ふりかえってみれば’99(第三回)

1999年12月から2000年1月までの期間限定で募集・公開しています。

第一回(’97年)をふりかえる
第二回(’98年)をふりかえる
第四回(’2000年)へ    


’99年は、あなたにとって どんな年でしたか?
轟さんとのこと、あなたご自身のこと、周りでの印象的だった出来事
どんなことでも、お聞かせ下さい。
 この季節が過ぎれば封印し、大切な思い出として熟成の時を過ごします。

皆様が
希望のうちに2000年を迎えられますように!

ねこばんさま    
のりぞぉさま kumiさま ゆずさま はるかさま CHIKAさま
WAKOさま やうこ Barbieさま」 ニコルの姉さま michikoさま
すいほさま  K子さま ピーチ姫さま じぇんたさま  yoshiさま
まっぴぃさま ともこさま yukiさま ゆうゆうさま Maeさま
いもらさま ばぐーすさま 満月さま たらさま タンゴの局さま
ねこばんさま

1999年の初詣で今年こそは轟さんが作品に恵まれますようにと祈り、おみくじを引くと大吉が出て これは縁起がいいと思っていたら、中日公演の初日でケガをされたと知ってショックを受け、もしかして初詣の時に作品のことだけで轟さんの健康を祈願し忘れたかしら?と反省。
(もちろん、2000年の初詣は健康のこともお祈りしてきました)
そして轟さんがトップになって初めての鬘なし芝居(笑)「再会」と、まさか轟ソールで観ることが出来るなんて夢のようだった「ノバ・ボサ・ノバ」
あまりにも素敵すぎて心臓の動悸が激しくなってしまったディナーショー。ファンの望む事を知り尽くした小池先生の構成演出に感謝!
そして雪組は久しぶりのコスチュームもの。初日の舞台を観るまではロン毛の鬘が少々心配だったけど、ジュリアンの美しさにタ・メ・イ・キ。
しかし、初日に観たときはつい笑ってしまったパイナップルの女王様だったけど、何度も観る内に「華麗なる千拍子」の中で一番のお気に入りになってしまったのには自分でも意外な気が・・・(見慣れただけかも?)
1999年の締めくくりには、もう生で観ることは二度とないだろうと思っていたシナーマンと、広い大劇場で聞きたいと思っていた『愛しかない時』、終わりよければ全て良し!の「レビュースペシャル」でした。
でも、何よりも嬉しかったのは、轟病の重症患者が大勢名乗り出てくれて、「な〜んだ、私だけではないんだ」
と言うことが分かって安心したことでしょうか。
CHIKAさま

WITH YUの皆様、新年おめでとうございます。

さて、私の1999年はPTAの仕事に始まりPTAの仕事で終わった一年でした。
そしてこの仕事は3月まで続くのです。(もうひと頑張りせにャ〜)

春、娘の小学校入学。
夏、1000days「ノバ・ボサ・ノバ」・・最高!大感激!!
秋、なにやらバタバタと日が過ぎた。気がつけば息子の靴のサイズが私より大きくなってる。背がぬかれるのも近いかも。
冬、母・私・娘の親子三代での宝塚初観劇(月組松本公演)。

宝塚にゆっくり浸ってられない一年になってしまったのだけれど、過ぎていく日常の中 ふと、思い出すのはWITH YU。
みなさんお元気かしら・・・って。パソコンの前に座り開くとみなさんのお声が聞こえてくるって、いいですね。
2000年、今年もよろしくお願いします。
はるかさま

浅茅が宿、ラヴィールの中日劇場公演から始まった私の99年、轟病闘病生活。
両親、親戚、友人の必死の看病にもかかわらず、 その病状は悪化の一途をたどるばかり。
この病はどうやら思考回路にも支障をきたすらしく、
今まで大劇場のみに限定されていた私の行動範囲は 夏の1000days劇場公演で、初めて東京まで拡大。
秋には、学生の身でありながら あのHHIにも足を踏み入れてしまい、
その夜のうちに「パローレ病」を併発。
回りの人間は完全にお手上げ状態。
その後、少しは小康状態を取り戻したかと思いきや、 99年最後の大劇場公演で1列目を手にしたことで、 頭のてっぺんから足先まで轟ウィルス(!?)に支配され、 もはや手遅れ。
今では治療も無駄と判断され、普通人としての延命装置をはずされた私は、 心おだやかに日々を過ごしています。

振り返れば、私はこの病のおかげで
今までの自分の生活では経験できなかった 素晴らしい機会に多く恵まれました。
同じ病に侵され、その苦しみ(喜び!?)に耐えておられる多くの皆様とも出会い、
本当に素晴らしい1年を過ごすことが出来ました。
これからも、私の生活はこの病あればこそ、 喜び、感動に満ち溢れたものになることでしょう。

 びらの向こうにかすかな面影
 こまでも響くその清き声
 ビーまであふれるあなたの香りで
 のうの雨も舞う花びらか
 き積もる大地は あなたへの想いのごとく温かく
 みへと注ぐその水に 私はあの日の涙を隠す
ゆずさま

 99年1月、宝塚初体験の娘と月組公演を観劇した私。
轟さんと同期のマミサンの舞台、とっても楽しみでした。
しか〜し、娘の観劇マナーが気になって集中できず、(途中で伸びをしようとしたり、オペラを逆さに覗いたり)なんだか消化不良気味でした。こうして密かに 夏の雪組は絶対一人で見ようと決心したのでした。
 そして7月、お母さんばかりズルイと言う娘を実家の母に押し付け、「再会」・「ノバ」そして轟さんに酔いしれたのです。
とっても幸せな夢見る時間を満喫することができました。

