ペルー世界遺産巡り8日間〔2013年3月1日~8日〕 。

HA社春限定のサンフランシスコ経由〔半日観光と時差調整で一泊〕のツアー〔添乗員HU嬢を入れ50代~70代の男性9名、女性17名総勢26名〕に一人で参加した。ほぼ快晴に恵まれ、見応えのある四ヵ所*の世界遺産巡りが出来た\(^o^)/。サンフランシスコ迄はユナイテッド航空〔ANAのマイレージ対象〕ペルーへの移動はラン航空〔JALマイレージ対象〕数千単位のマイレージが貯まりますので、海外旅行される場合マイレッジカードを持っておられる方は必携です。また、ほとんどのホテルでインターネット接続が無料で出来きました。
 *ペルーには世界遺産が11ヵ所ある。

日程

平成25年3月1日(金)関西国際空港は雨→18時20分出発、約9時間40分、8700km弱のフライト。日付変更線を通過するので過去にタイムスリップしてサンフランシスコへは3月1日(金)10時45分到着。何か得した感じでした。サンフランシスコ国際空港が混んでいた為上空を旋回、米国本土は広々していて民家もなく日本との違いを見ることが出来ました。着後、サンフランシスコ半日観光。良く晴れていたので、あのアルカポネやマシンガンケリーが投獄されていた『アルカトラズ島=フィッシヤーマンズワーフの沖合約3Km』が良く見えた。フィッシヤーマンズワーフ〔天然のアザラシ(とど)が800頭いてびっくり〕で昼食〔地ビールのアンカースチーム飲む〕とオプションですが『ケーブルカー体験とサンフランシスコ夜景観賞&カニ料理の夕食』を堪能し、充実したサンフランシスコの一日を終えました。下記画像にマウスを当てるともう一枚画像が見れます。


表:関西国際空港 裏:米国本土上空 

表:サンフランシスコオークランド・ベイブリッジ 裏:夜景 

表:ユナイテッド航空 裏:ラン航空 
 
ゴールデン・ゲート・ブリッジ〔2737m〕 

表:アルカトラズ島 裏:フィッシヤーマンズワーフ係留ヨット
 
表:ピア39 裏:とど

コールデンブリッジ建設前後
 
表:クラムチャウダー  裏:カニ
 
表:中華街 裏:ケーブルカー

平成25年3月2日(土)晴、終日機内。

 7時ーニングコール、11時45分サンフランシスコ国際空港よりラン航空でリマへ約9時間20分、深夜にリマへ到着した。隣席の弁護士R氏と親しくなった。ペルーの人口は2011年時点では約2,980万人、面積は128万5216㎢〔日本の約3.4倍〕。資源も沢山あり、子供も多くこれから発展する国だと思う。消費税は18%だが観光者は免税となっている。現地ガイドは日本人のOさん〔大学を卒業し青年海外協力隊で来られた29年のベテラン、奥様はペルー人〕お世話になりました。注意事項を色々お聞きしたが、一番困ったのはトイレの紙は配管が詰まるので流さないでごみ箱に捨てること。

平成25年3月3日(日)晴→リマより専用バスでピスコへ〔約3時間30分〕

 ペルーの季節は日本と反対、10月~4月が夏、5月~9月が冬です。首都リマは太平洋側で南極から北上する海水温度が低いフンボルト海流の影響で上昇気流が起きない為砂漠が多くあります。年間気温は25度~20度。ナスカでは一年で一度雨が降るかどうかで、ほとんど雨は降らないそうです。お陰でセスナ機による地上絵見学を楽しむことが出来ました。朝、4時45分モーニングコール、5時から朝食、酔い止め、パスポートを持って6時ホテル出発。世界一長い『パンアメリカンハイウエイ』チリ方面〔南〕に向かう。海岸〔太平洋側〕は日曜日なのか海水浴客で賑わっていました。ペルーでは鳥インフルエンザがないそうです。砂漠の中に養鶏場の白いテントが沢山ありました。今日安心して観光出来る国になったのは、日系人三世?のフジモリ元大統領〔25年実刑服役中=無実を訴えている〕がテロリストを撲滅して教育改革を行った為と聞き嬉しく思った。が、土産品店は周囲を壁で囲んで異様な場所にあり夜の一人歩きは禁物です。ペルーは水力発電が80%、火力発電が20%、これをLNG化しているそうです。 


表:海水浴 裏:ガス(LNG)発電所 
 
表:砂漠 裏:土産品店
 
表:昼食の魚 裏:インカコーラ
 
表:砂漠の中の養鶏場 裏:昼食のレストラン

 世界遺産ナスカとフマナ平原の地上絵遊覧飛行左の文字をクリックして下さい

平成25年3月4日(月)晴→リマ発クスコ=臍の意味着〔標高約3400m〕観光後、専用バスで標高3700mの高台迄移動しオリャンタイタンポ駅から高原列車でマチュピチュ村迄移動。

