69 映画の情念

 

2020.9.10

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  このところたてつづけに昔の日本映画を見た。フェイスブックで、知人がなみなみならぬ愛を語っていたからで、そういうふうに語られると、自分の審美眼に自信のないぼくは、すぐに見たくなるのである。

 岡本喜八の「独立愚連隊西へ」、深作欣二の「北陸代理戦争」「県警対組織暴力」である。

 岡本の「独立愚連隊」は見たことがあったのだが、その続編ともいうべき「独立愚連隊西へ」は未見だったし、深作の「仁義なき戦い」シリーズは最初の3本までは見たが、シリーズ外とされた「北陸代理戦争」はその題名も知らなかったし、まして、「県警対組織暴力」などというおよそ面白くなさそうな題名など、目にしたことさえなかった。

 そして、そのことを今、深く恥じている。

 いったい、その映画が公開されていたころ、オレは何を見ていたのだろうかと、はたと考え、調べてみた。

 「独立愚連隊西へ」は1960年公開だから、ぼくは小学5年生。これは見てなくても無理はない。見ていたらむしろ変な子どもだ。なにしろ、小学生の頃のぼくは、学校の講堂で見せられる日本映画の暗さに参っていた。今でも覚えているが、「黄色いカラス」(監督:五所平之助 1957年)、「つづり方兄妹」(監督:久松静児 1958年)といった映画で、見ている間じゅう、友だちも含めてみんな大泣きだった。これがほんとに嫌だった。もっとも、町内の子供会では、町の東映の映画館でさんざん「里見八犬伝」だの「新吾十番勝負」だのにワクワクドキドキしていたのだったが。

 「北陸代理戦争」と「県警対組織暴力」はどうか。前者は1977年、後者は1975年だから、都立忠生高校時代から都立青山高校時代への過渡期だったことになる。そうか、そのころは、映画どころではなかった。大学時代には映画に狂っていたといってもよかったが、新米教師になって、その上、結婚もして、子どもも生まれといったその時期は、映画からもかなり離れてしまっていたのだ。

 ぼくが大学生だった頃は、まさに学園紛争のただ中で、全共闘が暴れまくっていた。いちおう文学部に進んだものの、心の中は依然として「昆虫少年」だったぼくに、そんな社会運動など理解できるはずもなく、運動会の棒倒しさえ怖がって出なかったぼくには、ヘルメット被って丸太ん棒を持って暴れるなんてことは考えるだに恐ろしかった。けれども、そうやってメチャクチャ派手に活動する連中への憧れと反発の入り交じった変な感情は、野坂昭如の「オレは心情三派だ」みたいなセリフに共感してしまえば楽なのになあと思いつつ、それもなんだか卑怯だなあという思いもあって、ねじれにねじれた。そんなところにはやった映画が、「緋牡丹博徒」などの東映のヤクザ映画で、全共闘の連中がやけにそこに肩入れしているように思えた。橋本治の「とめてくれるなおっかさん」なんてフレーズも、そんな背景があるように感じられて、それはそれでカッコいいけど、そういうかっこよさでいいのか? っていう反発もあった。だから、あんまりヤクザ映画に入れ込まなかったのだ。

 それより、そのころのぼくは、イタリアから続々とやってくる、パゾリーニ、フェリーニ、ビスコンティといった監督の映画に夢中になっていた。分かるとか分からないとかいうのではなくて、ただただしびれていた。

 日本映画では、今村昌平「神々の深き欲望」、篠田正浩「心中天の網島」、大島渚「少年」といった芸術派の映画に入れ込んでいたから、ヤクザ映画などはますます遠ざかっていったのだった。

 実際には、いつどんな映画を見たかは、詳しく覚えていないが、「北陸代理戦争」「県警対組織暴力」といった映画との接点はなかったことは事実のようだ。「仁義なき戦い」は、いつも気になる映画で、いつかまとめて見たいと思っていたのだが、それもちゃんと見たのはついここ数年のことである。

 要するに、ぼくと映画とのつきあいは、なんだか中途半端で、理科少年が一時的にカブレタといった範囲を出るものではなかったのだ。映画のほんとうの面白さも、映画の本質も、なんにも分からず、芸術派を気取っていたにすぎない。それは今もちっとも変わらない。変わらないけど、少しだけ、最近わかってきたことがある。

それは、映画というのは「情念の表現」だということだ。それはなにも映画に限ったことではない。小説だって、演劇だって、音楽だって、ひょっとしたら絵画だって、みんな「情念の表現」だ。「感情の表現」といってもいいが、あえて「情念」といいたいのは、それが「強くとらわれて離れない愛憎の感情」の意であるからだ。映画は、その「情念」を、どう映像化するか、そこにすべてはかかわっている。見る側から言えば、その映画に、どのような「情念」が込められているか、どのような「情念」を感じとることができるか、それがいちばん大事なことなのだ、と今は思っている。

 そういう意味では、ぼくが入れ込んできた映画は、それぞれにすさまじい「情念」を表現しているものばかりだ。ビスコンティ「ベニスに死す」の、美への憧れと老醜への恐怖。パゾリーニ「テオレマ」の、不毛の現代への深い絶望。フェリーニ「ローマ」の、限りない生への欲望。篠田正浩「心中天の網島」の、恋故の狂おしい恋着………挙げていけばきりがない。

 「県警対組織暴力」の中では、戦後を生きた人間の底知れない深い闇を知らぬふりしていきる人間への深い憤りが、その情念が噴出する。そして、そんな深い闇に生きていても、人間として凜とした振る舞いを見せるヤクザの男への切ない共感と愛、その情念が滲み出ている。こんな「名作」を70年も見ずに生きてきたこと、それでも「映画好き」などと言ってきたことが恥ずかしい。

 とはいえ、こんな「恥ずかしさ」を感じることができること、それはそれで幸福なことだと言わなければならない。これから、もっともっとそういう「恥ずかしさ」を感じて生きていきたいものである。

 

 


 

 

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