2 部活人生

2016.10.4

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 栄光学園の中学生になったとき、真っ先に生物部に入った。

 中学2年のとき、ぼくがあまりに小っちゃくてやせっぽちで貧相で体が弱そうだったからか、特攻隊の生き残りで非常に厳しい生活指導で恐れられていた大木神父に体を鍛えよと言われ、むりやり運動部に入らされた。バスケットボール部に1年いて(もちろんレギュラーなんかになれなかった)、生物部と「兼部」した。

 中学3年のとき、結局背が20センチほど伸びたという「成果」しかもたらさなかった(たいした成果だが)バスケットボール部をやめ、生物部一筋になり、昆虫採集(主に甲虫類)に熱中して、人生最高のシアワセを味わったが、成績は激しく急降下した。

 高1のとき、それまで尊敬してやまなかった生物部の先輩が高3になって引退してしまったので、すっかり世をはかなみ、挙げ句の果てに「女子」が学校にいないことに初めて気づいて絶望し、やけになって、いっとき陸上競技部に入ったりしたけど、生物部はやめなかった。

 高2のとき、理系に進学することをあきらめて文学部志望にしたけど、生物部のキャプテンをやった。

 高3のとき、大学受験で、得意の生物で前日何となく勉強したところがモロに出て、倍率十倍を超える大学(東京教育大学)の文学部に合格した。奇跡といわれた。(ぼくの模試での合格可能性は「4パーセント以下」だった。これじゃ、数年前の手術での死ぬ可能性より低い。)

 大学1年のとき、入学直後に野外研究会という自然保護系のサークルに入った。そのころは今ほど人気のなかった高尾山で小学生相手に「自然教室」を開催した。その夏、そのサークルの関係で、尾瀬の自然保護センターで半月のバイトをした。ものすごく楽しかったのだが、そこから帰ってきて、自分は生物学を諦めて文学部に入ったのに、またこんなことをしている、それでいいのかと激しく自分を責めて、秋に野外研をやめた。大学は、すでにロックアウトされていて、苦難の、放浪の、大学生活がはじまっていた。

 それから数十年の月日が流れ、気がつけば、国語の教師を42年もやって退職し、国語一筋の人生と思われがちだが、花の写真を撮ったり、蝶々の姿を追いかけたりして、結局のところ、根っからの「自然好き」である。

 今年になってから、かつての生物部の後輩たち(といっても、何十歳も年下だが)が、フェイスブックに、「僕は一生生物部します!」って書いたTシャツを作ったという記事とその写真を載せた。それを初めて見たときは、ふ〜ん、変なの、って思っただけだった。オレとは関係ないと思っていた。けれども、昨日だったか、急に、そうだオレもだったんだ、って思った。

 高校を卒業したとき、生物部をやめたと思っていたが、「生物部」は、高校に存在する「団体」のことではなくて、ひとつの「生き方」なのだ。「生物部する」という変な言い回しは、実はこのことを言っているのかもしれないと気づいたのだ。

 そういえば、去年から仲間に入れていただいたフェイスブックのグループ「みちくさ部」も、「団体」というよりは、やはり「生き方」なのかもしれない。「生き方」が大げさならば、「考え方」「楽しみ方」でもいい。

 ぼくは、中学生のころから「生物部員」であり、教師になってからは「演劇部員」であり、最近では「書道部員」「水墨画部員」「みちくさ部員」である。そういうことなのだった。

 


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