71  お焦げが嫌い 

 

2021.6.14

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 子どもの頃は、けっこう食べ物の好き嫌いがあった。偏食というほどではないが、嫌いなものがたくさんあった。

 大根の煮物(ふろふき大根というやつだろうか)が嫌いだった。口に入れると吐き気がするほどで、親たちがうまいうまいと言って食べているのが不思議だった。大根がぜんぶ嫌というわけでもなくて、大根を麺のようにけずった(?)のを味噌汁に入れたのが大好きだった。

 豆が嫌いだった。お赤飯なんぞは、小豆をよけて食べたものだ。このお赤飯というのも、我が家では、毎月一日と十五に(たぶん、そうだったはず)、縁起を担いだのかどうか、かならず出たのだが、ほとんどが餅米ではなくて、うるち米で作ったもので、ちっともうまくなかった。そのうえ、豆が入っているので、ちっともうれしくなかった。

 煮豆というのも、なんだか貧乏くさくて嫌だった。我が家はちっとも金持ちじゃなくて、どっちかといえば「貧乏より」だったはずだが、友だちの家で、食卓に煮豆が出ているのを見ると、まずそうだなあと思ったものだ。

 刺身も嫌いだった。とくにマグロがいけなかった。以前にも書いたことがあるのだが、我が家の食卓にのぼるマグロは、どういうわけか「ジャリジャリ」していた。解凍しきれていない、ということではぜんぜんなくて、すっかり解凍しきっているのに、食感がどこかジャリジャリしていて、非常にまずかった。といって、ほかの魚の刺身が出てくるわけでもないから、刺身というものはまずいものと、ぼくの中では認識されていた。

 まあ、それでも、それらのものは絶対食べられないというものでもなくて、嫌いだっただけだが、絶対食べられないものがあった。それがご飯の「お焦げ」である。

 大根の煮物にしろ、煮豆にしろ、赤飯の小豆にしろ、マグロの赤身にしろ(今ではあんなジャリジャリした食感のマグロにはおめにかかったことはない)、みんなむしろ「好き」の範疇に組み込まれているが、この「お焦げ」だけは例外で、今でも食べられない。味ではなくて、食感がダメなのだ。

 だから現役の教師だったころ、山のキャンプとかの引率で、山小屋に行き、飯ごう炊さんの飯を食べるのが嫌でしょうがなかった。生徒が炊くので、ほとんど必然的に「お焦げの山」となるからだ。ところが驚いたことに、生徒も教師も、みんな、お焦げ、お焦げとバカみたいに叫びながら、そのお焦げを嬉々としてかき集めてうれしがって食べているのだった。

 ぼくはもう、ほんのちょっとでも「お焦げ」が混ざると嫌だから、まずは、飯ごうを真っ先にとって、真ん中の真っ白な部分だけを(あればの話だが)とって食べたものだ。

 今でも、料理番組で、炊き込みご飯なんかを作っているときに、ああ、お焦げも、ほらできてますよ! なんてうれしそうに言う先生がいるが、ぼくには理解できない。

 

 


 

 

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