73 開会式の日のこと
2021.7.26
今回のオリンピック開催のゴタゴタを目の当たりにして、開会式なんて見るもんかと思ったわけだが、そのとき、前回の東京オリンピックの開会式のことがありありと思い出されて、思わず苦笑した。
それはぼくが中3の秋のこと。栄光学園は、それまで親しんだ横須賀の田浦から、大船の新校舎へと引っ越したばかりだった。引っ越しは、夏休み中に行われ、荷物運びなどで生徒も動員された。といっても希望者だけだったけど。うちのトラックも叔父が運転して、引っ越しを手伝ったりもした。
新しい校舎での生活が始まったのが、2学期。ぼくはそのころ、生物部の部活に学業も忘れるほどに熱中していて、成績はさがる一方だったが、そんなことはまるで気にならず、いろいろな企画を考えては実行に移していた。
生物部では、ずいぶん前から「SNOCH」という部誌を年に一度発行していたが、それだけでは物足りないので、新しい雑誌を自分たちで作ろうということになり、さっそくその第一号を作り始めた。誌名は、「冬虫夏草」と決めた。「SNOCH」の方は、印刷所に出して作ったが、「冬虫夏草」のほうはガリ版だ。
雑誌作りに何人が参加したのか忘れたが、とにかく、週に2回しか許されなかった部活はガリ版切りに費やした。
そのさなかに、オリンピックがやってきたのである。
東京オリンピックは、戦後日本の最大イベントで、日本中が熱狂したと伝えられているが、もちろん、そんなことはない。熱狂した人たちも多かったが、熱狂しなかった人たちも多かったはずだ。ただ、そういうひねくれ者のことは、伝えられないだけのことだ。
ぼくがどんな気持ちで東京オリンピックを迎えたのか覚えていないが、とにかく、開会式に興味がなかったことは確かなのだ。それなのに、驚くべきことが起きた。
当日になって、校長が──校長の独断だったのかどうか知らないが──全校生徒に向かって、「今日は開会式だ。部活は中止して、すぐに家に帰り、開会式を見ろ。」と言ったのだ。
言葉はその通りだったとは思えないのだが、趣旨はそうだった。「開会式を見たいものは、部活をしないで、すぐに家に帰ってもよろしい。」ではなかった。一方的に「部活中止」を通告したのだ。「帰れ」と強制したのだ。
頭にきた。ぼくにとっては、部活命の学校生活だった。今でも思うのだが、勉強勉強と嵐のような強制に息の詰まる日々の中で、なんとか学校生活を送ることができたのも、6年間、一度も休まず、遅刻・早退もせず、通いきれたのも、みんな生物部のおかげだった。部活がなければ、ぼくは中高の生活をまっとうできなかったかもしれない。
しかも、その部活は週に2回、平日の1回と、土曜日の1回のみと限定されていた。土曜日の部活こそ、なによりもぼくにとっては大切は時間だった。しかも、今は、新しい雑誌を作ることに燃えている最中だ。いくら校長でも、この時間をぼくから奪うことはできないはずだ。オリンピックがなんだ、開会式がなんだ。冗談じゃない。
怒り狂ったぼくは、仲間に呼びかけ、部活をやることに決めた。数人が残った。放課後、ほんとうに、みんなかえってしまった。新しい校舎は、しずまりかえってしまった。教師すら影形もない。
うすぐらい、生物部室で、残った数人は黙々とガリ版を切りはじめた。初めのうちは、満足感がぼくらのなかにあったと思う。しかしである。そこが中学生の悲しさなのか、次第に心細くなってきた。というか、このチャンスを逃すと、開会式は二度と見ることができないかもしれないなあと思ったのだろうか、くわしい心境はよく覚えていないのだが、数人の中の誰からからともなく、「やっぱり見たいね」という言葉が漏れた。その言葉を言ったのは、ひょっとしたらぼく自身だったのかもしれない。
言ってしまったらオシマイである。ぼくらは、すぐに部室を飛び出した。開会式開始の午後2時は目前に迫っている。
目指すは、校舎の敷地の端にある「教員アパート」(「栄光アパート」と呼んだと思う。)である。栄光学園には、創立当初から、教員用のアパートがあった。大船でも、2棟のコンクリート造りの教員アパートがあったのだ。
先生たちもみんなそこへ帰っていた。どの先生のところに行こうか、たぶん迷ったはずだ。ぼくらが選んだのは、英語のO先生の家だった。ちょっと怖い先生だったが、若かった。だから見せてくれるかもしれない、と思ったのかもしれない。
先生は、びっくりして「ばかやろう! だから帰れって言っただろう!」と言いながらも、テレビのある部屋に入れてくれた。そのとき、小さな白黒テレビには、入場してきたギリシャの選手団が映し出されていた。
その後、どのくらい、そこに居座ったのか、そこから引き上げてから、更に部活を続けたのか、まったく記憶がないが、たぶん帰りはしなかっただろう。
今思うと、そこで、もうひと踏ん張り意地を通しておきたかったと思わないでもない。そうしておけば、オレはあの嵐のような熱狂の中でも、「見なかったんだぜ」って自慢できたのになあとも思う。そんな自慢なんて何にもならないけど。
しかし、あの静まりかえった校舎の小さな部室で、心の中で「チクショー! チクショー!」って何度も叫びながら、ガリ版を切っていた中学生の姿が次第に影を大きくしてくるような気がするのは、なぜなんだろう。自分の心の大事なところにずかずかと入り混んでくるある「力」に、幼いぼくは懸命にあらがっていたのかもしれないと思うと、妙にセンチメンタルな気分になるのである。