27 見えない「現実」へ  森下高志・一人芝居『青春ドラマ──運命の奇跡』を見る

 

2017.7.24

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 先週の瀬田ひろ美さんの一人芝居に続く、キンダースペースの俳優による一人芝居第2弾。今度は、シベリア抑留体験者の手記をもとにしたドラマだ。

 ぼくの父がシベリア抑留者だったことは、何度も書いてきたが、ぼくは、シベリアの話を聞きながら育ったようなものだ。ぼくから質問することはほとんどなかったが、父は、繰り返し、体験談を話していた。母にもずいぶん話したようだ。けれども話は断片的なエピソードばかりで、そもそもどこの収容所にいたのかすら分からなかった。地名も何度か出たのかもしれないが、きちんとメモしておくことなどしなかったから、ぼくが忘れてしまっているのかもしれない。けれどもそのエピソードは、繰り返し語られたから鮮明だ。

 父の余命が少ないと分かったときに、ぼくは、ほんとうは、ことこまかに聞いて、「聞き書き」を作りたかった。けれども、それは父に余命の少ないことを告げるようなものだったから、おもいとどまった。それはそれでよかったのだと思う。ことこまかに語ることは、ただでさえ病気で苦しい父を更に苦しめることになるだけだったから。

 そんなわけで、今回の森下高志の発する言葉を、ぼくは、父の言葉として聞こうと思った。そして、聞くことができた。

 芝居の後の打ち上げで、瀬田さんや森下君から聞いたところによると、手記そのものは、もっとたくさんの感情が書き込まれているのだそうだ。それを瀬田さんや森下君が、再構成し、脚本化して、今回のような一人芝居に作りあげたとのことだった。

 怒り、後悔、不安などの感情が渦巻いている手記から、極力感情をそぎ落とし、事実としてのエピソードを語る。それによって、かえって事実の背後にある感情がより普遍的なものとして、聞く者、見る者に迫ってくるのだ。一人芝居で語られた言葉が、父の言葉として感じられたということ、父の思いとぴったり重なるように思えたこと、それは、こうした演者側の綿密な作業の結果だったのだ。

 個人的な感情が強く語られれば語られるほど、その感情と、ぼくらの感情の間に隙間ができてしまう。かといって、個人的な感情がまったく語られなければ、「共感」すら生まれない。その微妙なバランスの中で、語りは成立するのだということを、そして、そういう語りが成立するためには、高い演技の技量が必要なのだということを深く納得したのだった。

 それにしても、この芝居で語れるエピソードは、悲惨な体験ではあるけれど、どこか不思議なユーモアがある。そこも父の話と似ていた。これほど過酷な状況でも、それを乗り越えて生きるには、実は、こうしたユーモアが必須なのだと改めて気づかされた。ユーモアは、対象からの距離によって生まれる。苛酷な状況を、あるいは苛酷な状況におかれた自分を、客観視することからユーモアが生まれる。

 汚い話で恐縮だが、芝居の中で、ウンコを始末する話が出てくる。シベリアの寒気の中でカチンカチンに凍った「クソ」をたたき割って捨てにいく、というエピソードである。もうヤケになって、凍ったウンコの塊と格闘する筆者の姿は気の毒だけれど、どこか笑ってしまう。まさに「ヤケクソ」ならぬ「コオリクソ」である。このエピソードとほぼ同じ話を、父は何度も何度も話していた。

 便所は、穴を掘ってそこにするんだ。でも、冬になると、地面はカチカチに凍ってしまって穴なんか掘れない。だからよ、ウンコで穴がいっぱいになると、その凍ったウンコを穴から抜き出すんだ。ウンコ柱だ。それをオレたちはかついで、近くの川に捨てに行く。しかし、川っていったって、みんな凍ってるんだからどこが川だか分かりゃしない。ここら辺りが川だったはずだというところへ捨ててきて、戻って、ペーチカ(ロシア式暖炉)で暖まるんだけどよ、担いでいたウンコのかけらが解けるんだ、くせえのなんのって、といって、必ず笑った。ぼくもそのたびに笑った。

 だから、ぼくの中には、「悲惨な思い」が残らなかった。つまり、父は、最後は笑って終われる話しかしなかったのだと思う。シャレにならない話はできない。救われない話はできない。それでも、時に、そんなシャレにならないエピソードも混じることもあった。けれどもそれは、二度と語られなかったように思う。

 森下高志の芝居を見ながら、もう、30年も前に死んだ父の話を聞いていた。そして、ここでも、どこか笑いで終われる話を聞いた。そして、父が語らなかったこと、この手記の筆者が書かなかったことへ、思いを馳せた。

 この芝居のラストは、森下が舞鶴の港に一歩を進めて降り立つ所で突然終わる。それは見事なラストだった。つまり、やっと帰国でき、あの「岸壁の母」で有名な舞鶴の港に降り立ったその「後」に、手記の筆者を待っていた人生はどのようなものであったのか。そのことへの想像をかき立てるラストなのだ。筆者の人生がどのようなものであったかは知らないが、父の人生がどのようなものであったかは、ぼくがつぶさに知っている。ぼくは、父の復員した翌年の昭和24年に生まれた。そして、父は、昭和天皇崩御のたった数ヶ月前、昭和の終焉を見届けることなく69歳でなくなった。ぼくはこの「現実」に、今でも、ガンジガラメに縛られているように感じることがある。

 小さな舞台で演じられる一人芝居だが、そこから、無限に広がる想像の世界。非現実な空想の世界ではなく、「現実」への想像の世界。「現実」は、分かりやすい形で目の前に転がっているわけではない。想像力を全開にして、見なければ、聞かなければ、「ある」ことすら分からない。見えない「現実」、語られない「現実」へと強く誘う芝居、それが、今回の森下高志の一人芝居だった。瀬田ひろ美とともに、キンダースペースの実力を、遺憾なく発揮した舞台だった。あらためて、劇団キンダースペースに、森下高志に、瀬田ひろ美に、感謝したい。そして、今後の活躍を心から祈りたい。

 


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