ふりかえってみれば・・・2001年(第五回)

2001年12月から2002年1月までの期間限定で募集・公開しています。

第一回(’97年)をふりかえる
第二回(’98年)をふりかえる
第三回(’99年)をふりかえる
第四回(’00年)をふりかえる


2001年は、あなたにとって どんな年でしたか?
轟様や、宝塚のこと、あなたご自身のこと、周りでの印象的だった出来事
どんなことでも、お聞かせ下さい。
 

YAMAさま ひーちゃんさま  らいさま ゆめひこさま まみーさま ゆずさま
満月さま Junkoさま はるこさま Masakoさま ちえさま ちえこさま
たぁたぁさま わんこさま Kazukoさま sayukiさま よっしーさま さえこさま
あめひこさま 小倉さま やうこ 花梨さま sakikoさま

2001年 轟 悠さまと みなさまと 共に 輝いた日々!
他にも 残したい記念日がありましたらお知らせくださいませ。
 1月 1日 東京宝塚劇場オープン:新春口上ご挨拶
 1月 2日 宝塚大劇場ロビーにて鏡開き
NHKBS星組公演に際してご出演
 1月18日 芸術祭優秀賞・受賞式 (赤坂プリンスホテルにて)
 当日TOM時間(10時6分)みなさまと乾杯!
 2月23日
   〜
 4月 2日
宝塚大劇場公演「猛き黄金の国」「パッサージュ」
 5月11日
   〜
 6月24日
東京宝塚劇場「猛き黄金の国」「パッサージュ」
 8月 1日
 〜 23日 
博多座公演「凱旋門」「パッサージュ」
 8月28日 轟 悠様 専科発表
10月 5日
   〜
11月12日
宝塚大劇場公演「愛 燃える」「Rose Garden」
12月2,3日
    7,8日
ディナーショー 「Noche de Yu」
  ホテル阪急インターナショナル
  東京 パレスホテル


sakikoさま(1月31日)
1月1日東京宝塚劇場オープン〜12月8日東京パレスホテルのディナーショー「Noche de Yu」まで・・
もれなく追っかけつづけられました2001年も、それはそれは幸せな年でした。
轟さまからいただいた、たくさんの夢と感動を皆さまとご一緒に分かち合えた日々は、
私の大切な想い出です。

数ある2001年の記念日の中でも、
轟さまが、専科という道をお選びになったことで、これからもずっと応援しつづけられる幸せをいただけた8月28日は、忘れられない記念日です。
終わることのない夢があるとしたら・・なんて素敵!
そんな夢が叶いそうな。。予感

「With Yu」で、より多くの皆さまとご一緒に、さらなる夢と感動を語り合えますように。。。
花梨さま(2002.1.30 )
*2001年を振り返って・・・*
TOMさまに出会い、心奪われ、めでたく”夢悠病”に(*^^*)
長年の夢だった、ムラでの観劇。
そして、やうこさまをはじめ、お気楽座の皆様との出会い。。。
一緒に笑ったり、涙したり、そんなお仲間がたくさんできて、
とても幸せな年でした。

TOMさまが専科へ移られる・・・
そんなニュースに、心穏やかではいられなかったけれど、
今では、TOMさまはTOMさまであり、どこにいらっしゃっても
「轟悠」という一人の役者として、輝きを放ち続けられる方だ
ーーーそう確信しています。

TOMさまに出会って、たくさんの事を教えてもらいました。
一日一日を大切に、感謝を忘れずに、今年もよろしくお願いします
小倉さま(1月24日)
2001年秋、あの時程、自分のぐうたらさに感心したことは無いです。
テスト週間中であろうとなんであろうと、昼間はTVを堪能する・・・。
そして宝塚にめぐり合う・・・。なんとまあ素晴らしい(のかな?)出会い!!
その日から私の心は『宝塚』に支配されております。
何故もっと早く出会えなかったのかなって思うんですけど、もっと早く出会っていたら、おそらく私の性格からいって、
「宝塚に入りたい」とかいうに決まってるんです。
まあそれはそれでいいなあって思うわけですが・・・。
でもそうしたら音楽の道を投げ出しざるを得ない結果になってしまいますし。
だからきっと、進路が決まっちゃってから、ってことになってたんでしょうねえ
(笑)
こんなにも素晴らしい世界があったなんて。自分の視野が一気に広がった気がします。
これからもずっとずっと、応援させて頂きたいです。
そして、2002年には、自分で働いたお金で、公演を観に行かせて頂くのが目標です。頑張らねば!! 小倉

