この空に太陽を

 『明日…国に帰ります…』

 その言葉で頭の中が真っ白になった。
 今まで張ってきた意地も…あなたにしてきた数々のひどい仕打ちも…みんな忘れた。

 あなたは胸に飛び込んだ私を黙って抱き締めてくれた。
 …本当はずっとこうしたいと思っていた。

 離れるのが恐くてひたすら意地を張っていた。
 自分だけを納得させるためにひどいこともした。

 それなのに…。
 結局、私はあなたを苦しめただけだった。

 そして、これからも苦しめ続ける…。

* * *

 私は今まで感じていたそこはかとない孤独の理由を知った。その孤独を私は認めたくはなかった。だから、義賊と称し、弱い者には手出ししないことで自分の行為を正当化してきた。今でも義賊であったことは私の誇りだ。父がそうだったように。
 だが、仲間だと思っていた部下は全てが私と同じ思いではなかった。内戦が続き疲弊しているアグストリアの村々を私の制止も聞かずに襲い始めたのだ。…私はただのお飾りだったのだ。『お頭』と呼ばれ、いい気になっていた私は部下が何を考えているのかさえ知ろうとしなかった。一度禁止したらそれでいいと思っていた。自分の言葉が届いているか見届ける義務があったにもかかわらず。
 昨日まで一緒に笑い合っていたのに。あれは一体何だったのか…。今日は私を追い詰め、刃を向ける。私に味方した者は…すでに殺された。私は生きるために…父の名誉を守るために矢を番えた。たとえ血が繋がっていないとしても、父は私の父であり、誇りなのだ。

 何本矢を放っただろう。私の回りには仲間だったはずの死体が転がっている。気が狂いそうになりながらも、ひたすら矢を放ち続ける。それでも最初はかすり傷だったものが徐々にひどくなり、意識を保っているのさえ難しくなってきた。村を守る…その目的すら忘れ、ただ反射的に人を見ると矢を放つ。…その方が気が楽だった。
 だからその時も何も考えずに矢を番えて放った。的はそれをいとも簡単に避けた。これまで外すことなどなかった私はむきになり続けざまに矢を放つ。それでも躱された。ようやく的に興味をもった私は意識を取り戻した。
 その的は…今日の空と同じ色の髪と瞳をもった青年というにはまだ早い騎士だった。彼は私が呆然と立ち尽くしてしまったのを見て慌てて駆け寄って来た。
「大丈夫ですか?お怪我でもなさったのですか?」
こんなに丁寧に言葉をかけられたことのなかった私は、なかなか意味が理解できなかった。ますます混乱した私を庇うように前に出た彼は、
「ここは私にまかせて、下がっていて下さい」
再び意味不明の言葉を残し、私と村に襲いかかる盗賊に成り下がった連中の集団の中に飛び込んだ。
 槍がきらりと光る度に連中は崩れ落ちる。槍では分が悪いはずなのに、そんなことは全く感じさせない槍捌きに、私はすっかり心奪われていた。心のどこかで、騎士に対して「甘ちゃん」だと蔑んでいた。実際、アグストリアで見た騎士はクロスナイツ以外はろくな者がいなかった。
 見愡れているうちに自分にできることはないかと私は考え始めた。…それはただ一つ。戦うこと。部下だとしても…部下だったからこそ、私が倒さねばならない。罰を受けるのはそれからだ。私は再び愛用の弓を構えた。
 私達は無我夢中で敵を倒していった。私は言い様のない高揚感を感じていた。彼と会ったのは今日が初めてなのに、何年も共に戦った友であるかのように互いの死角を封じ合う。背中を預けるとはこういうことなのか…その快感に私は酔いしれた。

 小一時間経った頃だろうか。ようやく部下達を仕留め終えた私は周囲を見渡した。色を失った部下達の顔。それに昨日までの笑顔が被さって見える。
「どうして…」
立ち尽くすしかなかった。私さえしっかりしていれば…こんなことにはならなかった。
「許してくれ…」
 オーガヒルの海賊の頭目として責任を果たさねばならないのはわかっていたが、一刻も早く逃げ出したかったのだ。私は残りわずかとなった矢を取り出し、喉に当てた。
 ぱちん―。
 何が起こったのか一瞬わからなかった。気が付いた時には手にしていた矢は地面に転がり落ちていた。
「何をする!邪魔をするな!!」
私は隣にいた彼を睨み付け再び矢を取ろうとした。しかし、私の手は自由を奪われた。力では負けないはず…が、一向に手を振り解くことはできなかった。悔しさなのか涙が溢れてくる。
「お願いだから…放して…」
 私は懇願した。彼は私の瞳を真直ぐに見つめて、
「もうこんな真似はしないと約束して下さるのなら」
こう言って少し力を弛めた。その隙に逃げ出せばよかったのかもしれない。だけど、その時の私には無理だった。彼の瞳を見てしまったから…。私は頷くしかなかった。
 私の答えに満足した彼はようやく私の手首を解放した。そして、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。痛かったでしょう」
その言葉で初めて私は痛みを覚えた。私の手首にはうっすらと彼の指の痕が残っていた。何故かその痛みは暖かかった。その暖かさに引き寄せられるように私は彼の胸に飛び込み、ただ泣いた。