でも、現実に戻ってみれば、転勤族のさだめ、引越し。時期同じくして卒園&入学。
バタバタして落ち着かない日々もありました。イライラして子供に当たってしまったことも数知れず。
でも、そんな時、宝塚が、轟さんが、そして劇場へ行けなくてもWITH YUが、元気をくれました。
エネルギーを充電して、また頑張れるような気がしてくるんです。
・・・なんてカッコイイ事書いてしまいましたが、
要するに轟熱?が'98年にも増してヒートアップしちゃってるってことなんです。
どこまで上昇するのかは、2000年を振りかえる時までのお楽しみと言うことで…

*余談ですが、一路さんのCD「最後のダンス」に知らぬ間に洗脳されたらしく、
ウチの夫が夢の中でずっと「♪エリザベート〜」って流れていたとこぼしてました。
これは、良い傾向ではないかと思ってる今日この頃です。
kumiさま

1999年ってあっという間でした。でも何があったのか一つ一つ思い出していくと結構長かったのですよね。
悪夢の中日公演ではじまって、「再会/ノバ・ボサ・ノバ」の大劇場、東京公演、
TCAスペシャル、ディナーショー、「バッカス/千拍子」の大劇場、レビュースペシャル・・・・
まぁ、なんて盛りだくさんだった一年だったのでしょうか。
そしてそれをまたすべて観ることができたのも幸せなことでした。
それもあの大好きだった「ラヴィール」のDANCE JAZZINの場面を中日公演でまた観れるからと思い込んでいた1000daysの千秋楽。
まさかそれが見納めだったなんて考えてもいなくて、世の中ってまた次がある・・・なんてことはないんだ・・とその現実に愕然として、
これからは後悔のないように行動しようと決めた結果、私も轟さんと共にハードスケジュールをこなす日々を送ることになったのでした。
お財布も時間も厳しかったけれど、思ったとおり後悔はなかった1999年。大満足かな?
 それに舞台の轟さんが私の勝手な思い込みかもしれないけれど、とても自然になって優しい笑顔をされていることが多くなったのが印象的でした。
もう2000年がスタートしていますね。
今年も後悔のないように、みなさんと喜びをたくさん共有していかれたら・・と思っています。
のりぞぉさま

今ごろになって・・・ ですが、'99を振り返ってみました。
カード会社の貸切公演専門だった私が、まさかリピーターになっちゃうなんて。
東京で何度も観ましたが、やっぱり大劇場ではじめて観たノバ・ボサの
感動は忘れられません。轟さんファンの方ならわかっていただけるかしら。
ずんちゃんファンの友達に送ったメールです。
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とってもとっても素敵でした、トドロキさん。
お顔に惚れ込んでから今まで、歌がすごくうまいとか、
踊りがすばらしいっ!という訳ではないトドロキさんを
こんなに好きなのは「お顔!が好みだから」と思ってたんですけど
今回、それだけじゃないってことがわかりました。
シナーマンのトドロキさんの歌声に私のお腹がふるえたの。
胸じゃないのお腹なの。ズーンって響いてきました。

雪組のみんなに囲まれて踊っているトドロキさんの
お姿はまぶしすぎて(衣装のせいか・・)正視できないくらい。
はじめてショーで泣きそうになりました。
(お芝居ではよく泣いちゃうんですけどね)
まさに、「トップスター」って感じでした。
トドロキさんってタータンや月影のいる雪組と相性がいいのね、きっと。

みんなが踊り狂う中、トドロキさんのシナーマンでノバ〜の幕が下りてから、
 (注:ここで気分は最高潮、涙が出そうになる・・・)
初舞台生ロケット、フィナーレ、大階段でした。
「後付のフィナーレはいらない」については、私もそうかもなと思いました。
が、別物だと考えれば少しでも長くトドロキさんを見ていたい私には、とてもありがたかったです。
綺麗だしタータンの歌もGood! きゃー。
(今、頭の中、ノバ・・の衣装のトドロキさんが踊り狂っている 妄想の世界)
「私を見てくれた」思いこみにしっかり入り込めました。
もう、なんとでもしてぇぇぇぇ。

michikoさま

昨年はwith you の、おかげで本当に楽しい1年を過ごさせていただきました。
私の周りには宝塚とは何?という人達ばかり。
轟さんのファンとして語れる場所がないのは寂しい・・・
会社の後輩を洗脳させるまでが大変だった(やっと“あられ”が最近、轟さんの魅力に参った様子)
そんな私をやうこ様は暖かく迎えてくださいました。
嬉しかった!!

会社と家との往復、帰っても仕事の事ばかり考えていました。
宝塚の楽しみ、轟さんを応援したい、会いたいと言う‘ときめき’に戸惑いながらはまってしまいました。

今年は又、何が待っているのでしょう?
1000days劇場、全国公演ツアー、エリザベートツアーe.t.c.今からワクワクしています。
もう1人の轟さんファン“あられ”とともによろしくお願いいたします。
ニコルの姉さま

1999は、とても良い年でした。
20数年ぶりに赤ちゃんのお守りをしたり・・・・。(タカラヅカとは関係ないお話)
1999年私の宝塚ベストを書きます。雪組が少ないじゃないか!と叱らないでね。
元ノンちゃんファンだもんで、月組が多いのは仕方ないんです。

*お芝居
1、黒い瞳(月)  2、我が愛は山の彼方に(星)  3、エリザベート(宙) 
 4、タンゴアルゼンチーノ(花)  5、螺旋のオルフェ(月)

*ショー
1、ノバボサノバ(雪)  2、ル・ボレロルージュ(月)  3、ノバボサノバ(月) 
 4、ザ・レビュー99(花)  5、グレートセンチュリー(星)

