして、いろいろな場面で大学教授の方と知り合いになり、その仕事の内実をそこはかとなく知るに至って、まことに、申し訳なく、高校教師こそが実は気楽な職業であったのだと、ハタと気づいた次第である。

 ぼくは、中学高校の教師を実に42年の長きにわたって勤めたのだが、その仕事の中でも、採点がいちばん苦痛だった。採点に準ずるものとして、生徒の書いた作文(読書感想文とか)を読むのも苦痛でしょうがなかった。そういうのがないから、大学教授はいいなあとアサハカにも思っていたのだが、そういう思い込みは、ぼく自身が、未曾有の学園紛争のただ中に大学時代を過ごしたために、大学教授と個人的な関係をほとんどむすぶことができず、したがって、彼らの生活の実態を知らぬまま、教師になってしまったからだと思われる。

 もっとも、中高以来のぼくの大切な友人のほとんどは、大学教授となったのだが、彼らからは、あまり生活の愚痴を聞いたことがなかった、もしくは、聞いても適当に聞き流していたのかもしれない。

 つい最近、長年書棚に「死蔵」状態にあった「平野謙全集」を、コロナ禍のつれづれに、自炊したのだが、その最終巻の「第13巻──はじめとおわり」には、様々な文章が雑多に収められていて、それを寝っ転がって、iPadで、ぱらぱら読んでいたら、実におもしろい文章に行き当たった。

 書かれたのは昭和36年で、このころ、平野謙は、早稲田大学の政経で講師をやっていたらしい。その時の、思い出話である。

 平野謙は、ずっと批評家として生きてきた人で、学者ではないのだが、非常勤(?)講師を頼まれたらしい。ほかには、いつだか忘れたが明治大学でもやっていたことがあるはずだ。

 あるとき、試験答案を読んでいたら、とてつもなく面白い答案があって、夜中にひとりでゲラゲラ笑ったというのだ。こんなふうに書いている。

人なみに学年末の教師らしい経験をなめたついでに、在学生の試験の答案の一傑作をここに披露しておきたい、と思いたった。私蔵しておくのは惜しいのである。

 おいおい、その学生の「著作権」はどうなるんだい? って今ならツッコミが入りそうだけど、まあ、その学生が平野謙のこんな文章を目にする機会なんてコンリンザイありそうもないから、それでいいと思ったのだろう。

 で、平野はその答案をまるまる引き写してみせる。

 ぼくも、「著作権」が多少気になるが、まあ、どうせ公開されてしまったものなので、ぼくが「私蔵」しておくのは「惜しい」ので、そのまま紹介したい。

 

 鴎外は、明治十七年帝国大学の医学部を卒業してから、翌明治十八年独逸に留学し、明治二十三年まで衛生学について主として学問を学んだ。この『舞姫』は、彼が留学中の事柄を想起して書いた作品である。主人公は長谷川達之助といい独逸に留学している間に、一女性エリスと知り合う。この女性は、日本の花売娘のような職業についていて、客にこびを売りながら物を買ってもらう。達之助はあわれな彼女に同情し、いたわっている内に、お互の間に恋愛関係が生じる。この事が上役の耳に入り、問題となる。長谷川という男は、元来消極的で、決断力が乏しく、上役の命令をそのままうのみにして従うという気の弱い青年であったので、エリスと一緒に帰国したものか、このまま独逸に残って引きつづき学問を研究して行くべきか迷った。たまたま母が亡くなったという通知を受けとる。結局、単身帰国することになる。帰国の旅費はエリスを捨てるという条件で出してもらう。帰国はしたが頼るべき人とてなく一人ぽっちになっているところへ、エリスが彼を追ってくる。生涯を共にすることなく帰国へとエリスを踏みきらす。
 この作品で鴎外は恋愛至上主義を唱え、当時の男女関係が、セックスにはしる醜いものであることに対して、プラトニックラブの尊さを世にとうている。この事は、硯友社文学に対しての戦でもある。言文一致のスタイルで書かれていて、これまでにない新鮮さを出している。

 