あめひこさま (1月19日)
○ 轟さんの存在を知りました。

50歳近くなり、人生の先も見えてきて、澱んでいた自分の中に 異変が起きました。
体中の血が勢いよく流れ出し、空は広く青いものだと思い出し、5月の若葉の緑の美しさに赤ん坊のように無心に涙が流れました。
いつのまにか、モノクロに見えていた世界が輝きを取り戻し、絵筆を持つ楽しさに出会いました。

○「インターネット」「WITH YU」を知りました。

実生活では なんとなく、逃げていた「IN」、しかも、苦手な女だけの世界と 真正面から向き合うことになりました。
今まで別世界のこととして 身に付けなかった人付き合いの常識が、溜まった宿題のごとく、我が身を押し潰し、
逃げて通るのも、一つの選択でしたが、もう少し身をゆだねてみることにしました。
「何とかの手習い」状態ですが、自分自身を見失うことなく、お勉強していこうと思っています。

○やうこさまに会いました。

人として女としての生き様を学びました。
自分の至らなさ、たどり着こうとして、たどり着けない器の違いを知ることで、自分の分を悟りました。
やうこさまの裾をしっかり掴んで、たとえ、蹴落とされても しがみ付いて、やうこさまが観念し、
皆様が あめひこがいないと物足りなくなるまで、お喜楽座に居座って行きたいと思います。
お喜楽座の「座付き」と言われることが私の誇りです。

いつか、人生を振り返るとき、2001年は私にとって、何物にも変えがたいターニングポイントになると 確信しています。
さえこさま (1月6日)
私の2001年…、色々なことがありながらも、思い返せばあっという間でした。

やはり、轟ファンとして、一番の出来事は“専科入り”の発表でしょう。
1997年に轟さんのファンになった私、
轟ファンとしての歴史が、ほとんど雪組トップとしての歴史でしたので、
できたら、華々しく退団して欲しかったのです。
でも、ご本人が色々考えて決めたであろう専科入りを、
今は、温かく見守っていこう…と思えるようになりました。

そして、同期トップである、マミちゃん、ノルさん、タモさんの退団も私にとっては大きな出来事でした。
ひとつの時代が終わった…そんな感じで。
特に、マミちゃんは大好きな方だったので、本当に寂しかったです。

でも、昔、安奈淳さんや、麻実れいさんのファンだった頃は、
彼女達が退団してしまって、なんとなく宝塚から遠ざかってしまったのですが
今は、ずっと見続けよう…、そんな気持ちになっています。
やっぱり宝塚の舞台が好きだ…という自分の気持ちを大切にしていきたいな、と思います。

あとは、個人的なことですが、HPを開設したことでしょうか。
更新など大変なこともありますが、それにまさる楽しさがありました。
そして、やうこさまのご苦労が、本当にほんの少しですが
わかるようになりました。

イラストも、仕事で描くのはやはり大変なことも多く、
投げ出したくなることもありましたが、なんとか頑張ってこれました。
そのぶん、轟さんのイラストは、楽しく愛をこめて描きました。
こんなに愛が偏っていていいのだろうか…とも思いますが、
好きなんだから仕方ないですね。
みなさまの温かいお言葉が、何よりの励みでした。

2002年も、自分らしさを忘れずに、後悔のないようにすごしていけたら…
と思っています。

やうこさま、みなさま、これからもどうぞよろしくお願いしたします♪
よっしーさま (1月3日)

21世紀開幕の年、2001年は世界的にも個人的にもいろんなことがあった年でしたー
長々と細々と送ってきた我がヅカ生活においてもPC購入にともない大変革の年となりましたー
2001年を振り返るとー

一、「With Yu」を発見!
 しばらくは拝見するだけで満足していたのですが・・・

一、「パッサージュ」
 元々故小原先生のレビューのファンだったので中村先生に続いて荻田先生がとどさん率いる雪組で素敵なレビューを発表されたことは個人的に大事件でしたー

一、高層マンション問題
 32階建てマンションが大劇場の向かいに建つってことで署名運動とかがんばっていたのですが結局建設が決まってしまいましたー永年ムラを愛してきたものとしてショックな事件でしたー

一、お喜楽座デビュー
 やうこさまの「愛の賛歌」がきっかけでデビューしてしまいました、色々御迷惑もおかけしましたがー

一、初地方公演
 今までかたくなにムラ&大阪以外では観劇しなかったのですが、凱旋門&パッサージュという最高の出し物と皆様の情熱にそそのかされて(?)とうとう博多座まで行ってしまいましたー

一、お喜楽座テーブルもデビュー
 かんなり勇気が入りましたが博多座&十月大劇場公演でテーブルにもデビューしてしまいましたー

一、
ベルばら再演
 元雪組でとどさんとともに頑張ってきたメンバーが各組で歴史的な再演に参加!おまけとしてなつかしいとどさんのアランとテレビで再会できました!

