81 生半可な知識 

2012.7.14


 あいかわらずいい加減なことばかりなのがテレビである。先日の「雑学家族」。この時間帯は「二人の食卓─ありがとうのレシピ」を見ていたのだが、3月に終了してしまい、その後番組にこれが始まったので、何となく見ているのだが、先日は「お風呂」についての雑学。まずは菖蒲湯から。

 子どもの日といえば菖蒲湯ですよね、といって、写真が出る。それが「花菖蒲」である。この誤解は、ほんとに多い。いつまで経ってもなくならない。菖蒲湯にいれる「菖蒲」と「花菖蒲」はまったく別の植物である。このことは以前も書いたから繰り返さないが、とにかく菖蒲にはあんな派手な花は咲かないのである。ほんとにテレビ制作者は不勉強だなあ、なんてイライラしてしまう。

 さて、なぜ子どもの日に、菖蒲湯に入るのでしょうか。答は、男の子の節句なので、「勝負」とかけたから、なのだと言う。そうかなあ、語呂合わせなら「尚武」じゃないのか。というか、むしろ、まずは邪気を払うという意味が大きいはずだけど、などと思いつつ、後で調べてみる。

 すると、もうこれは古代の中国までにさかのぼり大変なことなっている。かいつまんで簡単に言えば、古代の中国では5月というのは悪月で、特に5月5日生まれの子どもは成長すると親に害をなすという俗信まである始末で、それで、5月5日には、ヨモギで人形(ひとがた)を作って門戸にかけたりして毒気を払ったのだそうだ。それが日本にも伝わった。5月5日は「薬日」と呼ばれ、平安時代なんかは野に出て薬草を競ってとったり、菖蒲でカヅラを作ってそれを頭にかぶったりしたという。みんな邪気を払うためである。この「菖蒲カヅラ」は、宮中でもだいぶはやったようである。その菖蒲を屋根にふいたり、菖蒲の長さを競う根あわせという競技をしたりしていたが、やがて江戸時代になると、「菖蒲」が「尚武(武道・軍事を重んじること)」と音が通じるということで、男の子の節句となっていったという。まあ、武士の時代だから、「尚武」だろう。これが「勝負」に通じるというのは、少なくともぼくが調べたこの『国史大事典』には書いてない。「勝負」に通じるというのは、俗説ではなかろうか。ほんとうの武士道は「勝負」じゃないだろう。勝てばいいなんてのは武士道ではない。「勝負!」なんて言って大騒ぎしているのは賭場だ。菖蒲湯は、「菖蒲の葉や根を入れてわかした菖蒲湯はからだを浄め邪気を払うとされ、今日に及んでいる。」ときちんと書いてある。

 調べてみるとまあこんなところだが、ぼくも調べるまでもちろんここまで知っていたわけではない。ただ、菖蒲湯は「邪気を払うため」という感覚ははっきりあったし、そのくらいは常識の範囲だろう。それにまったく触れないで、ただ「勝負」とかけたから、で済ませて、みんなで「ふ〜ん、そうなんだあ。」と言って終わりになるのが昨今のテレビである。

 だが、生半可な知識はむしろないほうがいい。「あ、それ知ってる!」はそこでもう行き止まりで、それ以上調べないまま終わってしまうことになるからだ。「どうして?」と思い続けるほうが、やがて「きちんと調べる」という機会を用意することになる。死ぬまで「どうして?」と思い続けることになるかもしれないが、それはそれでほほえましいではないか。というか、世の中のことなんて、ほとんどそういうことばかりではなかろうか。

 ところでその後、お風呂の話は公衆浴場の話になり、江戸時代はみんな混浴でした。しかし、幕府がその混浴の習慣は「香しくない」というので禁止しましたが、なかなかその習慣はなくならず、明治に入っても残っていました、なんて言う。みんな混浴だったかどうかはあやしいが、それよりもびっくりしたのは、江戸時代の御触れの「香しからず」をアナウンサーが「こうばしからず」と読んだことである。そりゃあないでしょう、どう考えても「かんばしからず」だろうとまたまた悪態をついたのだが、後で調べてみると、古くは、好ましという意味の場合でも「香ばしい」は「こうばしい」と読んだことがわかった。しかし、その後、「かんばしい」が一般的となり、現在では「かんばしい」である、ということだった。

 さて、番組ではそこまで調べた結果として、わざわざ「こうばしからず」と読んだのだろうか。それならたいしたものだけど、そうだとしたら「菖蒲」の写真の誤りや「菖蒲湯」の起源の説明のいい加減さと釣り合わない。やっぱり「香ばしい」を「かんばしい」とも読むということを知らなかっただけじゃなかろか、なんて邪推している。


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