15 「お好み焼き」を食べないか?

2017.1.24

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 人間というものはまことに奥が深いというべきか、わけがわからないというか、いくら長いこと付き合っている人でも、その「実態」は容易にはつかめないものである。はやい話が、何十年も生活を共にしてきた配偶者ですら、ときどき、え? そうだったの? なんてびっくりすることがあったりするわけだから、いくら中学以来付き合ってきた友人だからといって、何から何まで把握しているわけではないのはむしろ当然すぎることである。

 人間の理解において、その本質をなす部分といえるのかどうかしらないが、たとえば、性格とか、ものの感じ方とか、ものの考え方や思想の傾向とか、そういった抽象的な部分は、実は案外簡単な部類に属するものではなかろうか。場合によっては、たった10分話しただけで、その人の人柄がパッと分かるということはよくあることで、それをたぶん「第一印象」と呼ぶのだろうが、それはだいたい間違っていない。

 ところが、そういう抽象的あるいは本質的なことではなくて、その人間が、毎日、どういう具体的な行動をしているか、たとえば、何を食べて暮らしているかとなると、これが案外分からないものだ。特に、男同士の場合は、会って話をしても、生活上の細々したことをああだこうだと微に入り細を穿って話すことは稀だから、余計分からないわけである。

 先日、まさに中学以来の友人で、成人してからも同じ職場で30年も一緒に働き、挙げ句の果てに一緒に退職までして、退職した後までも、月に一度は必ず会って2時間ぐらい飲むというSという友人と飲んだのだが、珍しく話が「食い物」のことに及んだ。

 ことの発端は、ぼくの家内の誕生日を巡ってで、「なにかお祝いでもしたの?」ってSが言うから、「いや、別にたいしたことはしなかったけど、家内のリクエストで、お好み焼きを作ったよ。」と言ったら、「え? ヤマモトのところでは、家でお好み焼きなんかつくるのか?」って目を丸くした。「そうだよ、家内だけじゃなくて、一緒に住んでる家内の母親も大好きだからよく作るし、それに、正月とか夏休みに孫がやってくると、たいていお好み焼きか手巻きだよ。あんたのところじゃ食べないの?」って言ったら、「食べないよ。」って断言する。「焼き肉も食べないの?」「焼き肉はときどき食べたけど、最近は食べないなあ。」「ホットプレートはあるの?」「あるけど、どこかにしまっちゃったよ。」

 意外なことばかりなので、いろいろと質問攻めにしてみたが、つまり、彼は、この67年の生涯の食事に「お好み焼き」というものが、入り込む余地がなかったらしいのである。

 じゃ、大学時代にさ、渋谷の「こけし」(お好み焼き屋さんです)に行かなかった? って聞いても、渋谷なんか行かなかった、行ったのは新宿だし、新宿にはそんな店はなかったという。(「こけし」は、渋谷にしかなかったのだろうか?)

 じゃさ、子どものころの縁日とか、お祭りの屋台でさ、あの、クレープみたいに広げた生地にキャベツとか、桜エビとか、青のりとかをほんのチョッピリ振りかけてくるっと巻いて新聞紙に包んでくれた、あの紅ショウガの味しかしない、ケチくさくてまずい「お好み焼き」も食べたことないのかい? って聞いても、全然ないの一点張り。

 ぼくが育ったのは、京急でいえば南太田駅と黄金町(こがねちょう)駅の真ん中ぐらいのところ、彼が生まれ育ったのは京急金沢八景駅のすぐ近く。同じ横浜だし、京急によって深くつながっているのだし、距離的にもそんなに遠くない。お祭りの屋台に「お好み焼き屋」が出ないほど、文化の違いがあるとは思えないのだが。

 じゃさ、駄菓子屋の一角に小上がりがあってさ、そこにある鉄板で、ぜんぜんおいしくない「もんじゃき(*)」ってのを作って食べたことないの? って聞いても、そもそもそんな店なんかなかった。駄菓子屋はあったけど、小上がりなんかなくて、試験管みたいなのに濃い色のついたゼリーみたいなのが入っているのを買ってチュウチュウ飲んだだけだ(ああ、それはオレもある!)と言い張る。

 そうかあ、オレはさ、お好み焼きってのは、どこのうちでも作って食べてると思ったんだけどなあ。最近ではイトーヨーカドーにだって、お好み焼き粉とかお好み焼きソースとかいつもあるよ、と紹介してみても、そんなの見たこともないと言うばかり。

 ウチは、いったいいつからお好み焼きを作るようになったのかなあと、家に帰って家内に聞いてみたが、はっきりした記憶がないという。気がついたら、ぼくがお好み焼きを焼いていて、それがずっと習慣になっていたようだ。

 そういえば、ぼくが、青山高校に勤めていたころ、クラスの女子生徒が元気をなくして、学校を休みがちになってきたので、何を思ったか、ぼくは、彼女に「とにかく、なんでもいいから、オレのウチへ来い。お好み焼きを作ってやるから。」と言ったことがある。なんで、「お好み焼き」を作ってやるなんて言いだしたのか覚えてないが、彼女はほんとにやってきたので、ぼくは腕によりをかけて、極上の「お好み焼き」をふるまい、彼女は、ぼくのまだ子どもだった息子たちとなんだか楽しそうにそれを食べて帰っていった。その後、学校へもちゃんと出てくるようになり、元気に卒業していった。そんなことも思い出されるわけで、我が家にとっては、誰が来ても来なくても、メニューが行き詰まっても詰まらなくても、何かといえばぼくが「お好み焼き」を作ることになっていて、それこそ「お好み焼き」なしでは生活が成り立たないと言っても過言ではないのである。

 そんなこんなを酔っ払って彼に話し続けたが、彼は、まるで異世界の人間を見るような目でぼくを見て、ただただひたすら驚いていた。そういう彼を見て、ぼくもただただひたすら驚いていたのであった。

 


 

(注)「もんじゃき」については、このエッセイをご覧ください。

「もんじゃ焼き」コンプレックス

 


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