一、同期トップの退団、そしてー専科入り
 次はとどさんかーといつもドキドキしていたところ、ぐんちゃんの退団発表に続いてのとどさんの専科入り発表!そろそろあいつもヅカファン卒業かと期待していた周りの人間はがっくりしていましたがー

こんな男性ファンのよっしーですが2002年もお手柔らかによろしくお願いします。

21世紀が平和の世紀になりますようー2002年こそはこれ以上悲しい出来事が起きませぬうよう御祈念しますー。

sayukiさま (1月1日)
お喜楽座のみなさま、新年おめでとうございます
私の2001年は6月、初めてこちらにおじゃましたことです。
PCは超初心者で、おそるおそる投稿した私に
やうこさまをはじめ、皆様からのあたたかいレスに
とても嬉しく、世界が広がった感じがしました。
友人からお誘いがあり、幸運にも博多座観劇、
お喜楽座の皆様と初お目見え、皆様から優しくお声をかけていただき
初対面ながら、10年来の友人のような気がしました。
秋の大劇場、12月のDS・・・感動の渦の中で
喜びを共有できる仲間がいることへの充実感を味わっております。
Tomさまを観はじめて10年・・・Topにはなられると確信しておりましたが
専科に進まれるとは・・・びっくりして、気持ちの整理に時が必要でした。
でも春日野八千代さんの後継者となられるかたは
この方しかいらっしゃらないのだ・・・・これからも、Tomさまの舞台が
観られる喜びを与えられたことに感謝しようと思います。
東京公演はチケット入手が厳しく、回数観れそうもありません。
お喜楽ざの東京デビューは今度が初です。
やうこさま、みなさまことしもよろしくお願いいたします。
Kazukoさま (1月1日)
2001年・・・忙しい一年でした。
それは轟さんを追いかけて忙しくなったので、ウレシイ忙しさでもありました。
自分に出来るだけのことを出来るときに・・・と、東奔西走したような気がします。

彌太郎さんに出会い、ラヴィックに再会し、
呉王夫差に魅せられ、ダンシングローズの虜になり
ディナーショーでは釘付けになりました。

毎日炎天下 日傘を差しながら通った博多座。
千秋楽のご挨拶で「暑い毎日、舞台を見てくださり・・・」のようなお言葉。
勘違いですが、その瞬間は私に言ってくださったんだと涙が止まりませんでした。

そして、今は夫差に会う日を指折り数える日々・・・。
こうして2002年があけ、過ぎていくのだと思います。
今年も忙しくなりそうです。
轟さんの舞台を見られる喜び、幸せを胸に

長いおつきあいこれからもよろしくお願いいたします。Kazuko
わんこさま (12月31日)
やうこ様、お喜楽座の皆様、こんにちは。
こちらのHPにお邪魔して3ヶ月くらい?のわんこです。
2001年を振り返ってのメールをさせて頂きますね。

今年に入って3月に宝塚大劇場での「猛き黄金の国/パッサージュ」から始まり、8月には、博多座での「凱旋門/パッサージュ」も観劇して、ますます、轟さんの得も言われぬ魅力にとりつかれ、もっともっとトップとしてご活躍して頂きたいと思いつつも・・・

同期トップの真琴さん、稔さんに続き、愛華さんまで退団を決められ、轟さんも もうそろそろ退団を発表されるのではないかとドキドキしながら過ごしていましたら、相手役のグンちゃんが退団発表されて、轟さんの動向がすごく気になっていたんです。お願いだからまだまだ辞めないでーっと祈りながら。

そんな矢先に轟さんの専科入り発表があり、正直に言って私は、複雑な心境でした。
何で今の時期に?って。
同期トップの人達がみんな退団を決めたから、轟さんも雪組のトップからを退かせる為に劇団は、専科入りの話を勧めたのではないかと思ったりもしました。

でなかったら、何も今の時期じゃなくても良いじゃないって。でも、冷静になって考えてみると宝塚歌劇団全体のこと、轟さんご自身、そして彼女を応援する
方々にとっても劇団は、将来を見据えた的確な提案を出され、それを受けた轟さんの勇気ある決断に感謝すべきだって思うようになりました。

東京公演が終わったら、一番最後に轟さんが大きな羽を背負って大階段を降りて来られる凛々しいお姿は、見ることが出来なくなると思うと寂しいのですが、これからもずっと、宝塚の舞台、男役をこよなく愛する轟さんの舞台が観れると思うとやっぱり、おらー幸せもんだーと思って。

ところで、こちらのHPは、確か9月末くらいに見つけまして、ときどき皆さんのコメントを楽しく読ませて頂いていました。私の身近には、なかなか轟さんの話を出来る人がいなくて、皆さんのコメントを読む度にそうそう〜そうなのよーとディスプレイ越しに頷きながら。(端から見たら変な人?)