 そして、こんなふうに書いている。

 これが答案の全文だが、キレイな読みやすい字で書かれていて、私などよりよっぽどうまい。ほとんど誤字もなく独逸、恋などという字はみな正字である。ケシも一個所をのぞいて全くない。そのケシは最後の「言文一致」というところで最初言文一致と書き、それを二本棒で消して右側に「雅文調」左側に「言文一致」と書きこんで、右側の書きこみの上にはX 印がつけてある。筆者の迷いを示すもので、私は左側を採った。できれば全文を凸版にとってみせたいくらいである。筆跡だけからいえば、最上級に属する。人情として、字のキレイな答案に好意を持ちがちなのはやむを得ぬところで、私は最初からこの筆者に好感をいだいた。


 昔、都立高校で教師をしていたころ、試験の平均点が、どうしても女子の方が高くなってしまったものだが、それは、ぼくが女子をヒイキしたからではなくて、平野がいうように、「字のキレイな答案」は、圧倒的に女子に多く、それで女子の答案に「好感をいだいた」からであろう。こんなことを書く平野謙にも、ぼくが好感を抱いてしまうのもまたムベなるかなといったところである。

 さて、「問題はその内容である」と平野は続ける。

 この答案を読んだときは、及落会議までに卒業論文と学年末試験の採点が間にあいそうもなくなって、宿屋にとまりこんでいたのだが、深夜私はひとりでゲラゲラ笑いながら読んだ。隣室の人が気にするかと思ったが、笑わずにいられなかったのである。

 そうだろうか? これが「ゲラゲラ笑う」ほどおかしな答案だろうか、と思っていると、いちいちその「おかしさ」について説明してくれる。「ここにはいろんな誤りがあるが、その思いちがいには一々根拠があって、私にはおかしかったのである。」のだという。

 最初から違う。鴎外が医学校を卒業したのは明治14年で、ドイツ留学に出かけたのは明治15年だ。しかし、そんなのは序の口である。平野も、「それは別にしても」と軽くスルーしている。

 しかし、平野に説明されなくても、少なくとも、「舞姫」を読んだことがある人間なら、主人公が「太田豊太郎」であることぐらい知っているはずだ。現在の日本の多くの人々も、かつては高校の国語の時間で「舞姫」を、「なんだわけわかんねえ」とか、「なんだこのトヨタロウって男は!」とか思って読んだはずで、たとえ、その名前を忘れてしまったとしても、「長谷川達之助」などというまったく関係のない名前が出てくるわけがない。

 しかし、それではこの名前はこの学生がでっち上げたものかというとそうじゃない。平野は言う。

断わるまでもなく、これは二葉亭四迷の本名長谷川辰之助がまぎれこんだもの。

 すごいじゃないか。「舞姫」を読んでないのに、二葉亭四迷の本名を知ってるなんて!

 次に、おおくの読者が「え?」って思う(はず)なのは、エリスの職業が「花売り娘」となってるところ。平野は言う。

エリスの職業は花売り娘ではなく、下っ端の踊り子である。下っ端の踊り子を『舞姫』などとよぶのは似合わしくない、と石橋忍月が難じたのは有名な話だ。なぜ花売り娘などという奇想天外の職名がとびだしてきたかといえば、幸田露伴の『風流仏』の女主人公を説明するとき、いまでいえばバアの花売り娘みたいなものと私がいったのを思いちがいしたためだろう。

 そうか、石橋忍月(評論家山本健吉の父)は、そんなナンクセをつけていたのか、しらなかった、と感嘆するまもなく、「風流仏」の話だ。「いまでいえばバアの花売り娘みたいなもの」っていう説明をする平野謙ってやっぱり面白い。しかも、それをまじめに聞いていて、「なに? 花売り娘って?」と思いつつ、覚えている学生。笑える。その「仕事」の説明として「客にこびを売りながら物を買ってもらう」なんて、必死に想像したさまが思い浮かぶ。

 さて、肝心のラスト。発狂してしまって、置き去りになるエリスはどこへやら、追いかけてくる。もっとも、この間違いには同情すべき点もあって、平野はこう書いている。

エリスは懐妊し、発狂することになっていて、日本まで追っかけてくるはずはないが、小説とちがって、やはりエリスという正体不明のドイツ女が鴎外の帰朝まもなくあらわれ、森一家はその対策に苦慮した、というような余談を私がしゃべったのを、この筆者はおぼえていたのだ。

 なるほど、ぼくも、授業でもそういう「余談」は話した覚えがある。そこがごっちゃになったわけだ。ま、ご愛敬だね。しかし、その後の一段落がひどすぎる。的外れもはなはだしいのだ。

