レンスターの地を踏んだ二人を迎えたのは、リーフの妻、ティニーだった。
「ナンナ!」
「え?ティニー!どうしてこっちにいるの?」
フリージにいると思っていたティニーに抱き着かれたナンナは信じられないという表情を浮かべている。ティニーはナンナから離れ、夫と抱き合った。
「リーフ様、ナンナに教えてなかったの?…意地悪なんだから」
「ナンナをびっくりさせてやろうと思ってね。ティニー、変わったことなかった?」
 夫婦の語らいを続けているリーフとティニーをナンナは呆然と眺めていた。ナンナの様子に気付いたリーフがティニーを促した。
「ティニーから報告したら?」
「そうね。あのね、ナンナ。私やっとフリージ公爵って肩書きから解放されるの!」
「え?どういうこと?」
「サイアスがヴェルトマー継ぐ気になってくれたから、アーサーがフリージに領地替えになるんだ」
「だから生まれてくるこの子と一緒に私もずっとトラキアにいられるのよ」
 本当に嬉しそうな表情のティニーにナンナも心の底から祝福した。
「本当によかったわね!私も嬉しいわ」
「だからナンナも安心してトラキアで羽根を伸ばしてね。変なこと言わせないから。…よかったらずっといてくれると私も嬉しいんだけど」
「…ずっといる訳にもいかないけど、しょっちゅう遊びに来るわ…入り浸るくらいに」
喜びを分かち合っているティニーとナンナを見つめながら、リーフも安堵していた。
(…ナンナはまだ大丈夫だ)

 数日後、ナンナはリーフやティニーとも別れ、フィアナ村に到着した。リーフとティニーの心遣いとエーヴェルやマリータとの再会にナンナの心の靄もすっかり晴れていた。
「エーヴェル!マリータ!」
再会を抱き合って喜ぶ三人。
「ナンナ様。お久しぶりですね。お元気そうで何よりですわ」
「エーヴェルこそ…。会えて本当に嬉しいわ。マリータも、ノディオンに来てくれてありがとう。あんなに楽しかったの久しぶりだったの…」
「ナンナ様…」
マリータはノディオンでのナンナの様子を思い出して目を伏せた。娘から聞いていたエーヴェルも辛い表情になる。それに気付いたナンナは、首を振りながら勤めて明るく、
「もう、二人とも…。せっかく会えたんですもの。楽しく…ね。でも心配してくれて本当にありがとう」
「そうですね。お話ししたいことがたくさんあるの。マリータ、タニアも誘ってみましょうか」
 マリータは頷いてタニアの家に駆けていった。それを見送りながら、ナンナはエーヴェルに話しかけた。
「エーヴェル…」
その声に振り向いたエーヴェルは、ナンナの表情で用件を悟った。しかし、その素振りは見せられない。
「何でしょう?」
「あの…」
そう言ったきり俯くナンナ。エーヴェルは複雑な表情で彼女を見つめていた。
(お辛いのね…。…よくわかるのも良し悪しだわ。…私も…)
 マリータがタニアを連れて戻って来たことで、この話題は口に出すことなくナンナとエーヴェルの胸の奥にしまわれた。

 それからナンナはフィアナ村で旧交を温めながら心穏やかに過ごしていた。辛いだろうと思っていた思い出も案外優しいことに驚いた。それは幸せだった証―当たり前のように享受していた幸福。しかし、それは本来自分が受けるべきものではなかった。
(知らない方がよかったのかしら…?いいえ…知る前からこの想いに気付いていたわ。でも結局はこの想いを引きずるのね…)
 以前住んでいた家の庭で花を愛でながら、ナンナはかつてここにいた人の姿を彼方此方に見い出していた。常に優しい瞳で見守っていてくれた人。その視線はある日を境に自分に向けられなくなった。その視線を向けさせたくて…ただそれだけのために、今となれば馬鹿だと思うことも数々してきた。しかし結局、ナンナの望む結果とはならなかった。
(本当に馬鹿だったわ。子供だった…。拒絶されるのが恐くて、ちゃんと話さえしなかった)
「ナンナさま!」
「え?」
 子供達の呼び掛けにナンナの意識は引き戻された。オーシンとタニアの子供二人である。
「ナンナさま。あそぼ」
「みんなまってるよ」
村に来てから子供達と遊ぶのが日課になっていたナンナはにっこり微笑んだ。
「じゃあ、行きましょうか。今日は何しようか?」
「おはなばたけへいこう!」
子供達に手を引かれながら、ナンナは村はずれへやって来た。そして、凍り付いた―。

 先程まで優しく微笑みかけてくれた人が、そこにいた。
 ナンナの目は馬上の彼に釘付けになった。日に焼けた肌は別人のようであったが、髪の色が彼であることを如実に物語っている。ナンナに気付いたその人は馬から下りて、無表情のまま近付いて来た。そして膝をつき、口を開いた。
「ナンナ様、リーフ様のご命令によりお迎えに参上いたしました」
「…お父様…」
 自分自身が発した言葉にナンナは愕然とした。ナンナの葛藤を知ってか知らずか、父と呼ばれた男は微苦笑を浮かべて立ち上がった。
「…まだそう呼んで下さるのですね」
「………」
ナンナは無言で見つめるだけだった。相手は一瞬その視線を受け止めると、ナンナの側で不安そうに固まっている子供達に声をかけた。
「君はタニアの子供か?そして君にはオーシンの面影がある…」
 無言で頷く子供達の視線に合わせるため身体を屈め、頭を撫でた。
「すまないが、私は少しナンナ様と話がしたい。遊ぶのは後にしてくれないか?」
優しげな声に子供達の強ばっていた表情は見る間に柔らかくなった。
「うん。いいよ。ナンナさま、またあとでね!」
「…ええ。ごめんなさいね…」
 やっと我に返ったナンナはぎこちないながらも笑顔で子供達を見送った。
「…まずは、エーヴェルに挨拶してからにいたしましょう」
「そう…ですね」

 エーヴェルの家まで二人は無言だった。しかし、ナンナにとっては気まずさよりも隣を歩いている、その事実の方が重要だった。だが、先程見せた子供達への表情、声…それが自分には向けられないことを改めて思い知らされていた。
「フィン!」
「おじさま!」
 庭に出ていたエーヴェルとマリータが二人に気付き、声を上げた。
「エーヴェル…久しぶりだな…」
「フィン…元気そうね。大分日に焼けたわね。別人のようだわ」
「そうか?砂漠を抜けたのが夏だったからな」
(砂漠…イード砂漠…?)
ナンナは『砂漠』という言葉に反応した。しかし、フィンはそれ以上は触れずにマリータに話しかけた。
「マリータ、ガルザスに会った」
「お父様に?」
「ああ。しばらく共に旅をしたが…。もし会う機会があれば感謝していたと伝えてくれないか?」
「…?…はい。おじさまが会えたんですもの。私もいつかきっと会えますよね」
 笑顔で答えるマリータに、フィンは無言で頷いた。そんなやりとりの中でじっとフィンを見つめたままのナンナに気付いたエーヴェルは、
「外で立ち話もなんですわ。中でゆっくりお話ししましょう」
とナンナの腕を取って家へと誘った。

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別荘入口  ナンナの間  連絡先