* * *

 その日は私にとって天と地がひっくり返ったかのような出来事が立て続けに起こった。部下の反乱、妹と名乗る娘との出会い。顔の作りは似ている気もしたが上品で美しく、私なんかとは全く違う。同じ人間だっていうのもおこがましい。にわかには信じられない私に差し出されたイチイバル…。触れた瞬間に自分の中に不思議な力が満ち溢れ、もう一人の私が現れた。まるで別人のような私…。
 両親と双子の妹に生まれたばかりの弟に囲まれて何不自由なく暮らしていたあの頃。忘れていた大切な人達が一気に頭の中に押し寄せてくる。
「エーディン…エーディンなのね…。みんな元気でいらっしゃるの…?」
「お姉様…」
命を分け合った妹と抱き合いながらも、私は自分の口から出た言葉に怯えた。

 結局、私が罪に問われることはなかった。私が追われていたことで、部下の行為とは無関係とされたのだ。村を海賊から守っていたとの口添えがあったらしい。何にせよ、エーディンの姉だということが一番大きい要素には違いない。
 オーガヒル制圧の祝宴の最中、妹から私が生まれた家に何が起こったのかをずっと聞かされていた。父が陥れられたこと、弟がそれに荷担しているらしいこと…。よくある話。でも、妹の話を聞いているととんでもない悲劇に聞こえてくるからおかしい。当事者だからか…他人事でも彼女には同じことだろう。
「お姉様…お疲れではないのですか?」
 笑みをたたえて私を見つめる妹。その笑顔を見ていると少し胸が痛い。こんな無垢な笑顔を持つ人間がいるとは。
「ええ…少し疲れたみたい…」
「ではすぐにお休みになって。さあ、行きましょう」
と立ち上がって私の手を取ろうとするのを制した。
「一人で大丈夫。今日はずっと私のことばかりで彼も寂しがっているんではなくて?」
私は目で恋人だと紹介されたジャムカ王子を指した。妹はほんのり顔を赤らめた。
「お姉様…」
「もともとここに住んでいたのだし…心配は要らないわ」
そう言うと妹を置いて広間を出た。
 本当に疲れていた。記憶を取り戻してからずっと妹は私の側から離れようとしない。妹が側にいると息が詰まりそうになる。それは決して不快ではないけれど、何故か不安になる。時は取り戻せないのに…。

 私は部屋には戻らず、海岸に出てずっと海を見つめていた。心地よい波の音が心身の疲れを癒してくれる。手足を伸ばして砂浜に寝転ぶと満天の星空が目に飛び込んできた。海も空も昨日と同じなのに、私だけが昨日とは違う…。
「本当は夢なんじゃ…」
 まだ信じ切れない自分がいる。でも私の横には黄金に輝くイチイバル―。そっと手を伸ばすと全身が光に包まれる。その光はしきりに私に何かを訴えかけている。それが暖かくて…辛くて、私は手を離した。それと同時に光が消えた。
「どっちにしても、シグルド様には借りがある。考えてる場合じゃない…」
そう呟くと、ほっとした。自分の言葉が取り戻せたような気がした。でも、どちらが本当の私なのか…。
 私はバッと起き上がるとイチイバルを手に駆け出した。弓の練習場に飛び込むとひたすら弓を引き続ける。ずっと前から使っていたようにしっくりくる。やがて私の頭の中は真っ白になっていった。
「こちらにいらっしゃったのですか」
その声の主はすぐにわかった。広間にいる間ずっと目の端に入っていたのだから。私が振り向くと彼は申し訳なさそうな表情を浮かべて近付いてきた。
「昼間のご無礼、お詫びせねばと思っていたのですが…」
「エーディンがずっと側にいたからね。気にしなくていいよ。それに…こっちの方が礼を言うべきだろう?」
 自分でも不自然なくらい言葉を崩しているのがわかる。他の人にもこんな言葉遣いはしなかった。今までは当たり前のように使っていた言葉だけど。
「ブリギッド様…」
そう呼ばれるのがたまらなくむず痒くて、さらに汚い言葉で返す。
「あんたの名前は?聞いてなかったな」
「フィンと申します…」
「フィン…か。ちょっと付き合ってくれないか?」
 返事も聞かず、私は歩き出した。真面目な人間だから、こんな私でも目上の人間として扱うだろう。彼はしばらく躊躇っていたようだったがすぐに三歩後ろをついてきた。その気配を背中で感じながら、私は何故そんなことを口走ってしまったのか、ずっと考えていた。

「さあ…入ってくれ」
 私は自分の部屋の扉を開けた。シグルド様の厚意で使っていた部屋をそのままあてがわれていた。一番いい部屋を使うのは心苦しかったが、こうなるのなら…丁度いい。
「しかし…」
当然彼は躊躇する。それに構っている暇はないから、有無を言わさず腕を掴み、中に引き入れた。
「ブリギッド様!」
声にも表情にも抗議の意思がありありと見える。私は掴んでいた腕を離して、彼の瞳を見つめた。
「…ブリギッド様?」
 私の変化に彼は戸惑い、心配そうな表情を浮かべた。いつの間にか涙が溢れて、彼の姿が歪む。
「迷惑なのはわかってる…。だが…」
もう言葉にはならず、彼にしがみついた。

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別荘入口  ブリギッドの間  連絡先

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