4 「フレンチディップ」ばかり食べていた

2016.10.14

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  「不二家の2階」にしても「デニーズ」にしても、「憧れ」を語るにはあまり高級感のないところだが、まあ、生まれも育ちも下町なのだからどうしようもない。

 デニーズが日本に初めて出店したのは、横浜のイトーヨーカドー上大岡店の一角だった。それは1974年のことで、ぼくはその年の前年結婚して、1年半ほど鶴見区の生麦に住んでいたのが、そこを引き払って家内の実家である上大岡駅近くに引っ越してきた年だ。開店間もないイトーヨーカドー上大岡店は我が家から歩いて5分ほどの近さにあったのだ。

 この店が、来年の春で閉店してしまうという噂をつい先日床屋の大将から聞いた。最近では、この上大岡店にはあまり行かなくなって、おなじヨーカドーだが上大岡駅の向こうにある別所店に行くことがほとんどなので、実際上の不便はあまりないのだが、何しろ、結婚してから今まで、ぼくら家族の生活はこのイトーヨーカドーと共にあったといってもいいくらいなので、衝撃は大きかった。

 デニーズも、最近ではまったく行かなくなってしまっているが、それでも、デニーズの一号店がウチの近くにあるんだぜ、っていうのは、ちょっとした自慢のタネで、それももろともに消滅してしまうというのも衝撃だった。

 そもそもこのデニーズの出現自体が衝撃だったのだ。

 まずお店に入ると、女の子が元気に「いらっしゃいませ! デニーズへようこそ!」と叫ぶ。びっくりした。そんなお店みたことない。大学時代に行った東京のソバ屋だってレストランだって、そんなオシャレなことは言わなかった。「へい、らっしゃい!」ぐらいの粋なソバ屋のオヤジのだみ声は飛んできても、彼らは「増田屋へようこそ!」なんて口が裂けても言わなかった。

 「デニーズへようこそ!」なんて、英語直訳調の、どこかこそばゆいような、おしりがムズムズするような言葉と声で迎えられて、いかにもアメリカンといった風情の席に着いて、さてメニューを開けば、聞いたことのないような食べ物がずらりと並んでいる。「フレンチディップ」「ブリティッシュバーガー」「ピッグインナブランケット」などのメニューが写真入りで載っているのだが、いかなる食べ物であるか想像がつくのは「ブリティッシュバーガー」ぐらいなもんである。マクドナルドの日本1号店が銀座にできたのは、1971年だそうだから、「ハンバーガー」というものについての知識はあったのだろうか。マックのハンバーガーを食べたことがあったのかどうか忘れたが、デニーズの「ブリティッシュバーガー」はとにかく豪華で旨かった。

 珍しいもんだから、調子にのって、週に一度ぐらいはデニーズに通ったような気がするのだが、やっぱり知らない食べ物が気になって、「フレンチディップ」なるものを頼んでみた。バターをつけてちょっとトーストしたフランスパンに、ローストビーフがはさんである。その脇の小さなカップにスープのようなものが入っている。しかしスープにしては量が少ない。ちょっと飲んでみると、やけに味が濃い。どうも食べ方が分からないので、オネエサンに聞くと、そのスープのようなものは飲むのではなくて、パンをそれに浸して食べるのだという。今なら「ディップ」の意味からもすぐに分かるようなもんだが、その頃は「ディップ」なんて聞いたこともない言葉だったから、へえ〜と感心しながらも、そんなお行儀の悪いことして食べていいのかと思いつつ、言われた通りにやってみた。なんて旨いんだ! と感激した。それ以後、行くたびに「フレンチディップ」ばかり食べていた。

 アメリカの料理は旨くないなんてことがよく言われるが、ぼくにしてみれば、「フレンチディップ」は、いくら「フレンチ」とついていても、正真正銘のアメリカ料理であって、今まで口にしたことのない旨い料理であったのだ。

 「フレンチディップ」に飽きたころ、「ピッグインナブランケット」というのを頼んでみた。パンケーキにソーセージが包まれていて、それがちょうど「毛布にくるまった子豚ちゃん」に見えるということからついた名前だったようで、感激するほど旨くはなかったが、アメリカ人らしい突飛な発想がおもしろいと思った。

 しかし、それから何年経ったころだろう。突然、「フレンチディップ」「ブリティッシュバーガー」「ピッグインナブランケット」もすべてのぼくが愛した料理がメニューから消えた。そして、どこにでもあるつまらぬ料理しか出てこない普通のレストランになってしまったのだ。ぼくはがっかりして、だんだんデニーズから足が遠のいた。ぼくが感激して、通い詰めたデニーズは、ただのレストランとなり、ぼくのなかの「夢のデニーズ」はもろくも崩れ去ってしまったのだ。

 今、改めて調べてみると、あの一号店のデニーズは、アメリカの本社から調理器具などの一切を持ち込んで、アメリカの店と非常に似通ったメニューを出していたのだそうだ。それは、日本のデニーズがアメリカのデニーズ社と結んだ契約によるもので、独自のアレンジもなかなか許されなかったのだという。それが、あのデニーズの日本での独自性を生み出していたのだ。そしてそれがぼくの夢をかき立てていたのだ。

 しかし、1984年にデニーズの商標権をデニーズジャパンが買い取った結果、独自のメニューを自由に出せるようになった。それが、あのメニューが消えた原因だったわけだ。「フレンチディップ」にしろ、「ピッグインナブランケット」にしろ、珍しさはあっても決して人気メニューにはなれなかったのだろう。現に、ぼくら以外には、あまりそういうものを頼む人はいなかった。みんな、スパゲッティだの、オムレツだのという無難なものを頼んでいたのだ。みんなが好きなもの、絶対に売れるもの、そんなものにシフトしていくことで、デニーズはぼくにとっての魅力を失った。そのことによって、デニーズは全国展開して巨大なファミレスになって行ったけれど、料理の魅力はそこにはもうないようにぼくは思う。

 ただ、ぼくの思い出のなかで、デニーズ一号店の、あの華やかなメニューが燦然と輝いているだけだ。

 


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