*その他(いいものばかりで選べない)
1、プロヴァンスの碧い空(月)  2、うたかたの恋(月)  3、ブエノスアイレスの風(月) 
 4、夢・シャイクスピア(星)  
5、イカロス(雪)  5、冬物語(花)  5、心中恋の大和路(雪)  5、エンドレスラブ(花)

*外部の舞台
1、マレーネ(11月セゾン劇場:黒柳徹子、久世星佳ほか)
2、リチャード3世(2月彩の国さいたま:市村正親、久世星佳、有馬稲子ほか)
3、橋からの眺め(5月ベニサンピット:堤真一、久世星佳ほか)
4、パンドラの鐘(12月世田谷パブリックシアター:堤真一、天海祐希、野田秀樹ほか)
5、マヌエラ(1月天海祐希ほか)

*外部のミュージカル

1、リトルショップオブホラーズ(風花舞)  2、Big(真矢みき)  3、マイフェアレディー(大地真央)
  4、カルメン(大地真央)  5、42ndStreet(涼風真世、寿ひずる)

*宝塚十大ニュース
1、月組中国公演
2、花・愛華みれ&大鳥れい、星・稔幸、月・檀れいのトップお披露目
3、姿月あさと退団発表
4、TCAスペシャルで同期トップ四天王並ぶ。初の衛星二元中継
5、宝塚85周年再演イヤー。ノバボサノバ大人気
6、博多座公演、星組「我が愛は山の彼方に」でスタート
7、シェイクスピアイヤー(バウホール秀作ぞろい)
8、宙組「激情」芸術祭賞受賞
9、紫苑ゆう、最初で最後のリサイタル
10、1月25日小林一三先生逸翁デーはじまる

以上独断と偏見で選ばせていただきました。(ニコルの姉)
Barbie さま
<1999>の7の月 「恐怖の大王」が降ってくる!!!

 この「ノストラダムスの大予言」をしっかりと信じて居ました。

息子達は、「25歳」に成っているんだ、自分達で何とかするだろう。

夫もしかり。私は、運動神経がすこぶる悪いし、余り「必死コカナイ」から きっと、48歳でみまかるだろうと。そりゃ〜楽でしたね。この考え方。


ところが、ところが何も空から、降っては来ません。

それどころか「8の月」には、我が人生最大のピンチを、迎えることになったのです。

そのピンチとは?!ジャーン

普通のおばさんであるこの私に、いきなり、「パソコンの講師」をやれ!

という会社側からの辞令でした。

私、頑張りました。頑張りました。頑張りましたぁ〜。

そして、生まれて初めて「努力」と言う、言葉の重さと過酷さを知りました。

「体験」と言うワクワクする進化と対面しました。


皆様!やってやれない事なんか、この世には、本当に、無いんですよね〜

「人生の終焉の年」と固く信じていた、<1999年>

私は、生まれて初めて、自分で、自分を信じる事が出来る年になりました。

                     沢山の愛を 皆様に    Barbie
やうこ
99年を振り返って・・。ここ数年、生活の中心は宝塚・轟悠様で周っていて、他のことはまるで夢の中の出来事のように 「気が付いたら終わってた」 状態で過ごしておりました。
けれど、将来、もし、このページに戻ってきたとき、その私自身への伝言板として、今回は我が家の出来事を書き残すことにいたします。

5月10日、大劇場「再会」「ノバ・ボサ・ノバ」千秋楽を終えて、うっとり・ぼんやり空港に向かう阪急電車の中で携帯電話が鳴りました。
見知らぬ男性の声で、次男が救急車で病院に運ばれたとのこと。
幸い私の側にはWITH YU仲間が居てくれて、何とか腰を抜かさずに話を聞き、大した病気ではなさそうだと分かりました。
「千秋楽を見てからで良かった」と冗談を言える余裕も、その友人達が居てくれたおかげです。
それにしても「突然の運命に襲われる」ことの恐ろしさを痛感しました。
一方、この日、私に代わって夜の病院に駆けつけた長男は、翌日に就職試験の最終面接を控えていたのでした。

 就職戦線は、不況の影響で困難を極め、この最終面接にたどりつくまで、とても苦労した経過を見てきていたので、今回の千秋楽に行くのも迷った末のことでした。
 実は、前年の春は、「就職なんて本人のこと。親は関係なし」と、バトラー船長を追いかけて、北は北海道、南は九州まで、「風」と共に飛び続け、おおかたの日々を”雪”と共に舞い上がって過ごしてきたのでした。
 でも、私に似た「夢見る少年」は、ふと気が付くと就職浪人。
えええ〜っ。もう一年、学費を払えって〜ぇ!と、経済計画の破綻をまのあたりにして、さすがに私も反省したのです。

 それからは、心を入れ替えて、朝はヅカ・ウインクでお見送り、晩には満面のヅカ・スマイルで迎え、ズボンにアイロンを当て、靴をみがき・・・・と、精一杯「良き母」になろうと努力したのでした。本人も、生まれて初めて 人様から拒絶され続ける日々に、さすがに憔悴し、自信も希望も失いかけていましたから。
 そうした中、ようやく最終面接にこぎつけた数少ない会社、しかも、本人の本命に近い会社だったのですから、前日に「カツ」でも食べさせてあげるべきじゃなかろうかと思いつつ、次男に子守り、いえ、”お兄守り”を押し付けて千秋楽に行っちまった母だったのでした。
(次男が倒れたのは、「ストレスと過労」が原因と聞き、さすがに心がチクっと痛みました。ごめんね、けんちゃん)

「内定者には10日以内に連絡」ということでしたのに、音沙汰が無くてついに10日目の夜も静かに過ぎようとしていました。
この10日間、「風水」に合わせたお花をフンパツし、コーヒー紅茶もヒソかに絶ち、なんといっても、宝塚ビデオを見ない、轟サマのCDも聴かないと決め、壮絶な禁断症状と闘いつつ過ごしてきた私。なのに・・。
 けれど、夜8時過ぎに鳴る電話のベル。そう!ついに来たのでした。
息子の喜びに輝く笑顔、ずっと待っていたその明るい声を聞いて、これまでの思いが涙と共に溢れました。やったね!!!

