70  あっという間に9ヶ月 

 

2021.6.7

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   月日の経つのはまことに早いもので、なんていう常套句は使いたくないが、使うしかないほど早い。

 このごろ「木洩れ日抄」を書いてないなあと思って、調べてみたら、なんと、最後に書いたのが、去年の9月10日である。ということは、ほぼ9ヶ月も書いてなかったことになる。信じられない。

 コロナがいけないのかどうかしらないが、今年になってすでに半年が過ぎようとしているということ自体、どうにもわけがわからない。コロナだとどうだというのか。日々、やれ感染者数が増えただ減っただでヤキモキし、非常事態宣言だとか、蔓延防止なんとかとか、それが解除だとか発令だとか、そのうち、ワクチンがどうのこうのということになり、その上、オリンピックをやるのやらないのの大騒ぎ。それだけだって、頭が混乱するのに、ぼくら夫婦の場合は、2歳半を過ぎた孫の保育園の送り迎えやらなにやらが重なっているので、一日が、もう、矢のように疾風のようにハヤテのように去って行く。

 はやくしゃべるようにならないかなあと待ち遠しい気持ちで待っていた日々はどこへやら、孫の成長はすさまじく、今ではもう、送り迎えの車のスピードを出すと、ちょっと早いんじゃない? と指導がはいり、家で一緒に遊んでいると、トランポリンで蛙跳びをしろと言うので、そんなことまじめにやったら目が回るので、おそるおそる跳んでみせると、そうじゃない! もっとこういうふうに足をあげて、こうするの! と今度は実技指導が入るという始末で、ひとり散歩に出かけた公園で、まだよちよち歩きの幼児を見ると、ああ、懐かしいと思ってしまうほどだ。

 なにもかもはやい、はやすぎる。今や、しばしば自分がいったい71なのか72なのかわからなくなってしまう。(実際には71です。)こんなふうだと、自分が生きているのか死んでいるのかすらわからなくなってしまうに違いない。それならそれでいいけど。(よくないか。)

 なにかを夢中になってやっていれば、時間は早く過ぎ、ぼーっとしているとゆっくりと時間が流れるようなことをいう人がいるけど、それもウソ。やっていても、やらなくても、はやいものははやい。どうしようもない。

 だから芭蕉は嘆いたのか、悟ったのかしらないが、「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」と書き付けたのだろう。しかし、当時の旅人というものは、それこそのんびりとしたものだったはずで、命の危険は感じたろうが、悠久の自然の中で、時の流れ、それもゆったりと流れるそれを感じたに違いない。

 芭蕉が今の時代を生きて、新幹線なんかに乗って旅したら、それこそ目を回すに違いない。

 時間をとめることができたらどんなにいいだろう、と思うと同時に、それはそれでたまらない、とも思う。ただ、小説を読むとか、芝居を見るとか、音楽を聴くとか、そういったときに流れる時間は、なにか、そうした矢のように過ぎていく時間とはまた別の次元にあるような気もする。

 そしてひょっとしたら、文章を書くということも、そういう時間の創造にかかわることなのかもしれない。

 そんなわけで、9ヶ月ぶりに、「木洩れ日抄」を再開します。

 

 


 

 

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