 しかし、そういう筋書きの小説がなぜ「恋愛至上主義」を表現したことになるかはマカ不思議というしかない。これは北村透谷の生涯がまぎれこんだためで、恋愛という観念が日本に確立したのは透谷ら《文学界》同人の功績だ、だからこそ透谷らは硯友社一派と対立せざるを得なかったのだ、と私は説明したのである。また、『当世書生気質』にはセックスだけあって恋愛はない、というようなことも私はいった。言文一致か雅文調かで、筆者が再考せざるを得なかったのは、『浮雲』も『舞姫』も、現物を読んでいない証拠だろう。だから、筆者は両テンビンを賭けたのだが、どちらにしても、『舞姫』のエキゾティシズムが当時清新な印象を与えたことはまちがいない。

 「舞姫」を読むにあたっては、まずその「雅文調」がネックになるわけで、昨今では、これを高校の教科書に入れるかどうかで、いつも編集者は頭を痛めている。会社によっては、現代文訳をつけるとか、原文を「わかちがき」するとか、いろいろ工夫しているところである。それなのに、「舞姫」が「雅文調(文語)」だったっけ? それとも「言文一致(口語)」だったっけ? なんて迷い、その迷いを筆跡として答案に残すなんて、「読んでません」と告白しているに等しい。

 しかしまあ、これだけの文章を作り上げるというのは、さすがは早稲田の学生ということだけのことはあって、たいした才能である。そして、平野はこんなふうに評するのだ。

 こう説明すると変哲もなくなって、私の感じたおかしみはうまく伝わらないけれど、すくなくともこの学生が前期の私の話をほとんど全部きいていることは明らかで、私はこの筆者の出席率に好感をいだかざるを得なかった。

 ほんとにそうだ。政経学部の学生が、日本近代文学の授業を欠席もせず、居眠りもせずにこんなにちゃんと聞いているなんて感動的ではないか。

 この後、平野は、「エリスをエリカあるいはハリスと書く学生」とか「『吾輩は猫である』を『我が背は猫である』」とかに比べたら、はるかにこの学生の誤りは「恕すべきだと思う」としている。

 そうかなあ。「エリカ」のほうが「長谷川達之助」よりは、「恕すべき」だと思うんだけどなあ。でも、「長谷川達之助」の出所はたぶん自分の余談だから、うれしいんだろう。平野は書いてないけど、講義の中で、言文一致とか、二葉亭四迷とか、ついでにその本名とかについて語ったに違いないから。

 さて、この短い文章の最後はこんなふうになっている。

 私のひそかな嘆きは、花袋の『蒲団』は純然たる私小説ではない、と毎年口をすっぱくして力説しても、『蒲団』の答案となると、依然として『風俗小説論』の中村光夫説(昭和三十六年三月)が最有力だということである。無論、中村説だから減点するというようなケチなことは私はしないが、やはり人情として、私の話をよく聞いてくれた学生には自然好意を持つことになるのである。

 そうか、平野謙は、「蒲団」についての自説を大学でも「毎年口をすっぱくして力説」していたのか。「蒲団」の最後の例の場面について、平野謙は「あれは不自然だ。虚構だ。」とするのに対して、中村光夫は事実だといって譲らなかった論争があったことは知っていたが、こんな場面で出くわすと妙に生々しくて楽しい。

 ちなみに、平野が「不自然だ」というのは、主人公の男が、去って行った女の夜具に顔を突っ込んでその匂いを嗅ぐという有名な最後の場面で、食いつめた文学青年が夜逃げをしたわけでもあるまいし、良家の令嬢が、荷造りもしないまま、夜具を押し入れに突っ込んだままで国に帰るはずがないじゃないか。絶対にきちんと片付けて出て行くはずだ。そこに虚構がある。といった指摘をしたのだ。それに対して中村光夫は、なんでそんなこと断定できるんだ。そういうことだってありうるじゃないかとか言って反論したはずだ。この平野の記述によれば、どうも中村光夫のほうが分がよかったようだ。

 それにしても、「ひそかな嘆き」だの「中村説だから減点するとういうようなケチなことはしない」だのといって、悔しがっているのが面白い。やっぱり、平野謙は、正直で、愛すべき人である。

 


 

 

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