そして、かなりドキドキしましたが、10月末には、お喜楽座にもデビューを果たし、暖かく受け入れて頂いたことが嬉しかったです。(^-^)v
今までは、舞台以外の轟さんのことについて殆ど知らなかった私ですが、いろんなことを知り得て、ますます、夢悠病に拍車がかかったように思います。

チケット掲示板も利用させて頂き、ご親切にも譲って頂いたりして感謝、感激でございました。
その時にお世話になった方々とお知り合いにもなれてすごく光栄でした。
お喜楽座に来られる方は、親切で気さくで素敵な方ばかりだなぁって。

そんなこんで宝塚大劇場での「愛燃える/ローズガーデン」は、雪組のトップとしては、最後の雄姿を目に焼き付けようと同じ公演で何度も観に行くことがなかった私ですが、4回も足を運びました。懐と時間の都合がつけばもっと観に行きたかったのですが・・・(^-^;)

最後に超念願であったDSにご親切にもチケットを譲って頂いて観に行けたことが、本当に嬉しくてもう一生の思い出になることは間違いありません。
と言ってもあまりにも轟さんが素敵過ぎて、何を歌われてたとか明確には覚えてないのですけど。(^-^;)

ただただ、心染み入る歌声に酔いしれ、カッコ良過ぎる(美し過ぎる)お姿にうっとりで「キャー、ステキー!」とか溜息をついている間に終わってしまったという感じでしたけど、2001年の締めくくりには、最高の舞台でした。

長くなってごめんなさい。どうも要約して書くのが苦手なものですから。
来年も東京公演終了後から専科として活躍される轟さんを応援しつつ、お喜楽座、まだデビューを果たしていませんが、お喜楽座テーブルでまだお会いして
お話をしたことがない方々と楽しくおしゃべり出来たら光栄と思います。

まだまだ、皆さんに教えて頂きたいことが一杯のわんこですが、来年もどうぞよろしくお願いします! m(_ _)m
2002年も轟さん、お喜楽座の皆さんのご健康とご活躍を祈りつつ良いお年を!
                                      
By  わんこ
たぁたぁさま (12月31日)
これまでの生活ががらりと変わった記念の年。
心から尊敬している轟悠様との出会い。
大変辛いこともありますが、毎日の生活がこんなにも大切なものであるこを気づかせてくれた1年。
専科入りを知った時は、夢はかなわず終わってしまうと泣きましたが、
今でも、本当に見たのか不思議な感覚でおりますが、生の舞台、目の前の轟様。
これからも、変わらず、また、お会いできる日を楽しみに轟様の頑張りに、自分も負けないよう新しい年も過したいと思います。
私を支えてくれた轟様と、このお喜楽座に集まるすべての方に 感謝いたします。
ちえこさま (12月31日)
今年の私の轟様ライフは元旦の轟さまに始まりました。
元旦東宝こけら公演を観ることができました。宝塚、東京、そして博多までとさながら追っかけのようでございました。
12月のDSも、記憶に新しいところです。
いつでも どこでもお喜楽座の皆様の優しい笑顔があり、楽しいひとときを過ごせました。

そして轟様の専科入り発表・・・覚悟していたこととはいえ、雪組トップではなくなることに、寂しさが募りました。
でも、これからも轟様の舞台が観られる私達は幸せですね。

個人的にですが、元中日監督の星野さんが阪神監督になられました。私は轟悠さまにはまる前はバリバリの中日ファンでした。
最初に監督ありて・・・というか 星野さんのファンになってから、中日ファンになったんです。
中日球場(当時)はおろか、横浜球場、東京ドームにも応援に行き、次は甲子園球場も制覇?かと思っていた矢先に 畑違いの宝塚の轟悠さまにはまりました。1997年のことです。
やうこさま、すみません。今年を振り返ってではないですね。
星野さんの、試合は熱く熱く(ハード プレイ ハード)、オフは優しく という姿勢が好きでした。
これは轟様の、舞台は熱く熱く、オフは優しくという姿勢にも 共通すると思っています。
ですが今は、ちょっと野球の方はお休みです。
星野さんも球界のために阪神の監督になることを決断いたしましたね。

