24 かぞく、ってなんだ

2017.5.27

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 ある人にとっては、何でもない当然の言葉であっても、それが、別のある人にとっては、とても辛い、傷つけられる言葉であったりする。これはとても微妙なことで、いちいち気にしていたら、何にも言えなくなってしまうようなことだが、それでも、そういうことがあるということを、頭の片隅に置いている人と、そうでない人とでは何か、生きていくうえで大きな違いができるような気がする。

 例えばぼくが大嫌いな言葉に「健全な魂は、健全な肉体に宿る」というヤツがあって、今ではあまり言われなくなったからいいけど、ちっとも「健全な肉体」を持っていなかったぼくには、辛いというか、嫌な言葉だった。後で、この言葉は、本来は「健全な肉体に、健全な魂を!」という目標みたいなものだと聞いたような気がするが、それにしても、どんなに頑張ったって、健康な肉体を望めない人だってたくさんいるのだから、そういう人にしてみれば、やっぱり辛い標語になるわけだ。元気なジイサン、バアサンが、誇らしげに「やっぱり健康が一番だよ」って笑って言うのは勝手だが、健康じゃない人にしてみれば、それほど残酷な言葉はない。

 日テレで、ここ一週間「7daysTV かぞくって、なんだ。」というテーマで番組を構成していて、いろいろな企画をやっているようだ。日テレは、ヒルナンデスとか、メレンゲの気持ちとかぐらいしか見ないから、詳しいことは知らないが、それにしても、1週間「かぞく、かぞく」って連呼されたらめげる人も多いだろうなあとは容易に想像がつく。「かぞくって、なんだ」というわけだから、別に、あるきまった「家族像」を押しつけるわけじゃないだろうけど、ぼくなんかは、違和感がある。「家族」は大事だけど、それがすべてじゃないし、場合によっては、「家族」なんてこと考えてられないときだってあると思っているし、また経験上、「家族」が必ずしも「幸せ」に結び付かないことだってあることも身にしみて知っている。

 アメリカの映画とかドラマなんか見ていると、ものすごく「家族中心主義」が強調される場面があって、「家族のためなら命も捨てる」なんてセリフがごく普通に出てくる。それがアメリカの男の「あるべき姿」とでもいうように。この前、全話見終わった「キャッスル」でも、それは徹底していた。ドラマ自体は、とても面白かったのだが、その疑問なき「家族主義」にはやっぱり違和感があった。

 学校五日制が導入された時も、「家族と過ごす時間を多くする」というような理由が堂々と主張されていて、そこで前提とされているのは、昔のアメリカ的な、絵に描いたような「家族像」だったのではないかと思う。しかし、世の家族がそんな理想的な家族ばかりであるわけじゃなし、土曜日に子どもが家にいたって邪魔なだけという家族はごまんとあったはずだ。というか、そっちのほうがよっぽど多かったに違いない。案の定、学校五日制なんて、とっくに崩壊している(と思う。)

 ところで、キリスト教は、「家族」をどう考えているのだろうか。少なくとも、「家族礼賛」でないことは確かだろう。イエスは、弟子を集めるときに、「家族を捨てろ」といっていたはずだし、母マリアに対しても、「お母さんがいちばん大事だ」なんて言っていない。むしろ、「家族」から離れたもの、「家族」から排除されたものへの暖かい視線こそがイエスの特徴なのではなかろうか。

 なんて、ふと思ったのだが、その点については、もう少し、聖書もきちんと読んでみたいと思う。キリスト教=クリスマス=家族団らん、といった図式は、いったいどこで、いつから始まったのか、興味深いところである。

 


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