65 「モンジャ焼き」コンプレックス

1999.5


 

 最近テレビのB級グルメ番組(?)などに、東京下町の「モンジャ焼き」がよく登場する。下町育ちのなぎら健壱あたりがウンチクを傾けながら、「まずこうやって土手を作って、そして、こうまぜてね、こうしてヘラですくって、アッチチ」なんて言って得意そうに食べてみせたりする。この「モンジャ焼き」というのをテレビで初めてみたのは10年ほども前にのことだったような気がするのだが、そのとき、ぼくはちょっと驚いた。

 ぼくの家の隣は駄菓子屋で、そこにはちょっとした座敷があって、小学生の頃、よくそこにあがりこんで「モンジャキ」を食べた。「モンジャ焼き」ではなくて「モンジャキ」である。おそらく「モンジャ焼き」が縮まった形だろうが、今までテレビで「モンジャ」と略すことはあっても「モンジャキ」と略すのは聞いたことがない。してみると、これはぼくが育った横浜伊勢佐木町のハズレという下町特有のなまりだったのだろうか。

 しかも、その「モンジャキ」の実体は、「モンジャ焼き」とはまるで違う。小さなアルミのコップに、水で溶いた小麦粉とキャベツが入っているだけの(あるいはちょっとした具が入っていたかも知れない)もの。水で溶いた小麦粉にはソースが入っていて、コーヒー色をしていた。それを鉄板の上で丸く焼いて食べるのである。固まらないやつをグチャグチャまぜて、ヘラですくって食べるというものではないのだ。それをぼくらは「モンジャキ」といって食べた。

 その店も今はなく、その「モンジャキ」が横浜一帯に一般的にあったのか、それともその一軒の駄菓子屋だけのオリジナルだったのか、今ではまるで分からない。

 東京下町の「モンジャ焼き」が何か堂々とした風情で、今では専門店まであって栄えているのに対して、我が「モンジャキ」はいかにもわびしく貧しげで、そしてそれについて得意気に語る者もいない。

 明らかに「モンジャキ」は日陰の存在である。それと同じように、横浜もいつも東京の日陰の存在だったという思いが、横浜に長く住んできた人間には多分ある。東京の下町人情などを声高に言われると、ついつい反発したくなるのは、そうした浜ッ子のコンプレックスのせいなのかも知れない。