また今年の私の一番の出来事は「猛き」東京公演中に、母を亡くしたことでした。
楽は観られませんでしたが お喜楽座の皆様に励ましていただいたこと、一生忘れません。
本当に有難うございました。
ちえさま (12月31日)
プライベ−トでは永遠の悲しい別れがありました。
また6年越しの夢がいよいよ叶う年にもなりこちらは嬉しいことです。
ただ夏以来体調を崩し、地下鉄日比谷駅のなが〜い階段が辛く 100周年までにエスカレタ−をと期待しているのですが???

轟さまの舞台は、やはり今年も宝塚男役の醍醐味に酔いしれました。
羽織りの紐を結ぶ手つき、片頬にふっと自嘲のような笑みを浮かべ花道を退場する自信満々の壮年弥太郎さまと、目をきらきら輝かせ夢へ向かって歩き出す若い弥太郎さま
大劇場、1000day‘S劇場に続き博多のラビック氏に、みたび出逢えた喜びに感動いたしました(博多のビデオが無いのが残念です)
パッサ−ジュの博多向けの舞台もしゃれていて素敵でした。
愛燃える・ロ−ズガ−デン!!!いまだ夢覚めず
こちらも最高で、轟悠さまから目の離せない1年でした。

やうこさま今年も素敵なwith yuをありがとうございました。
そしてお喜楽座の芸達者なみなさまにも感謝いたします。
     ちえ
Masakoさま (12月30日)
 2001年もあとわずか。
私のこの一年はとても忙しい日々の連続でした。

それでも轟様の舞台は、いつもいつも楽しみにしておりました。
まず、「猛き黄金の国」は、始めはどんな舞台になるだろうと
とても心配しておりましたが・・・。
やはり、我が轟様でした。
等身大の岩崎弥太郎様を演じられてとても奥深く、
懐の大きい人間「岩崎弥太郎」で、ますます轟様が好きになりました。
今の宝塚では、この役を演じられるのは轟様しかいないと思いました。
本当に同じ女性かしらと思えるほど、男らしい轟様。
そして、お茶会で見せるふわっと人を包み込むような優しい、エレガントな轟様。
このギャップがたまりません。

そして、専科の発表。
これも、とてもショックで複雑な心境でした。
でも、これからもずっとずっと轟様の舞台を観ていられることを思えば、
私たちファンは幸せですね。
これからも、どんな舞台に出会えるかと思えば胸がわくわくします。

8月の博多座公演。
恋いこがれていたラヴィック先生、でも見に行けませんでした。
そして、ビデオで我慢して・・・・・。
ぶんちゃんのボリス、見たかった・・・・・。

「愛燃える」はぐんちゃんのサヨナラ公演。
いしちゃんとぐんちゃんのコンビ、大好きでした。

やうこ様、いつもお会いする度に優しい心遣いをありがとうございました。
劇場でお会いしたお喜楽座の皆さま、本当にありがとうございました。
来年もまた、轟様の舞台を皆さまと一緒に感動できますことを・・・。


はるこさま (12月30日)
少し昨今の宝塚に不満足だったわたし・・・
小さい頃から観続けている宝塚ですが、もし、もしも轟さまがお辞めになったらまた1歩足が遠のいてしまうかしら・・・とさみしく思いながら2001年の幕は開きました。
でもご贔屓のトップスターさんには 華のあるうちに退団を決めて頂きたいな、と思っていたのも事実で、轟さまの専科の発表を聞いた時はとても複雑な思いがいたしました。
でも轟さまが一人の女性として決断なされた道。
大変な道だと思いました。 でも宝塚を愛してやまない私としては、やっぱり側におられる事がとても嬉しいなと感じはじめました。

轟さまが残られると言う事は、「もう少し、宝塚を観続けていきなさいね」と 神様が言って下さってるのかなと思う迄にもなりました。

今年も1年、轟さまの舞台に、お喜楽座の皆様との楽しいひとときに またたくさんの宝石を 人生において見つける事ができました。
その輝きは、いつまでも色褪せる事なく、私の宝物になる事でしょう。
(ちょっとクサかったかな?笑)
またいつもいつも 私のベアに暖かいお言葉を頂いて、心から感謝しています。
やうこさま、皆様、ありがとうございます。

