静夜思君不見

梨花歌〜(弐)送行人


翌朝目覚めた少年は、やはりあれは夢だったのだろうか、と考え、聖殿へ昇殿する前に中庭の梨木の下へ行ってみる。
そして彼は地に落ちた花びらを掻き分け、地面に刻まれ残る『美幻』の文字を見つけた。
夢では、なかったのか。
心に湧きあがるその喜びを、相思の想い(恋)と自覚するには、少年は若く、出逢いの瞬間は短すぎたかもしれない。
けれど、もう一度あの少女に逢いたい、という気持ちははっきりと、彼の心の内に刻まれたのである。
自分の名の横に無意識に刻んだ『梨華(リーホア)』の名と共に。
 
 
女王への謁見は、正直メイファンにとって呆気なさ過ぎるくらい呆気なく終わった。
基本的に楽天家な彼が珍しく緊張して、守護聖としての忠義を誓う旨を挨拶として陳べても、 女王と呼ばれる人は、御簾の奥の玉座で一言
「ご苦労であった、以後もよろしゅう」
重々しい声がそう答えただけであったのである。
まあ、始めから御尊顔を拝そうと思うても無理か。
お気楽にそんなことを考えているメイファン。そして更に思う。

―― 玉座とは、孤独なものよ

補佐官もおかず独り宇宙を支える顔も知らぬ女性が哀れにも感じられたのだ。
 
聖殿を案内してくれている光の守護聖の後について歩きながら、彼は尋ねる。
「主上 ―― いや、陛下とお呼びするのか。かのお方はいつもああやって御簾の奥におられるでありましょうや?」
少年の問いに、光の守護聖・ユリウスは応じる。
「すくなくとも、俺が守護聖になったときからそうだな。歴代の女王がそうなわけではないそうだが」
彼が守護聖になった時から、ということは現女王はかなりなベテランなのだろう。
光の守護聖がふふ、と笑みをもらして逆に問い返してくる。
「驚いたか?でも、あの方はああやって御簾の奥でこの宇宙のすべてを支えておられるのだ。
誰が、何を根拠に言ったかはしらないが、あの方は『生まれながらの女王』なのだそうだ。
確かに、歴代の平均統治時間を超えた今でも衰えることを知らず、サクリアは御世に満ちている」
基本的に女王の任期は守護聖のそれより短い。
左様ですか、と若い夢の守護聖は応じて続ける。
「驚いた、と申しますか。なんぞ、哀しゅう感じました」
メイファンは女王の心の内を言ったのだが、 光の守護聖は謁見に際し彼に掛けられた言葉が少なかったことを言ってると思ったらしく 朗らかに笑うと少年の肩をぽんぽん、とたたいた。
「気にすることはない。陛下のお声を聞く機会は、我らにもめったにないからな。
おまえが軽んじられているとか、そういった理由ではないぞ」
メイファンはその答えに、曖昧に笑った。
勘違いはされたものの、彼にとって肩に置かれた手の温もりが、とても思いやりに満ち、やさしいものに感じられたからである。
 
 
聖地での日々は平穏に過ぎてゆく。
その間、梨華は時折、気まぐれにメイファンを訪ねては、他愛も無い話をし、気まぐれに帰って行った。
彼女はいったい何者なのであろう?
はじめの内は聖殿に使える女官を探してみたりもしたが、メイファンはじきにどうでもいいと思うようになっていた。
彼女が、自分を訪ねて来てくれさえすれば、いいのだ。
彼女は気まぐれな花の精。
無理に正体を暴こうとすれば、幸せなこの時間さえ、失われそうな、そんな気がしたのである。
 