 コーヒーを入れ、ビデオを付けて「ママ、我慢してたの」と恩着せがましく告白すれば、
「おカアとしては、よくやったね」と息子達も誉めてくれて、ますます号泣したのでした。
そして鼻をかんで、さっそく電話に向かいました。
このとき長男は単身赴任の夫にまっ先にかけるのだと思ったそうです。(夫も、’99年は大変革の年でしたが、これについては省略しましょう)
「はい、29日、一泊お願いします!」
そう、宝塚のホテルに予約電話しちゃいました。
顔を見合す二人の息子に、きたえぬいたヅカ・ウインクを投げたのは言うまでもありません。

2000年も きっと家族に笑顔を大盤振る舞いして、夢の世界に通い続けることでしょう。
 不況、老人問題、いろいろ気になる事は多いけれど、そんな時こそ我が家の太陽は、輝いていなくっちゃ!

いろいろあった’99年でしたが、いつも素晴らしい舞台で夢を見続けさせて下さった轟悠さま、ちょっぴり落ち込んだ時にいつも元気を分けて下さったWITH YU仲間のみなさま、そして、こんな私を応援してくれた家族に、心から感謝しています。
 来る2000年も皆様に たくさんの愛が輝きますように!
WAKOさま

98年が、開眼であるなら、
99年は、革命・・・大革命の1年でした。


1999年・・・少女の頃〜99年には、青春の盛りも過ぎ
結婚して、子供もいて〜〜〜だから、イイや・・・。
などと、ノストラダムスさまの大予言を聞いて思っていた。

がしかし、人生とは謎である。
今の私は、青春真っただ中であり、結婚もしていなければ、子供もいない(-__-;)
そして、七の月には、雪組東京公演で燃え上がる愛の炎の中にいた。
つくづく、自分の老後を予想して心配するより
今を大切に、今以外考えてもしょうがない!・・・と散財も肯定する。

99年といえば、元旦からIネットを始めた。
つまり、WITH YU との出会いの年である!!!
私同様に轟恋路に迷い込んだ方々の存在を知れた事がたまらなく嬉しい。。。
素晴らしい出会いがあり、喜びをも増幅してくれる。
挙げ句・・・イラストまで飾って頂き、どれほど感謝しても足らない。

そして、東京、宝塚と飛んだ飛んだ1年〜
2000年は、更にレスカレートするのではないか?と
その他のところの倹約を誓いつつ〜愛あればこそ成せば成る〜!

今年も、沢山の轟さんを求め、皆様とお会いし、幸せを噛み締めたい!
やうこさま、皆様、これからもどうぞ宜しくお願い致します。。。
yoshiさま

明けましておめでとうございます。
今年も沢山よろしくお願いします。

あわわしている間に1月も始まってしまって・・・

今は、1ヶ月後の東京公演を楽しみにしながら 大劇場公演を思い出し、
レビューを思いだしにやにや・・
鼻歌をうたい・・・かなり怪しい自分に気づくという毎日を送ってます。
だってね、仮面をつけてでてくるところ
「♪・・・手を振っていた〜〜。・・・・なぜ、ぶつの?・・・」
このところなんて知らない人からしたら・・結構・・恐いよね。

今年の4月で宝塚2周年になります。
はやい。
ますます、壊れていくんだろうなぁ〜〜。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。

報告
千秋楽・レビューと続いた年末・・もちろん夢心地の毎日・・・。
1泊2日のスキー・・・ウェアーの上を忘れて行ったわたしでした。(何しにいくのだか?)
じぇんたさま

ふりかえれば・・・ そう、すでに年が明けていた。

あらためまして、 皆様、あけまして おめでとうございます。

昨年、やっとこさ パソコンを購入(自分用の) 初心者ゆえに、思うように かきこできないのがもどかしいけど、なによりも、 WITH YUにアクセス出来るまでになったこと、これが私の 1999を、どれほど幸せにしてくれたことか!

皆様、ひたすら覗いてるばかりの私ですが、皆様の観劇(感激)報告に、そこそこ、そうなのよー、クウォーーーー見に行きたカッターーー と、夜中、一人で(家族といえど、見せられない)もだえて、うめいて・・・
1年が過ぎていったのでした。

思えば、轟ファンとなって、早14年。 母にねだって東京公演のみ劇場に通っていた私も、今では大劇場にも、全国ツアーにも、出没できるまでになり、トップ就任を期に、FCにまで参加させていただいて、こんなにも長々とはまりこんでしまうとは・・・
昨年ももちろん、正月からレビュスペまで、轟さま一色の一年でございました。
今もまだフリーで動き回れる身の軽さ。(kgではありません)
熱病は、職場の白い目にも冷めることなく、今年も熱く、暑く燃え続けたいと思います。

長々と、まるっきり所信表明のようになってしまいましたが、今年もどうぞよろしく、おつき合いくださいませ。

もう少し、勇気が湧いてきたら、皆様の前に姿を現しちゃうかも・・・。                     
ピーチ姫さま
(個人宛てでしたが、あったか〜いお気持ちがありがたく、お許しいただいてご紹介しました・・・ やうこ

1999年も残すところ数時間・・・。
やうこさまはいかがお過ごしでしょうか?
もうすぐ始まる紅白での月組さんの活躍を心待ちにしつつも、なんで雪組さんじゃないのっ!なーんて思っている心の狭い私です。(^^;)

