静夜思君不見

梨花歌〜(参)梨花一枝



時が流れても成長しないかのように思っていた自分の体が少し、聖地を訪れた時より大人になったと美幻(メイファン)が感じた頃、 闇の守護聖も慌ただしく聖地を去っていった。
彼になついていたジュリアスは辛かろうな、 と、負けん気の強く、他人に絶対弱みを見せようとしない光の守護聖のことを考える。
しかし新たに訪れた闇の守護聖はジュリアスと同年輩の幼子であった。なにやら初っ端から一悶着あったようだが、 子供は場に馴染むのも早かろう。すぐに仲良くなるに相違無い。
と、何事も、お気楽に考える夢の守護聖である。

けれど、そんな彼がお気楽になれないひとつのことがあった。それは

梨華(リーホア)

彼女のことである。彼女への想いが恋であると終に悟ったのはいつのことだったか、定かではない。
そのことに関しては、まあ、問題はない。自分の心に正直に思いを告げれば良いのだ。本当なら。
恋愛に関して、照れ屋でも奥手でもない彼はそれは雑作も無いことだった。だが。
―― 梨華はなぜ、私達と同じ時を過ごしているのだ?彼女はいったい?
彼がこの地に来てから、身体的には一年ほどの時間が過ぎたようだが、周囲の世話人などは十才も年老いたように見える。
それが、守護聖と、彼らとの違いなのだ。
だが、梨華は、僅かに ―― 自分と同じほどに ―― 成長したようであるが、出逢った頃とあまり変らない。
まさか。
とんでもない考えが心に浮かんだが、美幻(メイファン)はそれに、気付かないふりをした。
そんなことは、ありえぬ。けして。
夕暮れ時、 すっかり自分好みに仕立て上げた中庭に、あの梨木は、彼がここを訪れてから幾度目かの花を咲かそうとしていた。

(ざわ)

