「仇…か」
 アリオーンは一瞬フィンに目をやると自嘲気味に唇を歪めた。そして、手にしていた天槍グンニグルを握り直し、鋭い視線を竜騎士達に投げ付ける。
「…それがどうしたというのだ」
「ア…アリオーン様…」
思いも寄らないその言葉と向けられた瞳の厳しさに竜騎士達は怯んだ。その中の一人がやっとのことで抗議の声を上げた。
「やはり…あなたはアルテナ様を与えられ、懐柔されたのか…」
 アリオーンはぴくりと眉を上げたが、反論はしなかった。しかし、後ろで控えていた部下達は主君への侮辱に怒りをあらわにした。それを左手で制すると、穏やかな表情で語り始めた。
「ずっと戦いの中で生きてきた我々が今さら仇などと言えるのか?こうやって生きている以上我らは誰かの仇なのに…」
アリオーンが刺客の竜騎士達を見回すとそれまで睨み付けていた彼らは思わず目を伏せた。
「これまでずっと我々は復讐という名の下に自らを憎しみの鎖に縛り付けてきた。いつしか目的のために戦うのではなく戦い自体が目的となってしまっていたのだ。それにトラキアの夢は何だ?…そう、半島の統一だ。父は目的のためには手段を選ばなかった。利用できるものは何でも利用した。逆に利用されているとわかっていても…だ。それがあの戦いだ。結果半島を帝国に売り渡したようなものだった。しかし、最期まで父は自らの手で統一を成すことを諦めた訳ではなかった」
 記憶を辿っているのか、苦い表情を浮かべながら話していたアリオーンであったが、一息吐くと過去を振り払うかのようにきっぱりと言い切った。
「…だが、同時に半島の統一の最大の妨げは父自身であると自覚されていた。だから、父は父なりに決着を着けようとし、破れたにすぎない。私はトラバントの息子だ…。私も手段は選ばない。半島の平和のためならば…」
「アリオーン様…」
「確かに…お前達から見れば私だけがいい目を見ているように思われても仕方がない。ならば、憎むべきは私ではないのか?」
 刺客達は戸惑い互いに顔を見合わせるが、誰も動こうとはしない。
「…もっとも、むざむざとやられるつもりはないがな」
そう言ってグンニグルを握り直したアリオーンの迫力に飲まれた刺客達は抵抗する気力を失ったのか武器を手放した。

 張り詰めるような空気が和らいだ瞬間、ナンナの視界の片隅で何かが揺らいで…消えた。
「………お父様!!」
凍りついた空間を絶叫に近い悲痛な声が切り裂いた。その声でようやく何が起きたのかナンナ自身も理解した。
「お父様…しっかりして…お願いだから…起きて…」
 ライブの杖が何度も淡い光を放つ度にナンナの頬を伝う涙がきらきらと光る。その神々しさにその場にいた者は目を奪われた。しかし、地面を染めていく鮮血が現実に引き戻す。
「エダ、すぐにグルティアへ」
「はい!」
 エダとアリオーンの指示を受けた部下が二人フィンとナンナの側に駆け寄り、フィンを運ぼうとする。だが、いくら声をかけても無我夢中でライブを続けるナンナには届かず、差し出した手も振り払ってしまう。
「嫌!連れて行かないで!!連れて行くなら…私も…一緒に…」
「ナンナ様…」
 ナンナには救いの声も死神の呼ぶ声にしか聞こえなかった。黄泉へと連れ去ろうとする手からフィンを守ることだけで精一杯である。
「リンドなら三人乗れるだろう。私は後始末があるからエダに任せる」
ナンナの様子を見かねたアリオーンがそう言うと、空を舞っていた彼の飛竜がフィンとナンナの側に着地した。
「ナンナ様、ここではもう何もできません。早く治療するためにも城へ!」
 錯乱して抵抗を続けていたナンナだったが『治療』という言葉が耳に入ったのか、一瞬抵抗が止んだ。その隙に素早くアリオーンの飛竜に二人を乗せるとエダも飛び乗った。
「急いだ方がいい。行け、リンド!」
挨拶しようとするエダを制し、手を上げたアリオーンに呼応するかのように飛竜は一声上げると瞬く間に高度を増した。

