59 演劇の幸福──『柄本家のゴドー』を観て

 

2019.7.31

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 『ゴドーを待ちながら』の台本を睨みながら、柄本明がこんなことを叫ぶ。「そうそうそう! いいなあ。宝の山だ! これはすごいホンだ。」

 ドキュメンタリー映画『柄本家のゴドー』のワンシーンだ。2人の息子(柄本佑と柄本時生)が演じる『ゴドーを待ちながら』を演出する明は、稽古の初日、まだまだ棒読みの立ち稽古を見ながら、ゲラゲラ笑っている。どこがそんなにおかしいのかと思っていると、どうやら、演技じゃなくて、ホンそのものの内容がおかしいのだと分かってくる。

 ほんとに笑えるよね、この芝居。すごく残酷なんだけど、笑えちゃうんだ。残念なんだけど、喜劇なんだよなあ。ぼくらの人生だって同じでしょ。残酷だけど笑える。笑っちゃう。そう訥々と話す。

 若い頃は、こういう芝居はとにかく読まきゃと思って読んだもんです。ベケット戯曲集と、イヨネスコ戯曲集買ってね、読んだもんです。でも、分かりゃしなかった。で、年取ってまた読むとね、やっぱり分かんないんです。でもね、分かった。分かんないということが分かったんだ。……どこにでもあることなんです。それをただ書いただけなんだ。ぼくらは結局何かを待ってるってことです。それは死かもしれないしね。

 次から次へと繰り出される言葉。そのいちいちが懐かしい。そしてぼくは気づく。『ゴドーを待ちながら』は何度か読んだけど、やんぬるかな! 舞台はまだ一度も見たことないじゃないか。それでも、2人が演じる『ゴドー』の端々は、どこかで見た風景だ。その舞台は柄本明の言葉と同様に懐かしくさえある。

 もちろん、それは、ぼくが長いこと別役実の芝居を見たり、高校演劇部で演出したりしてきたからだ。別役の芝居というのは、結局は、ベケットの芝居を核としたバリエーションなのだ、なんて断定してはいけないが、もしそうだとしたら、ぼくは『ゴドー』も見ないで、別役の演出をしてきたことになる。まったくなんていう無責任さだ。

 などと今さら愚痴を言っても始まらない。それよりも「懐かしさ」だ。その「懐かしさ」は、柄本明の演出中の行動が、ああ、オレもそうだったなあ、あんな風だったなあ、という感慨からも来たのだということを言っておきたい。

 ぼくが高校演劇部の顧問として演出してきた別役劇は、ざっと数えても10本はある。そのどれの場合でも、ぼくは生徒の演技に笑い、椅子から飛び出して舞台に行ってちょっとやってみせ、すぐにそそくさと椅子に戻り、また笑ったり、悩んだりしていたものだ。もちろん、ぼくには役者の経験がなかったから、柄本明のような演技指導はできない。できないけど、なんか違うと思えば、ぼくなりにその違いを演じてみせた。それを敏感に感じとって生徒が演技すると、もう嬉しくて、手を叩いて笑ったり、そうだ、それそれ! なんて叫んだものだ。その時間の幸福。それは今でもはっきりと覚えている。

 ぼくが感じた幸福と柄本明の感じた幸福が同じだなんて思わないけど、どこかで通じるものがあることは確かだろう。活字のつらなりでしかないホンが、演者によって「音」となる。肉体から出る「音」になる。そして舞台の上でなにかが「起こる」あるいは「起こらない」。ホンが演劇になるとき、そこには無限といっていいバリエーションがある。そこには無限の「発見」がある。まさに「宝の山」なのだ。

 その「宝の山」を前にして、小躍りする柄本明を見ていて、ぼくも、小躍りしたくなるような幸福感を感じた。なんて演劇って素晴らしいんだ、そう思った。

 映画のチラシでは、串田和美と西川美和が、偉大な親父の元に生まれることの「大変さ」「残酷さ」を期せずして同じく口にしていたが、ぼくは、大変だなあとか、残酷なもんだとかは、まったく思わなかった。親父に「厳しく鍛えられている」という感じはどこにもなかったからだ。むしろ、親子という関係はここでは消えて、ただ純粋に演劇にどっぷり浸り、とことん楽しんでいるとしか見えなかったし、それがほんとのところだろう。

 柄本明は親子でやることについての質問に、そういうことは関係ないと思うと言って、さらに、こう言っていた。「だって、みっともないでしょ、息子の芝居を親が演出してなんてねえ、世間的にはさ。」この感覚、素敵だなあ。

 柄本佑と時生は、この芝居をずっとやり続けたいという。父は言う。この芝居はスゴイですよ。(登場人物は)年齢不詳のようなとこあるけど、まあ、あんな若造はやってこなかったでしょう。だから、この先、2人でやり続けるっていうんで、それが楽しみです、って、最後の方はこう言っていたか記憶が曖昧だが、いずれにしても、父の言いたいことはよく分かる。

 次回の2人の『ゴドー』がいつになるか分からないが、そのときを楽しみにしたい。

 


 

 

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