そして、自分のHPを持って思った事も多々ありますが、
やうこさまのおっしゃる 節度ある、愛のある書き込みとは『思いやりのある書き込み』だと判断して、来年に臨みたいと思います。

皆様、今年1年、本当にありがとうございました。本当に楽しかったです。
                           はるこ
Junkoさま(12月30日)
今年は飛びました〜
2・3月「猛き・・」4月「星ベル」5・6月「猛き・・」7月「宙ベル」
8月「凱旋門」10・11月「愛燃える」12月「ディナーショー」

私は2月に、ちえこさまの後押しでお喜楽座デビューを果たし、
おかげさまで充実した観劇ライフを送っています。
観劇に加え、やうこさまや皆さまにお会いする楽しみが増えました。

6月「猛き・・」では、前楽のチケットが前日に手に入り、まさに飛んで行き
ました!楽は観れませんでしたが、楽の出待ちを初体験しました。
そして8月博多でようやく楽を初体験!
11月大劇「愛燃える」も運良く楽を観て、出待ちまで。
12月には念願だったディナーショーを観ることができました!!

姉にさえ「狂ったか?!」と言われた今年・・・
私としては幸せ!な1年でした。
遠く離れた沖縄で、同じ轟さまファンを見つけられたのもWITH YUの
おかげです!沖縄支部を作ることもできました。
来年また皆さまとともに、轟さまを追いかけて行きたいと思います。
私の夢は、轟さまが地方公演でまた沖縄にいらして、お喜楽座の
皆さまとここで会うことです!(いつかかなうといいな)



満月さま (12月27日)
やはり、やはり私にとって、一番の出来事は、DSで轟さんが私に歌いかけてくださった事でしょう・・・・しつこいようですけど(笑)
私の二年越しの気合、5年越しの愛をがっちり受け止めてもらった、そんな感じだったんですもの。
あーどうしましょ。
すっごい素敵でした・・・・・

後は、専科行きにすごくショックを受けた事でしょうか。
自分はどうして轟さんのこと好きなのかしら?と、じっくり考える事となりました。
舞台を見てるとそんな事吹き飛んで、理屈ぬきモードなんですけどね。

そんな舞台をこれからもずーっと観続ける事が出来るのですから、よかったなあ、としみじみ思います。

なんだかんだと今年もいい一年でした。
今が一番幸せです。
ゆずさま (12月26日)
こちらで、一年を振り返るのも4回目となりました。
2001年もWITH YUに、やうこさまに、お喜楽座の皆様に感謝の気持ちで一
杯です。
相変わらず、劇場へはなかなか飛んでいけずに悶々としている私を
幸せのおすそ分けが、楽しいお話が救ってくださっているのですから。
(なのに、ついついレスが遅れてしまって、すみません)
たった1回でしたが『猛き〜』を観劇でき、皆様のお話に納得気分で満足したり、
お茶会やディナーショーのご報告に勝手な想像をめぐらしたり・・・
本当に皆様、ありがとうございました。

そして、最大の感謝、宝塚・『轟悠』さまとの出会いを忘れるわけにはいきません。
専科入りの発表には驚きましたが、
轟さまのますますのご活躍をうれしく思っています。
皆様とこれからもずっと、夢悠病を楽しめるのですものね。
(ちと、お財布の中が心配だったりするのですが・・・)

今年は世界を震撼させる事件が起き、平和であるとか命の尊さ・はかなさを
考えずにはいられない年となりました。
新しい年が、轟さまの言葉を借りて『世界平和』へと向かうよう願いをこめ
て・・・・・・・ゆず
まみーさま (12月26日)
私の2001年を振り返ると・・・
色々な出来事がございましたm(_ _)m
でもその中で、印象に残っている事柄を挙げると
それは何と言っても、やうこさんのHP「WITH YU」に出会えたことが1番大きな出来事だったのではないでしょうか。
いつも家事・育児で籠の鳥状態だった私ですが 「WITH YU」に出会えたことで、視野が広がったというか。
沢山の素敵な皆さんともお友達になれたし。

10月には、待ちに待った初の、初の雪組観劇
いや、トムさん観賞に行くことが出来ました。
この日を、この日を待ちわびでおりました(ノ_・、)グスン
ビデオでは何十回、いや何百回と、トムさんに お会いしておりましたが、やはり生トムさんは素敵です。
あのオーラは生でこそ、味わえるものなのですね!!
今もあの時の感動を思い出すと、鳥肌がたちそうです(笑)
で、幕間には やうこさんをはじめ、沢山の座員の皆さんにお目にかかることが出来て、とても嬉しかったです。