ところで、、、やうこさま!
今年もいろいろと本当にありがとうございました!!
9月に轟さんのDSでお目にかかった時は、たいへん嬉しく、また心強く思いました。
一人で心細かったのですが、やうこさまのお優しい笑顔を拝見したとたんなんだかほっとしちゃって・・・。(*^^*)本当に嬉しかったです。

WITH YUで、色んな方とお話ししたり、皆様の轟さんへの熱ーい想いを拝見して ますます轟さんの虜になった私です。
振り返れば、とても充実した1年を過ごすことができました。これもやうこさまのおかげですね!
実は99年中に、「ふりかえれば99」に投稿したいなと思ったのですが、いまだ実現していません。(^^;) つくづく文才のない自分が情けない・・・・。

やうこさま、
2000年も、2001年も、そのまたずーっと先も末永くよろしくお願い致します!
大好きな轟さんがますます輝かれますことを、WITHYU がますます賑わいますことを、
そして・・・やうこさまがますますお元気で活躍されますよう、お祈りいたします。
どうぞ良いお年をお迎えくださいね。(*^_^*)
K子さま

あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
お蔭様で本当に楽しくすごすことができ、感動も大きな年でした。
今年もご一緒に轟さんの魅力を今まで以上に堪能しましょうね。

昨年はWith Yuにあまりお邪魔できずにいましたが、劇場ではたくさんの方々をご紹介いただき、有り難うございました。
轟さんへの愛溢れる多くの方々とお知り合いになれて、感動を共有できることは、私にとって本当に幸せな貴重なひとときです。

2000年の元旦を迎えて、昨年1年を振り返ってみようと思います。
ここ数年はずっとなのですが、月日は轟さんとともに過ごしてきたと言っても過言ではないほど轟さんへの依存度?が高いのです(^^)
昨年も2月の中日公演からつい先日の12月の大劇場公演まで・・・。

忘れっぽい私が記憶をたどる時には必ず、轟さんが何をされていたかを思い出すことが一番の早道なのです。
舞台上でお怪我をされたと聞いて、胸を痛めた中日公演、あの時には当日行かれなかった為With Yuから入ってくる情報が何とも貴重でした。待っている方のお気持ちを痛感しました。
4月から5月にかけて、「再会」と「ノバボサノバ」の大劇場公演では、久しぶりに軽いお芝居と名作と言われる話題の再演もののショーで、安定かつ充実した雪組のレベルの高さを目の当たりにした
感じでした。「ノバ〜」は本当に衝撃的なショーでした。
7月から8月までは、東京公演。 苦手な暑さの中も全然苦にならず、毎週通った1000days劇場で、更にパワーアップしたソールの世界にのめりこんでいったのでした。
轟さんの計り知れない底力、魅力に圧倒された公演でした。
素晴らしいシナーマンに何度も気の遠くなる感覚を味わいました。

そして9月には待ちにまったディナーショー、轟さんの力強く色気たっぷりの歌声に魅了され、本当に心に残るプレゼントを戴いたような喜びを噛み締めて胸が熱くなりました。
それから、ついこの間の「バッカスと呼ばれた男」「華麗なる千拍子99」を大劇場で観劇でき、久々のコスチュームプレイに目を楽しませて頂きました。千秋楽での同期とのお別れのお辛さ、美しい涙のお姿が強く印象に残った公演でした。
今年も轟さんが大きく羽ばたいて、昨年以上にご活躍されることをお祈りしつつ、東京公演でお元気なお姿でお目にかかれますことを楽しみに待つことにします。

こうして轟さんの公演日程に合わせて生活してきた昨年でしたが、今年もまた轟さんとともに過ごしていかれたら本望です。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
すいほさま
(1999年を振り返って)
98年の仕事納めが終わったその日から熱を出してぶっ倒れてしまったために、99年のお正月は文字通り寝正月になってしまった散々な幕開けでした。
健康には自分で気を付けなくっちゃ・・・なんて、今更ながら当たり前の事を実感した1年の始まりでした。
今年出来た事と言えば、部屋の模様替え・・・といっても、家具を新しくしたとかいう大きなものではないんですが、よっく見回すと不用品がごちゃごちゃとたまってしまっていて、ある日突然「もうこれは限界だ!!」とばかりに片付け始めた次第です。
よく利用したのが通販とかの整理収納用品で、かわいい小物とかに心を奪われつつも、購入したのは実用的なものばかりだったんですが・・・
(かわいいものは、部屋のサイズに合わなかったりして・・・ははは)。

轟さんの舞台に関して言えば、今年は何といっても「ノバ・ボサ・ノバ」が雪組で、轟さんのソールで観れた事が、何よりも何よりも嬉しい出来事でした。
前にお話しましたっけ?子供の頃からずっと宝塚を観てきて、作品として再演して欲しいと唯一望んでいたのが「ノバ」だった私にとっては上演決定のニュースには飛び上がらんばかりに喜びました。
幸いなことに大劇場公演中も何回も宝塚に足を運ぶ事が出来て、1000daysでもしっかりと観劇する事が出来ました。
その他の作品も、雪組自体のパワーも感じられる楽しい作品が多くて、劇場に通いがいのある日々でした。

今年も2回の1000days公演、全国ツアー、そして大劇場と忙しく(出演している訳でもない私が忙しいとはあまりにもおこがましい・・・分かっておりますがお許し下さい)動き回る日々が待っている事でしょう。
サラリーマンの本業を忘れず(え?)、観劇に励む日々に邁進したいと思っています。皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Maeさま

