72  茂吉とパラピン紙 

 

2021.6.19

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 斎藤茂吉といえば、もちろん「赤光」や「白き山」で知られる近代の大歌人ということになるが、この人の随筆もたいへん面白いので有名である。いちばんよく知られているのが「接吻」と題する随筆で、ヨーロッパ旅行をしたときの見聞だが、とにかく、あっちの人が路上で接吻をしているのを、長いなあと独り言をいって、えんえんと眺めている茂吉の姿が今でも印象に残っている。

 変な人である。

 その茂吉の選集を「自炊」しながら、ちょくちょくと随筆を拾い読みしていたら、「もっと変」な茂吉に出会った。

 「接吻」は、「青空文庫」にも入っているからそっちを読んでいただくとして、こちらは、「青空文庫」にもないので、全文を紹介しておく。(著作権は切れているのだ大丈夫です。)題して、「パラピン紙」。「斎藤茂吉選集 第10巻」所収の「癡人の随筆」の中の一編だ。お暇なひとはまず読んでみていただきたい。

 

 これは慚(はず)かしい私事であるが、家内と言争つたりして、いかにも不愉快で溜まらない。さういふ時に、当もなく青山墓地でも歩いたなら好からうと思って歩いたけれども、一向に気が静まらない。高低参差(しんし)な墓石のあひだを縫うて歩いてゐるのだから、憤怒を静める効果がある筈であるのに、毫(すこし)もその効果が無い。そこで、その足で電車に乗り、神保町通で降りて其処の古本屋をのぞいて歩いた。さうすると何時の間にか憤怒がをさまった。
 それ以来時々神保町通を歩くやうになつた。併し、書物の被(おほひ)にしてある。パラピン紙は、さういふ時の私とは調和しない。書店の店頭にある書物の被のパラピン紙は大概幾分づつ破れてゐて、無理に箱の中にをさめてあるのが多い。書物を箱からとつて見る時はまだいいが、それを二たび箱にをさめる時にはまたぴりぴり破れる。丁寧にしても破れるのだから、気のいらいらして居る時などには、特に余計に破れる。破る意志が無いのに破れるのだから、いまいましくて溜まらない。
 ある時、丁寧に箱にをさめるつもりで努力したが、パラピン紙がもう相当に揉まれ損じてゐて、またぴりぴりと破れた。両手で持つてやり直すが、やり直す度に幾らかづつ破れる。併し、ぎゆうと無理に箱に書物を押込んで、その店を出た。
 店を出たが、ただ糞いまいましくて溜まらない。そこで二たびその店に這入つて行つて、先程の書物のパラピン紙を取って手掌(てのひら)で思切り揉んで、店の出口まで来て地上に投げつけた。そして勝手にしやがれといふ気持で五六歩来てひよいと振返ると、そこの店の小僧さんが店の出口に来て僕を睨(にら)めるやうにして見て居る。それを見た瞬間に僕はにこりとした。それからあとは見向もせずに傲然と歩いて来た。そんなことがあった。
 それから彼此(かれこれ)十年も経つが、古本の即売会などで、時々その小僧さんに会ふことがある。もう立派な店員で、向うも忘れてゐるし、僕も恥かしいゆゑそんなことを懺悔しようとはしない。
 私は其後物に忍耐して、余り憤怒の相を示さぬやうに温厚になつて生活してゐたが、このごろまた幾らかづつ短気になつて来た。これは血圧の方の関係であらう。而(さう)して、神保町通ではこのパラピン紙のためにいまだに時々心をいらいらせしめられて居る。


 今はもう新刊本にパラピン紙がかぶせてあるなんてことは少なくなったが(絶滅したか?)、昔の本には必ずこれがかぶせてあった。文庫本のような箱に入っていない本でも、パラピン紙がかぶせてあったような気がする。

 このパラピン紙は、もちろん本の表紙が汚れないようにかぶせてあるのだから、買ったらすぐにはずして捨てちゃえばいいのだが、そうすると表紙が汚れるような気がしてそのままにしておくことも多かった。しかし、うすい紙なので、本になかなか密着しない。箱が小さめだったりすると、パラピン紙をしたまま箱に本を戻すのはなかなか大変で、それで、ここに書かれたようなことが起こるわけである。

 しかし、それにしても、である。古本屋の店頭での茂吉の所業は常人とは思えない。機嫌が悪いときは、なにをしてもイライラするもので、古本屋の本のパラピン紙が破れると「いまいましくて溜まらない」というのは分かるし、ぼくなんかでも、家でそんなことがあると、ええい! とばかりパラピン紙を破り捨てたことなんて数知れずある。

 しかし、「ぎゆうと無理に箱に書物を押込んで、その店を出た」茂吉のその後の行動には、あきれてしまう。常人なら、むしろ、「無理に押し込んだ」ことに、そしてそのまま出てきてしまったことに、なんとなく居心地のわるい、嫌な気分になるだろう。それなのに、茂吉は、わざわざ店に戻る。やり直しに行ったのかなと思うと、そうじゃない。パラピン紙を取り出して、手のひらでぐしゃぐしゃにして、それを店の外の道に投げつけたというのだ。
振り返るとその店の「小僧さん」が茂吉を睨みつけている。ここも普通なら、あ、しまったとか思って、ぺこんと頭なんか下げるところかもしれないが、茂吉は瞬間的に「にこりとした」というのだ。がんぜない子どもがカンシャクを起こしたのなら、ここはあかんべえ! ってやってもおかしくはないが、女房もいるいい年した大人(この時、茂吉は40歳ぐらい)がなんで「にこり」とするのかと、意表を突かれる。「ああ、おかげですっきりした」ってことなのかもしれないが、まあ、この「にこり」は、ユーモラスで、憎めない。茂吉の魅力である。
ぺこりとしないばかりか、「あとは見向もせずに傲然と歩いて来た」というのだ。この「傲然と」というところも茂吉の人間性をよく表している。道にゴミを捨てることは褒められたことじゃないが、別にそれくらいのことで目くじら立てるな、おれはおれのやりたいようにやるのだ、という開き直り。あるいは自己に対する矜持が見えておもしろい。

 今なら道にゴミを捨てるという行動は、厳しく戒められる類いのことだが、つい最近まで──といっても、まだ昭和のころだが──すっていたタバコを道に捨てるのがごく当たり前の行動だったわけだから、ぐちゃぐちゃに丸めたパラピン紙を店の前の道に捨てても、小僧さんは、掃除しなくちゃならないから睨むだろうが、そんなに大きな「罪」ではないわけだ。

 「傲然と歩く」あたりは、志賀直哉に似てるなあとも思うけれど、志賀直哉はたぶん「にこり」としないだろう。

 茂吉は、その後の「小僧さん」が今では「立派な店員」になっていると記す。つまりは、遠巻きながら見ていたのだ。そして、その「小僧さん」にほんとうは謝りたいのだ。こういう暖かさが、志賀直哉にはない。それと同時に、パラピン紙を丸めて道に投げつけるなんて子どもっぽい所業も、志賀直哉は、たぶん、しない。ふたりとも相当なカンシャク持ちだけど、その向かう方向が違うような気がする。

 

 


 

 

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