 
ある日、メイファンは執務でわからないことがあり光の守護聖の執務室を尋ね、扉をノックしようとした。
その時、中から聞こえる話し声につい手を止める。
「では、そなたともお別れか。なかなかに長い付き合いであったな」
それはすこし寂しげな、闇の守護聖の声であった。そしてそれに答える光の守護聖の声。
「ああ。後のことは頼んだぞ、シラーン。特に、俺の後任の守護聖はまだ5才と聞く。色々辛いこともあるだろうからな」
「わかった。そなたの頼みだ。聞かないわけには行くまい。しかし気になることがある」
「なんだ?」
「ここ暫くの宇宙の様子だ。サクリアの安定が悪いのだ。そなたの交代の際のサクリアの乱れとも思ったが」
「それは、ありえん。俺はこの誇りにかけて、そんな甘っちょろい心の持ち主ではないからな」
そう言い切った、迷いなき声。
守護聖交代の際、精神的な理由が原因でしばしば守護聖のサクリアは乱れることがあるらしい。
しかし、どうやら騎士道的精神の誇りに満ちた、この光の守護聖には当てはまらないようだ。
「そうだな。私もそうは思っている。では、いったい何が原因であろうか?もしや、陛下のお力も……」
「まさか」
 
扉の中で、まだ話し声がしていたが、メイファンはそっとその場をはなれる。
自分が守護聖になってから、何かと面倒をみてくれた光の守護聖であった。
こうも早く、別れの時が来るとは。
―― この世はなんと無常なことか。
そう感じながらも、しかし、当の光の守護聖がああも気丈に朗らかであるなら 自分も別れに際し涙はみせまい。そう心に誓った。
 
数日後、黄金の髪に瑠璃色の瞳をした幼子が聖地の門をくぐった。
メイファンにとって初めての後輩である。
その、いかにも気の強そうな蒼穹の瞳に、 こんなに幼いというに。
と、心が痛む。
彼が、光の守護聖として相応しく振る舞えば振る舞うほど、哀れに思えてならない。
それは、かつて女王謁見に際し、女王の孤独を哀れに思ったその心と同じであった。
もっとも、それを口に出せば誇り高き幼い守護聖の気分を害するだけ、 と十分わかっていたので特に表の態度には表さなかったのだが。
 
新旧の交代を終えた光の守護聖は、親友の闇の守護聖と、 そして年は離れてるとは言え同じ新米同士、と思ったのだろう、メイファンに対し
「ジュリアスを頼んだぞ」
そう言い残して穏やかに聖地を去って行った。
幼い光の守護聖は、その後ろ姿を黙って見つめている。
無意識に掴んでいたのであろう闇の守護聖の服を、ぎゅっ、と強く握りしめて。
メイファンはそのちいさな頭を、よく光の守護聖が自分にしてくれたように、ぽんぽん、とたたく。
「泣きたい時は、泣くものぞ」
そう言いながら。
ジュリアスは、きっ、と、蒼穹の瞳で ―― それは涙で潤んでいるというのに ―― メイファンを見据えると言う。
「私は、泣くことなどしない!泣きたそうな顔をしているのはそなたの方ではないかっ!」
その物言いに闇の守護聖が、くっ。と笑みを零す。心底、この幼子を可愛いと思っているようである。
若い夢の守護聖もつられて、そうか。そう見えるか。と静かに微笑んだ。
 
涙はみせまいと誓ったのだから、と、メイファンは涙に滲む風景を誤魔化し、これ以上涙が零れないように空を見上げる。
僅かに暮れかけたその空は、傍らにいる幼子の瞳のように、とても澄んだ蒼であった。


これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である。


相送臨高台―――相送りて高台に臨めば
川原杳何極―――川原(せんげん)杳(よう)として何ぞ極まらん
日暮飛鳥還―――日暮(にちぼ)飛鳥(ひちょう)還るも
行人去不息―――行く人去(ゆ)いて息(や)まず
(「臨高台送行人」王維)

あなたの新しい出発を見送って丘の上に立てば
流れる川の周りに広がる草原は遥かに、尽きることを知らない
夕暮れ時、飛ぶ鳥はねぐらへと帰って行くのに
去りゆくあなたは、とどまりもせず遠ざかるだけ

 
 
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次回、ちびクラ登場!(今後発売の「緋の輪郭」と矛盾しても、許して(笑))