私も振り返ってみようと思いますぅ〜(^^)
月日を追って・・・

1999年・・・
すごく早いスピードで過ぎた1年でした。

2月に札幌でやうこ様、wako様に御会いできて轟さんの話を時間のたつのも忘れてできた事・・・
素敵な思い出です。

3月に宙組の『エリザベート』を観に行き・・・
生のトドルッキーは観たことがないけれどルキーニは轟さんじゃなきゃダメ!!ってお騒ぎしたり。

そして、4月!!
大劇場初観劇(^^)
とうとう大劇場まで来てしまった・・・って感動というかここまで来てしまう私自身にビックリし。

8月・・・1000days公演でお茶会を初体験!!
轟さんが入ってこられて私が座っていたテーブルの横を歩いて行かれた時は心臓が飛び出しそうなくらいドッキンドッキン。夢のような一時を過ごせて幸せでした。
その後、お気楽座の皆様とお食事してお話でができ
ホテルに戻ってからボーっとしてました(笑)

9月のDS・・・行きたいけど行けな〜〜〜い(泣)
この時は、ホント札幌に住んでい身を呪いました(笑)

12月・・・今年2度目の大劇観劇!!
この時は息子が初観劇ですごく疲れたけれど、息子の『面白かった』
『トムさんカッコイイねぇ』って言葉に嬉しくって。
今度はいつ連れて行ってくれるの?って質問攻めをうけ
ただいま困っております(^^;)

札幌にいて・・・よくこんなに観劇にいけたものだと・・・
これも轟さんの愛ゆえ!!でしょうか。
9月から会社に勤め始めとてつもなく忙しい1年でもありましたが、とても充実した1年だったと思います。

1999年もあと1日・・・
2000年はどんな1年になるのでしょうか。
轟さんLoveがは変わらないのは確かですけど・・・
今以上に轟さんに魅せられて轟熱が上がってるかも・・
そのほうがあり得る(^^;)

2000年、轟さんに魅せられた幸せな1年でありますように!!
ゆうゆうさま

99年はひとくちに申しますと、「男の世界」から「女の世界」へ。でございました。何?わからん??。
もう少し分かり易く申しますと「Jリーグ」から「宝塚歌劇」へ。もっと言いますと「宝塚過激」へ。
だったかも知れません。

昨年の今頃は、わが愛する「浦和レッドダイヤモンズ」がエスパルスに天皇杯準決勝で敗れ、元旦の国立のチケットはどないする?。と、5年連続で元旦国立決勝の夢破れに、悔し涙にくれている我ら夫婦の姿がありました。

思い起こせば6年間。おらが街のチーム「浦和レッズ」誕生以来。南は広島ビックアーチから、北は富山までレッズのいくところゆうゆう夫婦あり。
当然の如く日本代表までサポートし、W杯予選の感動的な第3代表決定戦では岡野の記念すべきVゴールで大号泣!!。韓国、チャムシルスタジアムにも行ったな〜。。。。
そして、そして、日本サッカー界が待ち望んだ瞬間!。W杯フランス大会。キックオフにお目目うるうる、われらが小野伸二がピッチに立った瞬間に涙ボロボロ。小野伸二は日本サッカー界を背負って立つ!!。と大興奮したものでした。

そんな、こんなの激しいサポーター生活も、「BS2真夜中のゴースト」のチャールズ様に出会ったトタンに、どーーーでもいい事になってしまった私。。。正確にはチャールズ様&レシェルバンのジゴロ様なのでありますが。。。これは2月初旬の衝撃的転機でございました。その後はたたみかけるように、ふなおさ松浦小太郎様に殺られ...あとは坂道をゴロゴロと....。。。末路は今の轟熱でございます。

そして運命の1999年11月27日。
何の日かと申しますと、大劇場公演「宝塚友の会貸切公演」&「浦和レッズ最終戦・J2落ちの危機」の日。
この日は、はっきし言って迷いました。大劇場へ行くべきか、駒場スタジアムへ行くべきか。。。。。。。。
迷った末にTOMさまのもとへ!。大劇場では大感動!お目目うるうる、TOM様ラブラブ。
かたや駒場では.....。浦和レッズイレブン、関係者、サポーター、いいえ、浦和の街全体が2部落ちに涙していたのでした。。。
もしかして、私のせい?。帰りの新幹線の中で知らせを受けたわたしは、大きな罪悪感にかられながらも、生TOM様の余韻にひたっていたのでした。認否人!。ひとでなし!!。でも、愛してしまったの。どうすることもできないの、この気持ち。誰にも止められないのです。

サポーター仲間は、半ば諦め顔。わたしが「はまる」ということが一体どういうことなのか、永いつきあいなので知ってるんです。
会社の同僚は面白半分。忘年会では「3年後のゆうゆうは何にはまってるでしょうクイズ」なる難題が出題されました。これはかなりの難題。だって本人にも全く見当がつかないのですから。

支離滅裂ですみません。こんな1年でした。サポーター仲間には大ひんしゅくで呆れられてますが、その分やうこ様をはじめTOMさまを愛する方々とお知り合いになれて、激有意義な一年になりました。
皆様ありがとうございました。

来年の目標!!最近やっと雪組の組子さん達の名前を覚えた智閣下(あ、これ主人です)をズカにはめること。。先日のBS2の「再会」。銀橋をわたるまひるちゃんがあまり映ってない!と激怒したのにはおのろきました。いけるかも!
皆様もご協力お願いいたします。
yukiさま

今年一年を振り返ってみますと、いろいろとあったはずなのですが、なかなか思い出せません。
何故なら、、
1999年が、あと11日で閉じようとする、
12月20日
あの方に魅せられてしまったからです。
こんな出会いがあろうとは 夢にも思ってもいませんでした。

 轟悠様

初めて観た雪組公演
そこで一際
美しく、強く、
激しく、優しく
輝いていらしたあのお方。
言葉には尽くし難いあのお方魅力の
虜になってしまいました。

1000年単位という
大きな時代の変化の時、
「轟悠」という、
素晴らしい人と出会えたことに感謝し、
共に2000年生きることができる喜びを
噛みしめたいと思います。

また、あのお方を
心から愛しておられる皆様に出会えたことも
わたしにとって、
忘れられない出来事となるでしょう。


来年も、
あのお方と共に生きたい!