ふいに木々を掻き分ける音がした。
梨華(リーホア)
と振り向くとそこには自分と同じ黒髪を持った、幼子が立っていた。その瞳は神秘な紫を宿している。
闇の守護聖、クラヴィスであった。
「おや、これは意外なお客人ぞ。なんぞ用でも、いや、道にでも迷うたか?」
笑みを含んだやさしい問いかけに幼子はこくん、と頷くと、今度は、ふるふる、と首を振る。
その動作の愛らしさに、美幻(メイファン)はついその頭を撫でた。
伸ばされた手に、彼は一瞬怯えたように身を竦めたが、美幻(メイファン)に悪意が無いことを感じたか、安心したように口を開く。
「……探し物を……していたの……。でも、みつからなくて……あちこち歩いてたら、ここに……」
ぼそぼそと、小さな声が薄闇に流れた。
「探し物とな?しかし、もう日も暮れように。明日、手伝うてやる故、今日はもう諦めよ。それとも急ぎか?何を探しておる?」
「急いでる……かもしれない。……ジュリアスが」
その名に、メイファンは、おや。と思う。
「ジュリアスの、探し物を手伝うているのか?」
幼い闇の守護聖はまた、こくん、と頷くとしばらくして、ふるふる、と首を振る。
メイファンは苦笑する。どうやら、この幼子は自分の気持ちを語ることが非常に苦手らしい。
ある意味、ジュリアスともその辺、通じるのだがどうも種類が違う。
光の守護聖の守護聖は大人の中にあって、決して後れを取らぬよう自らを戒め、心の弱さ、孤独、寂しさを表に出そうとはしない。
それが存在しないわけではないのだから、余計それが哀れである。
そして、目の前にいる闇の守護聖は、 ―― 急な交代により、覚悟もつかぬうちに母御と引き離されたのであろうな。
彼は、どうみても怯えている。
唯一同年代に思える光の守護聖が噛み付かんばかりに彼に接したと聞いたから、まあ無理もないかも知れない。
クラヴィスが、ぽつり、ぽつり、と話し出した。
「ジュリアスの……書類が一枚、みつからなくて……水晶球で占ったら、烏が咥えてこの辺りに……。
彼は明日もう一度書くから良いって……でも、場所がわかったから、探そうと思って……」
どうやら、書類紛失は、クラヴィスの執務室で起こったらしい。
ジュリアスが、ついうたた寝していた彼を見つけ説教していた時、何かの拍子に持っていた書類をばらまいてしまったようだ。
それで、多少の責任を感じているのだろう。
メイファンは微笑み、言う。
「そうか、そのような理由なら、相解(あいわ)かった。私も手伝うこととしよう。しかし、水晶球とは。不思議なものよの」
クラヴィスはにっこりと、子供らしい笑みを浮かべた。どうやら、この夢の守護聖には心を開きつつあるようである。
「母さんに……貰ったの……。寂しい時に、いつでも逢えるように……」
「そうか。そなた、兄弟はおったか?」
クラヴィスが指し示す辺りを一緒に捜し歩きながらそんな話をする。
幼子は首を振った。どうやら一人っ子のようである。
「私には、沢山兄弟がおってな。兄がふたり、姉がひとり、妹がひとり、そして、弟がひとり。
弟は私が聖地に来た時、そなたほどの年頃であったな。そういえば、面差しもこころもち似てるやもしれぬ。
その黒髪のせいかの」
自分が聖地に行く時、泣いて引き止めた弟。それがこの幼い守護聖と重なる。
「慣れぬ地でひとり不安やもしれぬが、なんぞあればいつでも頼うてくれ。兄とでも思うてくれれば在り難い。
おお、これではないか?」
木の枝に引っ掛かっていた一枚の書類をメイファンは取り外し、クラヴィスに渡す。
幼い闇の守護聖は、その内容を確認すると、にっこりと笑う。
「……ありがとう」
「礼には及ばぬ」
そなたらが、これで少しでも打ち解ければ良いが。と、心の中で付け足した。
クラヴィスはぱたぱたと小走りに、光の守護聖に書類を渡すべく去っていった。
もう遅いから明日にしてみれば、といってみたが、聞く耳を持たないようであった。意外なところで頑固である。

クラヴィスが去った後、メイファンは中庭に戻り、そして。
息を呑んだ。

咲きかけの梨の木の下で哀しげに佇むひと。
いつもの気丈さは影をひそめていた。
風が彼女の袂をひらひらと舞わせている。
つややかな黒髪に、月光に光る銀簪。
その頬に――涙が光って――
その風情は、妖しく、弱々しく、艶やかに。それでいて冷たく凛と冴えて。
春の雨に濡れる梨花そのものにさえ見えた。

声を掛けようとメイファンが近づき、草を踏む。
その音に気付いたのだろう、梨華はメイファンの方をみる。
彼女は彼の姿に、何故かほっとしたような顔をした。そして、微笑むと、いつものように、
ふわり。
何処かへと消えるように去ってしまった。

何かが、あったのだろうか?
メイファンは梨木に近づき、その幹に触れる。
梨木は、哀しく、ただ風に枝を揺らすだけでなにも応えてはくれなかった。

 
これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である。


風吹仙袂飄飄挙―――風は仙袂(せんぺい)を吹いて飄々として挙がり
猶似霓裳羽衣舞―――猶お霓裳羽衣(げいしょううい)の舞いに似たり
玉容寂寞涙闌干―――玉容 寂寞(せきばく)闌干(らんかん)
梨花一枝春雨帯―――梨花一枝 春 雨を帯ぶ
(「長恨歌」抜粋・白居易)

仙女の袂が風に吹かれてひらひらと
まるで霓裳羽衣の舞いのように踊る
美しいかんばせは哀しげに、涙に暮れるそのさまは
まるで春の雨に濡れた一枝の梨の花のよう……

 
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ちびジュリが書類を無くした経緯は、AIRさんの作品 「約束の木陰」をどうぞ^^
(AIRさんのHP「ANGEL CUBE」)