やはりこの2001年の私は、宝塚歌劇とともに歩んできた感じでしょうか。(何て大袈裟な ヾ(・・;)ォィォィ)

来年も今年同様に素敵な1年にしていきたいなぁ・・・
と思っております。

やうこさん!
今年は本当にお世話になり、有難うございました。
来年も、こんな私ですが変わらず仲良くして下さいませm(_ _)m

なんか、まとまってない様な気がするのですが、
これにて、私の回想録を〆たいと思います。

まみー(^ー^)ノ~~
ゆめひこさま (12月23日)
今年も残すところ、あとわずかとなりましたね
 轟さまを追っかけて、お喜楽座の方たちとおしゃべりして
 気が付けば今年も終わり。。。本当にあっという間の一年でした

 初めて、お喜楽座におじゃましたのは4月
 大劇場の公演が終わって (この時は4〜5回観劇した程度だったのですが)
 その後の東京公演の皆様のご報告でだんだんボルテージが上がり
 博多公演を追っかけ、寝ても覚めても轟さま
 秋の公演では足シゲク大劇場に通いました

 念願のお茶会参加とDS出席の夢も叶いました
 とにかく轟さま一色の毎日で、これまでの私の人生のどこを切り取っても
 こんな濃い一年は無かったんじゃないかと思うほど
 のめりこんだ一年でした
 それでも、改めて思うことは
 もしお喜楽座を知らなかったら、
 こんなに嵌りはしなかったんじゃないか ということです。
 お喜楽座のみなさまの熱い思いに圧倒されながらも
 深い共感を感じ、どんどん傾いていったようにおもいます

 まだ一年経っていないのに、そんなに多くの方とおしゃべりもしていないのに
 もう何年も一緒に時を過ごしたような、そんな親しみを感じています
 それもこれも、いつの時も、気さくに手招きしてくださった
 やうこさまの暖かいお人柄ゆえとしみじみ感謝しています
 
 本当にこの一年お世話になりました
 来年もどうぞよろしくお願いいたします

 年が明けたら東京公演ですね  きゃっ!!思わずホホが。。。
 なかなか行けないと思いますが皆様のご報告を楽しみにしています

 一段と寒くなってまいりましたが
 お風邪などお召しになりませんように
 それでは良いお年をお迎えくださいませ ( ちょっと早いですが。。。笑 )
らいさま (12月21日)
やうこ様、皆様
こんにちは。香港のらいです。
2001年は新世紀への第一歩ですが、皆様はよくお過ごせましたか?私にとって今年は本当に素敵な一年でございます。

私は「再会」から、轟様のファンになった、それに宝塚生活も始まりました、ちょうと一年間位でした、疑問なくとても幸せな一年でした。

今年に振り返って、私は「波瀾万丈」と感じますが。トップさん達の続きの退団、新しいトップさん達のご誕生、ジャンヌさん達の組替、そして轟様が専科に入りなど...もちろん寂しい事があったんですけれども、喜ぶ事もあったんです、なんと言っても大変勉強になったの一年でした。

それに、今年は「WITH Yu」のお陰で、皆様に会えて出来て、いろんな情報が手に入れて、皆様からの素敵なイラストをご拝見できて、本当に私の寂しい生活の中に、たっぷりお暖かいを注ぎました、これも私の元気の元です。
やうこ様、皆様、今年は本当にありがとうございました、来年もまた宜しくお願い致します。

最後、とても尊敬な轟様へ、
轟様、今年は心より大変お感謝申しあげます、私は轟様にずっと応援したいと思います、それに宝塚歌劇団もよく愛護しております。轟様、誠にありがとうございました。

(「どうぞ 修正・編集して載せてください」と、書き加えていらっしゃいましたが、そのままのほうが、らいさまの一生懸命なお気持ちが伝わって、ステキだと思いました。らいさま、ありがとうございました。(やうこ))
ひーちゃんさま(12/5)

☆★☆ 銀河系の太陽 轟☆の 2001年 でした ☆★☆ 

*** 轟様のお茶会にて ***

2001年10月20日(土) 宝塚ホテル 「 宝寿の間 」
 
 そこで 轟様から 席番と 名前を呼ばれ
 御本人直々に手渡しで ステキな
 *** サイン入り ジェラシーのお写真 *** を頂きました。

 ひーちゃんぼーっとしていまして、
 轟様の お顔も お姿も 足元も 何も見ていないのです( シュン! )
 今ではそのお写真は毎日家族が一番よく集まる台所に飾ってあります。
 ( ちなみに台所だけで、轟様のお写真は10枚ほど額に入れて飾られていますけど)