 朝4時モーニングコール、リマ発LA-2019便〔7時30分発〕に搭乗する予定で、朝食のお弁当(パンとリンゴ他)を持って5時にホテルを出発したが機材トラブルで運航中止。26名が全員乗れる後続便搭乗となりリマ空港で2時間余り食事券〔お陰でピザを食べた〕を支給され過ごした。飛行時間約1時間20分、飛騨山脈の槍ヶ岳〔3180m〕より高いクスコに降りた時はフラフラした。早速酸素ボンベを支給され持ち歩くことになった。昼食〔ビールとコカ茶を飲む〕後クスコ市街観光、ゆとりのある工程で遅れて到着したが予定通り観光出来た。専用バスで約2時間、オリャンタイタンポよりアグアスカリエンテス駅に18時9分到着。快晴であったがマチュピチュ村到着時は雨となった。カッパを着てホテルまでの移動時、不覚にも転倒し左膝下を強打する。夕食時段々と腫れてきた為添乗員さんに相談した結果、(40分かけて)医師二人往診して頂くことになる。注射を打つと言われたのでお断りして飲薬をもらったが湿布薬はない…とのこと。ツアー参加者のKUさんは海外では湿布薬がないことをご存知で持参されており本当に助かりました。湿布薬のお陰で翌日のマチュピチュ観光を問題なく出来ました。ありがとうございました。海外旅行保険を掛けていて良かったと思っています。

 世界遺産クスコ市街観光〔カテドラル、アルマス広場、十二角他〕左の文字をクリックして下さい。 マチュピチュ泊。

平成25年3月5日(火)晴一時雨。

 6時半モーニングコール、5時より食事。生憎曇り空だったが8時頃は何と晴れてきた。目指すは、15世紀半ばに作られ100年ほどで放棄された天空の古代都市マチュピチュ(年老いた峰)、標高2400m、混乗バスで登り、午前中たっぷり見学した。本当に感動した。私達が見学していた時、写真家の桐島ローランが取材中でした。その放送は3月31日(日)BS-TBSで19時から『奇跡の天空都市~マチュピチュ102年の真実』で放映されました。昼食後、駅前マーケットで買物。ガイドさんから値引き交渉をするよう言われていたので気に入ったシルバーリングを3個購入〔24%引き〕した。展望列車と専用バスでクスコまで帰り、宿泊した。夜はフォルクローレディナーショーを見学し、高山病にかかりかけた方がおられたが皆さん元気にクスコの夜を楽しみ、過ごすことが出来た。

 世界遺産マチュピチュ歴史保護区観光左の文字をクリックして下さい

 
表:マチュピチュ駅 裏:展望列車
 
表:駅前 裏:踏切の無いレール

 表:水路 裏:駅前マーケット
 
ディナーショー
 
表:アウグストスホテル 裏:酸素ボンベ使用状況
 
表:クスコ空港入口ゲート 裏:クスコ空港

平成25年3月6日(水)晴。
  
 朝6時15分モーニングコール、5時に起床し朝食後、ホテルの周りをぶらつく。7時51分ホテル発、約15分でクスコ空港着。なんとスーツケースと手荷物の二回荷物検査。ホッカイロや酸素ボンベは没収されるとのこと。事前に現地ガイドさんに手渡して感謝され無事通過したが飛行機は約30分遅れ10時25分出発した。昼前にリマに到着しリマ旧市街地区、天野博物館等を観光して、ペルー最後の夜は日本食レストラン『IZAKAYA=いざかや』で盛り上がった。
 世界遺産リマ歴史地区観光〔旧市街地区、大聖堂、アルマス広場、大統領府、恋人たちの公園、他〕左の文字をクリックして下さい。

平成25年3月7日(木)早朝〔1時25分〕リマ発→サンフランシスコへ〔約7200km〕 
サンフランシスコ国際空港7時55分着→11時58分サンフランシスコ発→日付変更線→約12時間→3月8日(金)16時51分関西空港着。

 今回の旅行で米国本土に2回入国しました。入国審査時、両手の指紋押印、顔写真、全身X線検査と厳しい検査を受けビックリしました。国によりテロ対策の違いを認識しました。また、帰りのサンフランシスコ国際空港では、あのIPS細胞でノーベル賞を受賞された山中教授と同便でパパラッチで写真撮影をするおまけも、ありましたが長い長いフライトが終わりました。皆さん!お世話になりありがとうございました。感謝、感謝の想い出に残るペルー旅行でした。

平成25年6月7日(金)→京都文化博物館で『インカ帝国展=4月16日~6月23日』を見学した。
 1899年4月3日『佐倉丸』で790人の日本人がペルーに移民し、その子孫は約10万人おられるそうです。そのご縁だと思いますが、逆に日本にも約6万人のペルー人の子孫がおられるそうです。共存共栄です。領有権争いではなく夫々の国でその国の法に従ってがんばっているのは素晴らしいと思います。さて、1911年ハイラム・ビンガムがマチュピチュを発見して102年です。高度の文明を持っていたインカ帝国が168名のスペイン人に滅ばされ理由は前述している。インカ王の子孫が4代に渡って抵抗したようですが…。
世界初の3Dシアターも必見です。天空からマチュピチュを見ることが出来ました。

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