 グルティア城に到着してからもフィンから離れようとしないナンナにエダ達は困り果てていた。竜からも降ろせない状態では手のつけようがない。
「どうしたのです!?早くフィンを運びなさい!」
到着を聞きつけたアルテナの声が中庭に響く。もどかしそうに駆け寄ったアルテナは状況を理解し、ナンナの腕をきつく掴んだ。
「ナンナ!しっかりしなさい!!フィンを死なせたいの!?」
「い…嫌!!」
 ナンナは『死』という言葉に反応し、泣きながらフィンにしがみつこうとする。
「いいかげんにしなさい!」
アルテナは掴んだ腕を引っ張り、ナンナの頬を打った。
「あ………」
 呆然と立ち尽くすナンナをアルテナは抱き締めた。
「もう大丈夫よ…。ライブが効いてるわ。だから…大丈夫」
「…アルテナ様!」
腕の中で泣きじゃくるナンナを受け止めながら、アルテナは運ばれていくフィンを祈りとともに見送った。
(フィン…)

「手は尽くしました。あとはフィン殿次第です…」
 治療を終えた医師は待ち構えていたナンナやアルテナにフィンの状態を報告し、最後にそう付け加えた。
「そう…ご苦労様」
 アルテナは医師達を労うと、あえて明るい表情を浮かべてナンナの方を向いた。医師の言葉に希望を見出せず、それまでこらえていた涙がナンナの瞳から零れようとしていた。
「ナンナ…少し顔を見て、それからゆっくり休みなさい…」
子供に言い聞かせるようにアルテナの口調は優しく穏やかだった。
「いいえ!私に看病させて下さい!」
「ずっとライブをかけ続けていたんでしょう?あなたの身体が持たないわ」
「私のことなんて構いません!お願いですから…」
 予想していたとはいえ、いくら説得してもナンナは聞く耳を持たなかった。頷くまではてこでも動かないという気迫に圧され、結局アルテナは折れざるを得なかった。
(ナンナがこんなに頑固だとは思わなかったわ…)
 半ば呆れつつ、妹のように思っていたナンナを実は何も理解していなかったのだと初めて気付き、ナンナの孤独に胸を痛めた。
「わかったわ…だけど、少しでも休んで頂戴。それだけは約束して」
「アルテナ様…ありがとうございます!」

 アルテナが出た後、二人きりとなった部屋でナンナはフィンの顔を初めて見ることができた。取り乱すと思っていたのだが、見た後の方が心が落ち着いていくのが不思議だった。それでも、端正なその顔があまりにも青白くて彫刻のようで生きているのか不安になる。
「ああ…よかった…」
 呼吸をしているのを確認すると、そのまま枕許の椅子に腰かけ、改めて寝顔を見つめる。こんなに穏やかな表情のフィンを見るのはかなり久しぶりのような気がする。
(そういえば…お父様の寝顔なんて見たことないわ…)

 まだ何も知らなかった頃、眠れない時にはいつも父の寝室に直行した。ナンナがそっと少しだけ扉を開けると、
「ナンナ、眠れないのか?」
そう言ってフィンはナンナを部屋に招き入れ、ベッドに寝かせた。
「おとうさま、あのね…」
 穏やかな微笑を浮かべて一頻りナンナの話を聞いてからフィンはそっとナンナの頬を撫でる。
「続きは明日にしよう」
「いや。もっとおはなしするの」
 父を独占した喜びですっかり目が冴えたナンナは不服そうに頬を膨らませたが、何かを思いついたのかすぐに瞳を輝かせて、
「じゃあ、おうたうたって」
と言うと、フィンは少し照れるのか、上の方に視線を向け口ずさみ始めた。

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