*** Noche de Yu *** 
☆★☆ 轟悠 ディナーショー ☆★☆

2001年12月2日(日)の夜

まるで *** 銀河系美風空間 *** を思わせれような演出

あまりのロマンチックさと
ムードいっぱいの 演技 と 演出 と 音楽 と お衣装

その時の轟様は まるで*** 絹心の光 *** を輝かせていました

歌われているお姿とお声は
*** 千紫万紅の光 *** さえ感じられました。

轟様のディナーショーに参加できました事
心から感謝の気持ちでいっぱいです。

ちなみにホテルのお部屋の壁添いに L字 に並んでの
大勢の先生方や生徒さん達が テーブルも無く椅子のみ座られての観ショーでした。
こんなディナーショーは 初めてでした。
本当は私など参加できなかったのではと思っております。
かなりの方々が入れなかった様で、
一人でも多くの人達を参加させて下さったのでは?

★ 轟様や スタッフ様 生徒さん達の気配りだったのでは ★

ありがとうございました。
とてもステキなクリスマスプレゼントでした。

轟様お幸せですね!
大勢のスタッフさんやファンの人達から 心から愛されて!
それを後ろから眺めさせていただきました。

やうこ様にもお会い出来て嬉しく思いました。
ステキなホームページに感謝です。

ひーちゃん (H〜ちゃんではなくこれから こう書かせてください)
YAMAさま(12/3)
私は今年の大劇「猛き・・・」からお喜樂座に参加させていただき、 お陰でこれまで以上に充実した楽しい観劇生活を送ることが出来 感謝しております。
 東京も博多もはじめて1人で出かける勇気とキッカケを与えていただき  もう日本全国どこえでも轟様を追っかけて行けそうな気がします。
今年1年お世話になり有難うございました。
来年も・・・(永遠に轟様と共に歩める喜びを祈念して)座の末員に加えて頂けます様よろしくお願い致します。
よいお年をお迎えくださいませ。   
やうこ (1月30日)
世紀末の大予言が ズレこんだかと思えるほど、21世紀の始まりは、テロや狂牛病、他にも悲惨な事件が相次ぎ、決して明るい幕開きとはいえないものでした。
 そうした悲劇に遭遇された方に哀悼の意を表します。
同時に、明日、いえ、あと数分後にだって、不幸が襲って来るかもしれない時代に生きているのだということを思う時、今ある命を 自分なりに大切に輝かせたいとの願いを強く抱いた年でもありました。

8月の博多座公演(「凱旋門・パッサージュ」最高!)から数日後に行われたTOMさまの専科発表は、その、まっすぐに前を向かれたお姿の中に、「今の自分」というものを真に大切にし、その輝きで 周囲をも照らしていかれる意欲、というのでしょうか、信念の確かさを感じさせる清々しいものでした。

たとえ将来、時代の変化で思わぬ方向からの嵐に吹き付けられ、めざす道が途切れる事態が起きたとしても、自分を見つめ、輝きを大切に育て続ける限り、その光の先に道は拓ける。
穏やかな笑顔と凛としたまなざしに、そんな頼もしい信念を感じたのでした。
 ・・・でも、これは、さまざまなインタビュー記事などから勝手に推測した 私の思いこみです。
     (当たり前ですね、ご本人しか分からない思いが いっぱいお有りのはずですもの)


とにかく、そう考えて 私は 心から納得し、あとはもう、 ノー天気な喜びにひたったのでした。
だって、それまでの、まるで地雷の埋まった花園をさまようような日々から解放されるんですもの。
夢の世界から「卒業」しなくていいんです。大いに大いにホッといたしました。

長年 宝塚をご覧になって来られたファンの方々が ご心配されるお気持ちも分からないでもないですが、でも、絶対に大丈夫、お幸せにご活躍され続けます・・と占いババのように、ここに宣言いたしましょう。
あと、何年かして これをご覧のあなた、ね、正解でしょう?


この一年、TOMさまの舞台を見つめ、みなさまと過ごせた時間は、私にとって 命を輝かせる事そのものでした。
WITH YUが 今の私の誇りです。
それは、いつも、みなさまとご一緒に 大切に作ってきた場所だから。
あと、何年かして これをご覧のあなたが、2001年に笑顔を見せて下さったあなたでありますように!
ずっと変わらず、あったかな場所であり続けますように!
輝き続けたいです。   WITH YU&YOU