月さえも眠る夜〜それぞれの夜明へ〜

9.ジュリアス・回想



エドゥーンの死後、私は彼の娘を連れて、その幼子の祖父母を訪ねた。
彼らの娘と、その夫の死を、伝るために。
懐には。
桃花(タオホア)殿の形見の壊れた銀簪を携えて。

◇◆◇◆◇

私の話を聞き簪の箱を受け取ると、さすがに気丈な奥方も目を抑えて奥の部屋へと消えた。

救えたかもしれない。
もう少し早く、軍部の動きに気付いていれば。
あの草原の惑星で起こっていた異変に気付いていれば。
なによりも、あの時迷わず行動していれば。

「私は――」

どんなふうに責められても仕方が無いと思っていた。
その責めを負う覚悟でいた。
けれど彼は穏やかに言った。

「ジュリアス、泣きたいときは、泣くものぞ」
「――」
遥か昔のことだが、その言葉には覚えがった。
私が守護聖になったばかりの頃。前任の光の守護聖を見送りながら、やはりこの人はそう言った。
そしてその時私はこう答えたのだ。
―― 泣きたそうな顔をしているのはそなたの方ではないか
その時と同じ言葉を、私は繰り返す。
「泣きたそうな顔をしているのは、あなたのように見えます」
彼もまた、その言葉を覚えていたのだろう。
泣き笑いのような、そんな表情をした。

「あれはあれの望むままに生きたのであろう。ただひたすらに、風を恋うた。ただそれだけのこと。そしてあの風の者もただ己が望むままに」

時折、彼はこういう薄情とも思える言葉をつむぐ時がある。
世はすべて成すがまま、そう言って。
けれどもその言葉の奥に彼の抱える悲しみがあるのだろう。
優れた詩人でもある彼は言葉に込もる魂 ―― 言霊を信じていて。
故に憎しみや、苦しみ、悲しみといった負の感情を別の言葉に置きかえるのだと。
そう感じた。
娘は幸せであったのだ。
彼がそう言うことで。
少なくとも残された人々 ―― 奥方やこの幼子は ―― それを信じることができる。
いつしかそれは真実となって、彼らの心に残るのだ。
だからこそ。
次に呟いた彼の言葉は、彼の魂の叫びだったのであろうと思う。

「だが、そうよの。天命と諦めるにはあまりに惨い。
愛別離苦。
人の身であるかぎり、逃れられぬ定めとはいえ。
この老いぼれがこうしてまだ生きて ―― まさか娘に先立たれるとは思わなんだ」

「申し訳 ――」
「謝るでない!」
彼の声を荒げる姿を、私ははじめて見たかもしれない。
「大切な者を失ったは、そなたも同じであろう。私に、謝る必要など無い。そして過去を見るだけの自責ならするべきではない。先も見よ。過ちだったとそなたが思うのであれば、繰り返さぬよう過去の上に連なる未来を見よ」
彼の言葉を心に刻みつつも。
己を責めるなと言う言葉を実行できる自信は私には無かった。

「ジュリアス。そなたの望む夢は、なんであろうな」

私の、夢?
それは。
夢など。
あっただろうか?

五歳で聖地を訪れ、ただ守護聖たらんとした私だ。
それが、望みだったのか。
そして気付く。
私があの風のような破天荒な友に人間として惹かれていた理由を。
「私は、彼のようになりたかったのかもしれません。何にもとらわれず、ただ風のように自由だった彼のように」
だが、それは叶わぬ願いだとわかっていた。
私にあのような生き方はできない。
「そうよの、そなたもわかっておるのであろう、人には人の性分と言うものがある。そなたには、そなたの性分が。
まあ、焦ることもあるまいか、人生は ―― 例外はあるが ―― 思いのほか長いもの。まだ、そなたには夢を見つける時間が残されておる。
逝った朋の分まで生きよ」

静かに涙を流し、追悼の詩を詠じる彼。
今彼は涙を見せることをためらってはいなかった。
在りのままの心の彼が、ここにいる。
だが、私は。
涙を、流すことはなかった。

割腸痛連心 ―― 腸を割(さ)けば 痛みは心に連なり
心砕骨已傷 ―― 心砕けては 骨も已に傷つく
出我心骨血 ―― 我が心と骨との血を出(い)だし
灑為清涙行 ―― 灑(そそ)ぎて清き涙の行と為す
(欧陽修:娘を喪いて・抜粋)





詩の詠唱が終わり訪れた沈黙を破ったのは、彼の腕の中の幼子だった。
―― なんと生命とは、力強いものなのか。
「あかちゃん、泣いているの?この子は、だあれ?」
晴れた夜空のような、微かに紫を帯びた藍色の瞳と髪をした愛らしい少女がそばに寄り、私に問う。
彼女も彼の孫娘だと、聞いていた。
「そなたの従姉妹だ。これからは、そなたの妹のように可愛がってあげて欲しい。名は、ハイタンと」
「ハイタン?海棠ね?じゃあ、棠花(タンホア)って呼ぶ。棠花、泣かないで。お姉ちゃんは丁香(ティンシャン)よ」
少女に赤子を託し、彼は言った。
先ほどの、『性分』の話の続きだった。

「―― ついでに、クラヴィスにもクラヴィスの性分と言うものがある。
わかってやってくれると、嬉しいがの」

流石に。
これは、素直には聞きかねる。
「あいかわらず、あなたはクラヴィスに甘い」
おそらくは、眉の根を寄せていたであろう私に向かい彼はくつくつと笑った。
「そう、言うな。覚えていて欲しいのだ。 お互いが生きてさえおれば、誤解や行き違いを解くことはさほど難しいことではないということを」

無言で彼から目をそらし、あたりを眺めた。
美しい山林に囲まれた彼の庵。
その軒に、燕(つばくらめ)がつがいで、巣を作っていた。


一言メモ:
「梨花の散る夜に(6) ―― 梨花の散る夜」でジュリアスがゼフェルの手にした銀簪に反応をしたのはこういう理由。
また「泣きたいときは泣く」云々の台詞は「静夜思君不見(3)-2 送行人」 のシーン
なお棠花については今更説明を要しないとおもうが、丁香(ティンシャン)嬢については、このシリーズとはパラレルな話のセイコレ創作「藍い夜空に鳴く不如帰」のなかで登場している。おわかりに、なるだろうか?

◇ 「10.ヴィクトールとアンジェリーク」へ ◇
◇ 「それぞれの夜明けへ」目次へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