どうぞ、皆様、来年も素晴らしい
「轟悠Year」になります様に・・・
これからも、よろしくお願いいたします。
ともこさま
 これを書くにあたって一昨年、昨年と自分の書いたものを読み返してみました。
本当に1年1年過ぎ行くのが早いなって思ってしまいます。

 今年の私にとって、4月に劇場飛天で「ラ・カージュ・オ・フォール」を見て市村正親さんにはまってしまったことがトピックスかしら?
あの方の舞台に対する執念のようなものにノックアウトされてしまったんです。

 でも、轟さんも相変わらず素敵だと思います。
「ノバ・ボサ・ノバ」は初演から見ている大好きな作品のひとつです。
真帆志ぶきさんの「アマ−ルアマ−ル」・・印象的です。
そして、安奈淳さんの「シナーマン」も耳に残っています。轟さんの「シナーマン」もいつも息をつめるぐらい必死で見、聴いてしまいました。
あの強靭な声帯・・すごいですよね?
観客動員も良かったそうで、雪組ファンとしても嬉しい限りです。

 私的には家の新築という一大イベントがありました。
2度の引越し・・体力的にえらかったですわ。

 元旦の大吉から始まった今年1年、なんとか無事におくれそうです。
本当に今年1年も大変お世話になりました。
やうこさまはじめお喜楽座の座員のみなさまのご健康とご多幸をお祈り致すと共に、来る2000年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
まっぴいさま
我が家の9才の娘は将来グンちゃんのようなトップ娘役になり、綺麗なドレスを着てトドロキ様の相手役になってくれると言う。その時は劇場の1列目センター席に私を好きなだけ御招待してくれる。。。はずだった
 バレエを習いたいというので我が家の近所にあるKIEミュージカルスクールの門を叩いてみた。
『あのぉ入会したいのですがぁ』    
 すると先生曰く『バレエの基礎とピアノの基礎をしっかりとお勉強してからいらっいゃい』 やっヤ ラ レ タ
案内状をもらってスゴスゴ帰宅。その案内状を見てビックリ。入会金も月謝も0の数が多い
 そして今娘は入会金も月謝も0の数が一つ少ないバレエ教室に通っている。そして彼女の将来の夢は、1バレリーナ 2マンガ家
 『タ タカラヅカは?』と問う私に
『へっ!タカラヅカ?見るだけでいい』との返事
轟様の相手役は?1列目の席は?
 さて、7才の息子は電車とダジャレが大好きだ。彼の好きなアニメは『ポケモン』より『バカボン』なのだ。
そんな彼がバレエの先生からスカウトされてしまった。
『男の子を育てたい』と。。。1ヶ月続いているいやがらない。もしかして才能が!そうよ第二の熊川哲也 ムフッ
成長したら違いの解る男としてコーヒーのCMにでられるかも
 そして私 この一年で身長が0.5cm伸びた。うれしい
自称153cmだったが今は胸を張って言える。理想は155cmなので4年後にはもしかして、、、(バカな!)
 なんといっても大劇場デビューできたことがうれしかった。日帰りではあったが二度行くことができた。そして、このwith yuのお仲間になれたこと。とても積極的な一年だった。この積極性を来年にも活かし是非大劇場一泊観劇をしたいものです。
 長い文になってしまいましたがやうこ様そして皆様今年はありがとうございました。来年も宜しくおねがいします。どうぞ良いお年を。。。
タンゴの局さま
with yuの皆様こんばんわ
今年も残すところ5日となりました
皆様はもうお水、カセットコンロなど御買い求めになりましたか?
轟さまも用意万端怠りなくおいでですね
1999年を振り返って、、とやうこさまに言われてみますと 唯思い浮かぶのは西に東にと激走なさるやうこさまの御姿でした
やうこさまを知る友人がこの師走の事を「やうこ走」と申しましたが 正にそうでした
1999年の締めくくりの公演も悔いなくご覧になって数日後のレヴュスペにもとんぼ返りなさって正に激走でした
あの華奢なお身体のどこにパワ−があるのでしょうと思うのですが、、、愛ゆえに、、、でしょうか?
私の1999年もやうこさまを見習って時には励まされて 悔いのない様に!とたのしく悔いのない様過ごす事が出来ました
来年のミレニアム新しい第一歩からも毎日を大切にそして悔いのないように過ごせます様に、、、
元気であればこそですね
皆様とも又どうぞよろしく〜〜〜
たらさま

