25 「このハゲ〜〜〜〜」問題

2017.7.4

★ブログで読む


 

 ああだこうだと言いながら、あっちへこっちへと彷徨っているうちに、今年も「上半期」(会社に通っているわけじゃないから関係ないが)を過ぎてしまい、「後半戦」(野球にはとんと興味を失ってしまったからこれも関係ないが)に突入したようだが、この「上半期」ないしは「前半戦」で、もっとも耳に嫌な感じを残して残り、いまだにそれを思い出すと怒りに震えるのが、あの、なんとかいう議員の「このハゲ〜〜〜〜」という罵声だった。もちろん、それ以外にも、数限りない嫌な声、嫌な言葉を耳にしてきたのは言うまでもないことだが、この罵声ほど、我が心を千々に乱れさせたものはない。

 若い頃から、特別にハゲていたわけではないが、それでも、おでこが広いねえ、から始まって、すでに30代半ばにして、都立高校のある教師が、机に向かって座っているぼくの後ろに立って、あれ、ヤマモトさん、つむじのところが薄くなってるねえと言ったときも、そのことを家に帰って家人に伝えたところ、あ、ワタシもそう思ってたけど、かわいそうだから言わなかったのよと言われたときも、ぼくは、怒りに震えたりはしなかった。

 それから、もう、30年以上の歳月の間、どれだけ「ハゲ」をネタにされてきたか知れやしない。それどころか、どれだけ自虐ネタにしてきたことか。

 真夏の空の下に立っていれば、マブシイといわれ、秋の月のころともなれば、月だと言われ、全面鏡張りの天井のある中華街の料理店では、年端もいかない小学生のオイとメイに、天井に映った頭のてっぺんを指さされてゲラゲラと大笑いされ、横浜のダイアモンド地下街のレストランのトイレの三面鏡に映った頭をみて、これ誰の後頭部と思わず独りごちて、あ、オレだと思ってオロオロし、遠藤周作が使っていると聞けばその毛生え薬を何本も買っては使い、床屋では、頼んでもいないのに「頭皮ケア」をされつづけ、新聞に、イタリアではハゲている方が女にもてるという記事が載れば、それをエッセイにも書き、生徒にも吹聴し、挙げ句の果ては「ハゲいずビューティフル!」と教壇で叫び、そのフレーズの普及にいそしんだものの、「ミヨイクログロ」なんて失礼なアデランスのキャッチフレーズを、せいぜいただの「クログロ」に修正させるぐらいの成果をあげる(ま、別にオレのせいじゃないけど)にとどまり、近年では、ようやく「ハゲ」という言葉は、少なくともマスメディアでは「薄毛」というなんとも気持ちの悪い言葉にとってかわられ、絶滅したとばかり思っていたのに、これだ。「このハゲ〜〜〜〜」だ。

 それがテレビで、何回も何回も流された。とんでもない時代になったものである。

 録音したほうに何か政治的な意図があったんじゃないかとか、高速道路を降り間違えて、逆に入ろうとしたからだとか、まあ、いろいろな「解説」はあったようだが、また、そういう個人的な罵詈雑言をテレビで流して政局に利用するのはいかがなものかとか、いろいろな意見もあったようだが、そんなことはこの際どうでもいい。ただ、頭に来た。ものすごく傷ついた。そして正直驚いているのだ。自分がこんなに傷ついたことに。そして改めて気づいたのだ。今までも数限りない「ハゲ」への揶揄が、いつも暖かい愛情の裏返しだったことに。

 今回の罵声にはそうした愛情が一切感じられないことは言うまでもないことだが、問題は、その罵倒の非合理性である。

 たとえその秘書氏が、とんでもない失態を演じたとしても、「ハゲだから」失敗したわけじゃないだろう。たとえ秘書氏が高速道路を逆走しまくったとしても、「ハゲだから」じゃないだろう。「テメ〜、何やってんだ!」ってのは分かる。女だからそんな言葉はハシタナイなんて言わない。そんな言葉使いなんて、珍しくもなんともない。怒りは言葉を汚くする。ザマス言葉で、怒りは表せない。萩原朔太郎は、口語自由詩の完成者と言われているのに、晩年の絶望感を柔らかい口語ではとても表現できないから、固い漢文調の文語で詩を書いた。だから、そのなんとか言う議員が、秘書氏に怒りまくり、汚い言葉で罵ることがあってはならないなんてぜんぜん思わないのだ。

 けれども、「ハゲ」は、失敗と関係ない。関係ないことを、罵倒の言葉に使うのは絶対許せない。人の言動に対して、それとはぜんぜん関係のないその人の「属性」をもって罵倒することが、「差別」の根源だ。ぼくは、「差別」を許せない。許さない。

 今回のことは、属性が「ハゲ」だったから、そのなんとかいう議員も、のうのうと居座っている(らしい)。これがもっと別の「差別語」だったら、とっくに首がとんでいる。つまりは、世間は、そしてマスメディアは、いちおう「薄毛」とか言い換えてお茶を濁しているけど、結局「ハゲ」は差別語だと思っていないのだ。

 「ハゲ」は、別に差別じゃない。気にするほうがおかしい、とよく言われる。もちろん、ぼくは、普段は(今回は別だが)、ハゲといわれて怒るほど料簡が狭くはないつもりだ(今回のことでだいぶアヤシクなってきたが)。問題は、「ものすごく傷つく」人がいる、ということなのだ。ぼくも、えらそうなことは言えなくて、いろいろなトコロで、人を傷つけるようなことをずいぶん言ってきたという自覚と悔恨はあるが、それでも、やっぱり、差別の問題は、「言う」側ではなくて、「言われる」側から考えなくちゃいけないと思っているし、そのことは、ちゃんと言っておきたいと思うのだ。

 最近、また「叩っ斬ってやる」なんて、破れ傘刀州みたいなイサマシイこと言って物議を醸している政治家がいるらしいが、まあ、品がないことは確かだが、それだけのこと。(許してるわけじゃない。)「このハゲ〜〜〜〜」とは次元が違うのである。


Home | Index | Back | Next