80 間違えだらけの日々 

2012.7.8


 そんなにヒマをもてあましているわけではないのだが、こう休みが多いと、家にいて仕事(原稿を書く仕事がかなり多いのだ。といっても、一般には目にふれることのない教育関係の原稿で、売れっ子作家というわけではありません。)ばかりしていることになる。その仕事も締め切りに追われてせっぱつまっているというわけではないのに、つい夢中になり、気がつくと朝から昼飯までずっとパソコンの前に座りっぱなしなんてことになっていて、その結果、肩は凝るわ、腰は痛いわ、目はかすむわの大騒ぎになる。

 だから、意識的にボーッとしていようと思うのだが、これがなかなかできない。5分と持たない。もっとも最近では5分と持たないで寝てしまうということがほとんどだが、起きていてしかも「仕事」から離れるには、家内とスーパーに買い物に行くとか、庭で草むしりをするとかいったことを、意識的にやらねばならない。そうでないと、無意識的に仕事をしてしまう。これを世間ではワーカホリックというのだろうか。

 買い物でも草むしりでもいいけれど、自分をなくしてしばしボンヤリするには映画もいい。といっても、映画は昔から好きだから、ついちゃんと見てしまう。ほんとうはどうでもいいサスペンスドラマを見るのがいちばんなのだが、それはもう夕食の後は、それしかしないってほどやっている。問題は昼間なのだ。

 で、少なくとも暗やみで、自分をなくしてボーッとするために、近ごろはまたぼつぼつ映画館に足を運ぶようになった。こういう場合、シニア料金というのはありがたい。

 そういうわけで、「テルマエ・ロマエ」を観た。ヒットしているからというのではなく、他愛もなくていいだろうと思ったからだ。しかしあまりの他愛のなさに、口あんぐりで、いくらシニア料金1000円だからといって、これで笑いもしないで帰るのは悔しいから、一生懸命笑っていたが、後半になったらそれすらできなくなってしまった。こんなに荒唐無稽な話なのだから、最後までもうどうしようもなく荒唐無稽で突っ走ってほしかったのに、変に安手の歴史ドラマに収束してしまう様は、まったく、情けないやら、呆れるやら。

 で、翌日、口直しにと思って、家で、録画しておいた今井正監督の「仇討」と、小林正樹監督の「切腹」を続けてみた。2本ともモノクロの時代劇だが、ああ、こんな映画を作れる時代もあったんだと感慨もひとしおで、またぞろ「テルマエ・ロマエ」の中途半端さが腹立たしくなってくる始末。

 それはそうと、「仇討」で、中村錦之助の妹役で出ていた佐々木愛という可愛い女優さんは、何と数年前、ぼくが応援している劇団キンダースペースの芝居の後の飲み会で、ぼくのすぐ近くに座り、この方が文化座の佐々木愛さんですと紹介されて一緒に飲んだのに、その時は、こんな有名な女優さんだとはちっとも理解してなかった。何というオロカモノであろう。これでも映画ファンの端くれであろうか。

 その翌日、またまたヒマなので、もう一本映画を観ようと、出かけた。「テルマエ・ロマエ」を観た日、実は本当は「スノー・ホワイト」を観るつもりだったのだ。テレビで「あの、アリス・イン・ワンダーランドの……」とかいって宣伝していたような気がしていたので、てっきりティム・バートンの監督だと思い込んでいて、これは観ねばと思っていたのだが、出かける前にネットで調べたら、なんとティム・バートンとは全然関係ないことがわかった。それなら、ニッポン放送で、阿部寛がしゃべっていた「テルマエ・ロマエ」にしようと思ったのだった。

 で、今度は、ティム・バートンじゃなくてもいいから、「スノー・ホワイト」を観ようかと思ったのだが、どうせまたCGのオンパレードに決まっているだろうしなあと思ったら、ジョニー・デップの「ラム・ダイアリー」をやっていて、こっちは新聞記者の自伝的なものらしいから、リアルでいいかもなんて思って観ることにした。

 ところが映画が始まって20分ほどたっても、どうも主演の俳優がおかしい。あれ、彼はこんな顔だったっけ? 変だなあ? 歳とったってことかなあ、なんて思って観ているうちに、それからややしばらくして、何だ、これ、ジョニー・デップじゃないか、と思った。

 これがどういうことか説明すると、見始めた当初から、主演はレオナルド・ディカプリオだと思い込んでいたのだ。タイトルにJony Deppって出たのを眺めながら、ああ、デップってDeppって書くんだ。Pが二つかなんて思っていたのに、すっかりその俳優をディカプリオのイメージで考えていたのだ。

 こうなるともうどうしようもない。仲代達矢が出ているのに、三船敏郎ってこんな顔だっけって思って映画を観ているようなもんだから、お話にならない。

 こんなことなら、これ、新垣結衣? それとも堀北真希? なんて言ってテレビドラマ観ている方がいいかもしれない。さすがに、最近ごひいきのこの2人を間違えることは絶対にない(と思う、いや思いたい)が。

 もっとも映画やテレビドラマならこれですむ。ジョニー・デップに向かって、すみません、レオ様だと思って観てました、なんて面と向かって言うなんてことはどう考えてもあり得ない。しかしこれが生の芝居だとそうもいかない。

 1週間ほどまえ、件の劇団キンダースペースの「モノドラマ」を観にいった。1人ずつ舞台で、近代小説を朗読劇のようにして演じるという実にユニークな形式の芝居で、その中で、秋元麻衣子さんという女優さんが宮沢賢治の「虔十公園林」を演じた。なかなか印象深かったので、芝居がはねたあと、受付の所にいた秋元さんに、いろいろと感想を述べた。「なかなかよかったじゃない。賢治は今授業でやっていてね。」なんてことをしゃべっていると彼女もニコニコ笑って応対してくれていたが、5分ほど話しているうちに、彼女は「中に秋元いますから、直接言ってあげてください。」というではないか。え? なに? 一瞬何のことかよく分からなかったが、すぐに気づいた。何と、ぼくが話していた相手は白沢靖子さんという別の女優さんだったのだ。そうだよね、あなたは白沢さんだ、でも似てるよね? と、慌てふためき、苦し紛れにそういうと、ええ、よく間違えられますって気を使って言ってくれたのがせめてもの救いだったが、観てから1時間も経っていないのに、その役者の顔を間違えるとはいったいどういうことなのか。オレももうダメかなあと、高校時代の教え子で、この劇団の看板女優であり、かつ主宰者原田一樹さんの妻である瀬田ひろ美さんに言うと、だって先生、もうずっと前だけど、私と白沢を間違えたじゃないですか、って言われてしまった。まあ、今、急にボケ始めたのではないということが分かっただけでも、少しは慰めとしなければならないのだろうか。あ〜、やだやだ。


Home | Index | Back | Next