「すごい人のファンになったもんだなぁ・・」私は轟悠という人を見る度にそう思う。
そして、その感慨はこの一年で更に強くなり、これから先の彼女の活躍をしっかりと見届けたいという、決意のようなものへと変わってきた。
それほどに今年の彼女は、私の心の中に数々の深い印象を与えたのである。
突然のアクシデントにも負ける事無く、仲間の助けを支えに乗り切った2月中日公演。
何度目かの再演となった「ノバ・ボサ・ノバ」では、プレッシャーをものともせず堂々とやり遂げ、見事に雪組のトップとして責任を果たした。
更に、ディナーショーでは熱いファンサービス。
ゆとりを持った表情で、客席を巡るその表情には、これまで彼女が積み上げてきた実績と誇りが豊かに溢れていて、ファンの一人として、とても嬉しく誇らしい気持ちにさせられた。
そして、大劇場の1999年を締めくくる作品(1000年代最後の舞台でもある・・)「華麗なる千拍子」では、成熟した大人の女性の姿も見せてくれた。
次から次へと、これでもかと繰り出される新しい轟悠という役者の魅力。
いったい何処まで私を虜にするつもりだろう・・
そんな思いが駆け巡った1999年。来年はどのような年になるのだろう・・
私は色々な夢を見る・・だが、そんな時必ず思う。
どのような事が待ち構えていようとも、轟悠という役者は、決して私達ファンの期待を裏切る事はないのだという事を。
信じ待つ。それがどれほど素晴らしい事かを、私は彼女によって知らされた。
来年もきっと、心からありがとうと言える舞台を見せてくれるに違いない
轟悠という役者に、ミレニアムへ向けて乾杯したいと思う。
満月さま
さて、この呼びかけをみたとき、少々呆然としました。
何ともう一年経ってしまった!
しかも、何かで、去年の自分を幼いと思ったら、成長しているとか何とか、読んだことがあるけど、ぜんぜん変化ないんでないかい?
う−ん、これは問題ですよ、あなた。
出来事をあげてみると、元旦からディズニ−にいき、風邪引き込み、ノバがあり、東京いき、1000daysいき、(あっ思い出したけど、まだ、東京公演の申し込みしてないわ。ぎりぎりセ−フ)イベント行き、千拍子あり、といろいろやってるんですけどねえ

去年のやつを読んでみると、99年も充実させたいとかなんとかいってるけど、どうだったろうか?

ちなみに、心に残った出来事は、
1.初めてどぜうを食べる。少々生臭し。
2.フミヤと握手する。歓喜のファンファ−レ頭の中で鳴り響く。
です。

来年はどうなっているかしら。
ばぐーすさま

内の店はガイジンが多い!
彼らは何故当然の様に英語で話し掛けてくるのか?
「ドゥユースピークイングリッシュ?」の問いに正しくNO!と答えているニッポンジンに どうしてその後も英語で話しつづけるのか?
しかもヤツめらは、正しい旅行会社の人間に向かって、「キノウ、ワタクシノ トモダチガココデカッタ コンナ タイプノ ノートブック ハ ドコニアリマースカ?」と聞いて来たりするのだ。
店員さんは皆黄色いエプロンを掛けてるだろーが。観察力のないウツケモノめ。
もっとイケナイのは、さも日本ジンでございという顔をして人を油断させておいて いきなり英語で話し掛けてくるアジア系のガイジンだ。
英語で話し掛けられるだけでもドキドキするのに心構えもさせないとは、卑怯者め。
そんな卑怯者には、にっこりと微笑み左上方を指し示し「イエース、レストルーム イズ セカンド フロア」と
答えてやることにしている。 
すると大抵「サンキュー」と言いながら、ガイジン特有のやらしいジェスチャーで肩をすぼめて帰って行く。  フフン、卑怯者にバチを当ててやったぞ。
大体、「JRの時刻表はありますか?」と訪ねて、「ハイ、トイレはお2階でございます」と笑顔で答えるようなバカな日本人に、これ以上まともな会話を試みる粘りのあるガイジンはいないものだ。
そんな一年だった。

その他の楽しかったことは、轟悠さんの女装がたくさん観れたことだ。
11月にも観た。
来年もどんな女装が観られるか楽しみだ。
いもらさま
宝塚の世界を知らずに始まった99年。何の変わりも無く過ぎていくと思っていたのに、その1ヶ月後には劇的な出逢いが待っていたのです。
母の知り合いに元タカラジェンヌの方がいらっしゃって、その方が「宝塚観たいのならチケット獲れるわよ〜」とおっしゃって下さった事が始まりでした。おバカな私はそうおっしゃってくださったにもかかわらず「宝塚ね〜」と関心も今一つ。
それがどうして観に行ったかといえば「雪組」だったから、いえいえ「月影瞳」が出ていたからなんです。当時、CMに出ていたグンちゃん。それで、「あ〜 あの人が出るだ〜。じゃあ観に行こうかな」という感じだったのです。
初めのうちは舞台を観ていてもグンちゃんにばかり目が行っていたのですが、そのうち相手の「男の人」に目が行くようになって・・・。 そうなったら、もうおわかりですよね?心はもう宮木です。勝四郎様を目で追い、「行かないで〜〜〜」と涙ぐんでしまいました。
 ショーでも「かっこいい!!」のオンパレードでした。最後に羽根を背負って出てこられた時は「おお宝塚!轟悠ってかっこいい!!!」とすっかりグンちゃんのことも忘れておりました。
女ばかりとわかっていても、「轟悠」は男の人にしか見えなくなってきてしまって、勝四郎様に惚れ込み、「轟悠」に夢中になっている私がいたのです。
その後はプログラムから次回公演の事を知り、歌劇やグラフ、もちろんWith Yuを読みふけって轟さんのことを知り、ビデオを買い込んでは生で観られなかった事を悔やみつつ、アップで写る轟さんに歓声を上げ、楽しいお勉強を毎日飽きる事なくしていました。それに、衛星放送を受信できてこれほど嬉しいと思った事はありませんでした。
今年は「再会/ノバ・ボサ・ノバ」「バッカスと呼ばれた男/華麗なる千拍子’99」と大劇場公演が2つもあったことやディナーショー(行けなかったけど)があったことも轟熱をヒートアップさせた原因のひとつです。自分の予定よりも轟さんの予定の方をしっかり覚えてしまって、「これが終れば次はこれね」といつも考えてしまっていたのですから。
でも、With Yuのみなさまに出会ったことが最大の原因なんです、やっぱり。こんなに楽しく、大好きな人の事を気兼ねなくおしゃべりできるのですから、熱が上がらない方が不思議ですよね。来年もきっと新たな患者さんが増え、私も含め重病人が増えてしまいますね。とってもとっても楽しみです。

来年こそはやうこさまにお会いできますように!!そして、もっと多くの方と轟さんのお話をすることができますように!!